ぜひ読んでいただきたい文章です。
以下、ガジェット通信の記事をお借りしました。
福島県相馬市の立谷秀清(たちやひできよ)市長は2011年3月24日夜、ニコニコ動画の生放送番組に出演。現地からの中継で、東日本大震災で深刻な被害をうけてから、約2週間経った被災地の「今」を語った。
「将来どうなるかはわからないという『不安』が相馬市全体を覆っている。かといって、ここから逃げたところで、逃げたなりの『不安』が待っている」
相馬市は、東日本大震災で7メートル以上の高さの津波に見舞われ、死者数は245人(2011年3月26日現在)にものぼっている。未だ不明者がいるにも関わらず、追い打ちを加えるような原発事故。「不安」というただ一言では表しきれない、「恐怖」ですらあるとも言える。だが、立谷市長の目は、決して光を失ってはいなかった。
「今、相馬市には人や物が入ってこない。でも、いくら『困った』と訴えても仕方がない。そんなことをするよりも、物が無いなら無いなりに腹をくくって過ごそうじゃないか。餓死しないだけの食料があるなら、ここで団結して頑張ろうと思う」
相馬市が昔ながらの城下町のような雰囲気を持つ街であることから、立谷市長は決して逃げ出さない自身の思いを「ろう城」と表現した。
「コメと梅干と水、最低限のものがあれば死なない。ビーフシチューが食べられなくてもいい、トンカツが食べられなくてもいい。それよりも、隣で自分を心配してくれる地域社会がある」
立谷市長が「懸命で、明るく、団結力がある」という相馬市民。地域社会に支えられて、相馬市は被災者の救助と街の復興に向けて力強く歩んでいる。
最後に立谷市長は次のように語っていた。
「今の日本は過剰反応している。もっと冷静になろう。そうでないと日本が不安で押し潰されてしまう。少なくとも原発に近い相馬でも不安で潰れないように頑張っているのだから、これで日本が”おしまい”になるような気分にならないで欲しい」