お墓参りをしながら思ったこと

今日はお墓のお掃除をして、御先祖様に手を合わせて来ました。
先日起こった夫の居眠り運転事故で、奇跡的に命を助けていただいたのは、御先祖様が護ってくださったと思えてならなかったからです。
2メートル間隔のポールの間を、1メートル81センチの居眠り運転中の車が無傷で通過するなんて、どう考えても奇跡のように思えるからです。

でも、陰陽の流れに滞りが出たのは事実なので、その流れを修正すべく、お墓に出向いたのでした。
このお墓はかつて住んでいた町にあるので、車で1時間ほどかかります。
息子が運転する車に乗って外の景色を眺めていると、町の衰退が激しくて、日本のそこかしこでこういう景色が広がっているのだろうなぁと思えて来ました。

つまり、かつてあった陽性のエネルギーが感じられない町並みが多くなり、閉店したお店が無残な姿になっているのを見るにつけ、悲しい気持ちになりました。
ある程度は賑わっていたスーパーも撤退し、見慣れない郊外店が建っていても、ちっとも心が踊りません。

やはり町には「人の生活している姿」が必要だと強く思いました。
人が営みを続けている場所は、陽性のエネルギーがあるので、その場所に勢いを感じることができます。
でも、空き家は陰性を強く感じますね。

お墓で御先祖様に語りかけながら、苔むした古い墓石に手を触れると、お会いしたことのない御先祖様であっても、命の連綿を感じ、自然と感謝の気持ちが湧いて来ます。
私が嫁いだ家は古い家なので、墓石は大小合わせて19基もあって広いお墓です。

草をむしりながら、人の命をあれこれ考えた静かな時間でした。
こうして陰陽バランスをまた元に戻すべく、明日もギリギリまで家事をして京都に向かいます。

 
 
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