こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

子育ての醍醐味(だから子供が好き!)

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東京の新年会では何人ものお子さんにお会いできました。
連れて来てくださったお母様、お父様、お疲れ様でございました。
私は本来とっても子供好きです。
末っ子に生まれたので弟か妹がほしくて母にもっと産んでくれと言ったらしいです(記憶なし)。
でも母はもう産めないことを伝えると、「じゃあ買ってきて!」と私が言ったそうな。
人間の子供は物のように買えないんだと伝えると、つまらない顔をしていたらしいのです。
その頃の真意は別として、とにかく私は人間好きなんだなぁと感じることがしょっちゅうあります。

この写真の何に惹かれるかって、それは間違いなく瞳です。
このつぶらな瞳を見ると、心の中がすべて見透かされているように感じます。
もう神様そのものなんですね。
子供の特徴としてじっと目をそらさないで見つめます。
そうすると自分にやましいことがあると見つめ返せなくなるのです。

子育てって、親がこうしていつも神様を意識して生きる期間なのだと思います。
大人の世界にどっぷり生きていると麻痺したり忘れている純粋な気持ち。
それを「そうじゃないよ、こっちだよ」と引っ張ってくれる気がします。
私は子育ての醍醐味って、濁っている大人の心を清めて澄んだ世界に導いてくれることにあると思います。

いつもこのピュアな瞳を持ち続けられる大人でいよう。
子育て中にどれほど感じたか知れません。
それだけで子供が生まれて来てくれた価値は充分あるし、「この子のために頑張ろう」と活力源になったことは間違いありません。

幼子たちからそんなピュアな気持ちとエネルギーをもう一度もらえて、私にとっては感謝の新年会でした。
産んでくれたママ、そして支えてくださっているパパ、今は大変だけれど親も育ててもらっています。
その想いを忘れずに、原点の子育てをなさってください。
自分育ての最高のチャンスですから。

 

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「お天道様は見てる」小沢一郎氏から学んだこと

昨日の真夜中(正確にはきょうの2時前)に、この漫画を見て一人で笑ってしまいました。
最後の場面が可笑しくて(笑)
小沢氏が「オロオロ」して犬も小鳥も汗をかいている場面がなんとも笑えます。
そんなに可笑しいのは、私には両方の気持ちが分かるからです。

小沢氏は70歳という年齢もあって、ITは苦手だというのは良く理解できます。
いえ、小沢氏に限らず政界ではIT音痴がゴロゴロしているようです。
私の支持するK氏だって、とっても良いことをおっしゃるけれど発信力が今の時代では負けてしまいます。
今の時代なら政治を目指す人間は、自分の考えを伝える手段は最新にするべきだと思うし、そうしていないことがむしろ驚きでもあるのですが、苦手なものは苦手なんですよねぇ(笑)

私だって自慢じゃないけどIT音痴ですが、必要最小限メールのやりとりとTwitterとFacebookとこうしてブログをMacとiPhoneでこなしています。
目と手があれば出来るんです。
さすがに今回の選挙結果をみて小沢氏は決心をしたのでしょうか?
生活の党の新年会のあと、小沢氏がTwitterを始めるらしいとの噂がTwitterやブログで流れ始めました。
そして先の漫画だったので、あ、あれは本当だったんだなと思ったわけです。

ところで小沢家の家訓が「お天道様は見てる」というのはご存知のかたも多いと思うのですが、私も小さい時から父母にそのように言われて育ちました。
たとえばこのかたと同じような感じです。
そしてその精神は今も揺らぐことがありません。
そういえば昨年末のNHK紅白歌合戦で、美輪明宏さんのヨイトマケの唄が大反響を呼んでいるそうです。” frameborder=”0″ allow=”accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture” allowfullscreen>

彼はこの歌に登場する少年の母親が、まさに「お天道様は見てる」ことを行動で子供に教えていたことに感動したのでしょう。
それが美輪さんの気骨ある人生につながったのだとも想像できます。

ある意味で昔は多くの人がそんな気持ちで生きていたような気がします。
つまり正直に生きることが暗黙の了解であり、最後はそのように生きたものが報われると信じていたのでしょう。
そして世の中は本来そうあるべきでした。
私は思います。
それは精神論であって世の中に出てみると、ずるい人や要領のよい人が得をしている現実をいっぱい見てきました。
会社勤めの身であっても、それは理不尽な思いをしたり心が曇ってしまうことはいっぱいあって、そのたびに私の生き方の理想は修正を余儀なくされたのでした。

それでも私はなお思います。
自分の気持ちを曲げてまでお金を手にしたり、地位を望んだり、達成するべき目的を持たない私は、自分の気持ちに正直に生きよう。
それが一番落ち着くから。そして正々堂々としていられるから。
今もその延長線上で生きています。

