自分の周りに存在している人たちには役割がある

私たちはいつも理想と現実の中で生きています。
人はともすると理想を求めてしまいがちで、そのために自分を苦しくさせたり、悩みを作ったりしてしまいます。
しかし、すべてを意味あるものとして受け容れられたら、気持ちの持ち方も現実に起きている悩みも受けとめ方が変わってきます。

私がマクロビオティックを知る前は、人生の悩みを宗教や哲学や文学に答えを求めて彷徨っていました。
求めても求めても肚の底に確信となって揺るぎないものとなるには今ひとつ弱いように感じました。
でも、マクロビオティックの陰陽で物事を判断するようになると、それまでには得られなかった安心感があって、いわゆる「肚が据わる」状態になりました。

マクロビオティックの前に野口整体を知っていた私は、東洋医学的な健康法を採用してはいたものの、その哲学部分を深く落とし込めていなかったと思います。
それが桜沢如一先生の本を読み進めて行くうちに、マクロビオティックの哲学部分の考え方がすんなりと胸に入って来て、とても心地よい安心感に包まれるようになったのです。

ところで、あなたが望みどおりでない人間関係に置かれた時、どのように考えますか?
自分の理想とちょっとでも異なっていると、人間は不愉快に感じるようになりますし、我慢をするか、言葉に出して人間関係を気まずくしてしまいがちになります。

そんなとき、すべては意味があって自分の周りに存在していると考えられたら、とても目の前が明るく感じるようになったりします。
それまで気に入らなかった夫や子供だって、あるいは親だって、全部意味があって存在しているんだと思えたら、視点が変わってきます。

あの人は私にどんなことを伝えたくて私のそばにいるんだろう?
あの人はどんな役目を持って私のそばにいるんだろう?
そんな視点で周りの人たちの役割を考えてみるのです。
たとえば産まれたばかりの赤ちゃんですら、ちゃんと役目を持っているのですから、大人目線だけで考えないで、自分に対する周りの人たちの役割に想いを注いでみましょう。

ここで大事なことは、気に入らない人ほど役割をもっているということです。
もしあなたの周りに気に入らない人がいたなら、自分にとってのその人の役割を探してみませんか?
あるいは、気に入らないまで行かなくても、ちょっと不満があるというのでもかまいません。
そんなちょっとした不満もストレスの要因になりますので、視点を変えてストレスを減らす方法として使えます。

私も常に「その人」の存在する意味を考えながら決断の参考にしているのですが、それをマクロビオティックの陰陽と照らし合わせてみると、面白いほどに陰陽バランスが取れているのです。
そんなことを陰陽で考えながら自分の人生や相手の人生を考えると、とても良い落とし所が得られて落ち着きます。
陰陽の視点って本当に凄い力をもっています。


京都 真如堂

(京都 真如堂にて 2015.11.24)

きょうは11月30日。
これで京都の街も紅葉を求めての観光客が減ることでしょう。
お料理の世界も11月と12月では盛り付けの季節感も変わります。
季節を反映しながら自然も人間も一緒に生きています。
ともに呼吸をしながら。


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コメント

  1. ふみよ丸 のコメント:
    美風さん、こんばんは。
    記事を拝読し、最近私が氣づいたことを、文章にしてくださっているかのように感じました。
    ありがとうございます。

    私は今まで、半分の意味でしか「ありがとう」と言っていなかったなあ・・と、最近、気づく出来事が起こりました。
    つまり、「(自分の期待どおりのことをしてくれて)ありがとう。」と、前に( )の部分がついている時しか、ありがとうと思えていなかったということです。

    それだと、相手が自分の期待通りのことをしてくれないと、寂しさだったり、失望感が出てきて、その失望感が大きくなると、だんだん怒りに変わってきたりします。

    ありがとう(喜び) vs 失望(怒り)
    ↑これがコインの裏表のように、セットになっていました。

    でも、本当の感謝というのは、ネガティブとポジティブの間、中立の状態に戻ってきた時、そこに深い感謝があるのだと気づくことが出来ました。

    つまり、ポジであれネガであれ、その出来事の裏側に隠されたギフトを見出せた時、センターに戻ってくるような感覚があり、本当の意味での感謝、静かで深い感謝の念が湧いてくることを実感しました。

    文章で表現するのが難しく、うまく伝わっていないかも知れませんが、この穏やかな感覚が、人生の豊かさなんだなあ・・、陰陽ってこんなふうに使うんだなあ・・と思っている今日この頃です。
    • マクロ美風 のコメント:
      ふみよ丸ちゃん、おはようございます。

      ふむふむと思いながらコメントを読ませていただきました。
      言わんとされていることは理解できるのですが、私の場合はちょっと違うかなと感じました。

      >でも、本当の感謝というのは、ネガティブとポジティブの間、中立の状態に戻ってきた時、そこに深い感謝があるのだと気づくことが出来ました。

      この文章の「戻ってきた時」というのが私とは違うように感じるのです。
      そこにその人が存在していること自体、その人の存在まるごとが感謝だと私は思っています。
      大きな視点でとらえた見方です。
  2. ふみよ丸 のコメント:
    美風さん、お返事ありがとうございます。
    >中立の状態に戻ってきた時、
    この「中立」というのは、「尺度の真ん中」という意味ではなくて、なんというのか・・思考で裏側のギフトを捜して腑に落ちた後に、突然ふわーーっと起こってきた感覚なので説明しにくいのですが・・。
    ポジとかネガを超えて、起こったことがニュートラルに感じられるというのか、それはその出来事の外に出ているような感覚で、出来事やその人を一切の価値判断のない状態で愛でているような状態でした。

    美風さんがお返事に書いてくださったように、存在に感謝。そんな感覚に近いような気がします。

    ありがとう!嬉しい!とか、キャピキャピした感じではなく、穏やかで静かで、豊かさが満ち満ちてくるような感覚です。

    語彙力がなくて、うまくお伝え出来ずに、すみません。
    • マクロ美風 のコメント:
      ふみよ丸ちゃん、こんばんは。

      なるほど、そういう意味なんですね。納得です。
      それなら私の考えていることと同じ感じです。

      >穏やかで静かで、豊かさが満ち満ちてくるような感覚です。

      うんうん、そうです。
      幸せで落ち着く感覚なんですよね。
      十分伝わってますよ〜。

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