しかしこの生き方は今の若者にとっては魅力のない生き方になるのでしょうかね。
もっと要領よく、もっと上手に立ちまわることが勝ち組のように思えるのでしょう。
しかし勝ち組って目に見えないところで負けて(失って)いるものがあるんですよね。
そこに想いを馳せると「お天道様は見てる」は正論です。
性急に答えを求めない生き方ができればそれが一番いいです。

ところが小沢氏になると事情が異なります。
「お天道様は見てる」は精神論として、現実的には選挙に勝つだけの票を獲得しなければ何も実現できないのです。
そのためには日本国民の民度の低さを嘆くより、その低い民度の目線に合わせた行動を取らなければ支持は増えないと思うのです。
その目線をうまく利用したのが小泉総理でした。
小泉総理の政策は最低でしたが、民度の操作は小沢氏も敵いません。

何かを達成しようと思ったら、自分が納得することだけでなく、相手の民度に合わせる方が達成度は上がるでしょう。
問題は自分の魂がどこまでそれを受け容れられるかです。
自分を変えることがイコール魂までも売り飛ばすわけでなければ、それは変化した方が良いと思います。
その変化の一つとして小沢氏はTwitterを意識したのかもしれません。

変化に関してつくづく思うことがあります。
それは一人ではかなり限界があるということです。
良きブレーン、良きアドバイザーがいてこそ有意義な変化が可能になります。
冷静に容赦なく評価してくれる第三者の存在。
それこそが成功の鍵を握ります。

ふと自分に目を転じれば、幸いにして私にはそのような人がまわりに存在します。
真摯にまっさらな気持ちでアドバイスを受け容れて、これからも日々成長して行きたいと思うのでした。

 

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(京都府立植物園にて)

 

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我が家の家訓

我が家の家訓は二つあって、その一つは「宣伝している物はすぐ買うな」です。
息子が保育園時代からそう言い続けていたら、自分で試してみるしかないので、買う前にあれこれ調べたり見に行ったり行動しています。
そうしてやっと手に入れると大事に使うのですが、問題はお金がかかることですね。
でもお金を使いながら身につくことがあるのも事実ですから、まったくリスクを伴わないで正解だけ求めようと思うと身につくことに限界があるような気がします。

検討した結果購入したものが仮に宣伝しているものになってもいいのです。
購入に至るまでの過程で、その物が出来上がるまでのプロセスや販売のされ方やその他諸々が勉強になるのですから。
要は自分の考えや価値観を構築していくことを大事にしてほしいと思うのです。

自分の視点をもつには情報に踊らされないことが大切です。
本当に必要な情報はその人を安定に導きますが、不必要な情報は不安に導きます。
いつも安定した心身で穏やかな暮らしができること。
それが最高の幸せであると思います。

その最高の幸せを手にするには、失敗を恐れないことですね。
失敗していないうちはまだ物事はスタートしていないくらいの認識をした方がいいでしょう。
たま〜に失敗なしの人生を過ごされるかたもいらっしゃいますが、その数は多くはないはず。
失敗して傷ついて、転んでも起き上がって、馬鹿だと言われながらも自分の関心事に没頭して、信じられるものや人に出会ったら徹底的にのめり込んでみる。
そこから確固たる自分が築けると思うのです。
要領よく生きるのがカッコいいのではなく、芯のある人がカッコいいと思う私です。

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結ぶ

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おめでたいときに紅白。
これも陰陽。

最近は結ぶことが苦手な若者が増えました。
靴の紐はおろか、エプロンの紐も縦結びになっているのを見ると残念な気持ちになります。
結ぶって陰と陽を交差させることなんですよね。
おむすびも右手の陽と左手の陰を交差させて氣を調えた結果です。

人と人のご縁を結べないのは悲しいですね。
今年ご縁に恵まれなかったかたは、ぜひ陰陽を意識してみてください。
来年には違った自分を感じるはずです。

何かを変えたければまずは自分から。
自分の氣の流れを変えることが先決です。

 
 

 

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私は苔が好きです。
20代の時から苔を育てていて、一戸建ての家を建てる時に庭師さんに苔のある庭を希望しました。
長い年月を経ないと美しい苔にならないのですが、比較的早く苔がつくように考えてくれたおかげでささやかでも苔のある生活を楽しむことができました。
その庭師さんは京都で修業された人だったので、苔のことは熟知されていました。
毎月1週間庭師さんが手入れに来てくれたのですが、その時に京都の魅力や考え方をお茶の時間にたくさん話をしてくれてとても勉強になりました。
その時にはまさか今こうして京都にいる時間の方が長い生活をするとは夢々思っていませんでした。
後々、時間を優先するためその大好きな庭にもサヨナラしてマンションに引越した私ですが・・・。

 
 

 

カラッと晴れた日ばかりでは美しい苔にはならないんですよね。
ほどよい気温とほどよい湿度。
無用な圧力は不要。
しっかりと苔が成長すると、ふかふかとしてまるで緑の絨毯のようになって、それはそれは癒されます。
ふと、心にそんな苔の育つ環境があったらさぞかし穏やかでいられるだろうなと思いました。
(写真は京都・東福寺)

 

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