桜沢如一先生の陰と陽」カテゴリーアーカイブ

桜沢如一先生のお墓参り

昨日はマクロビオティックの創始者である桜沢如一先生のご命日でした。
毎年お墓参りをしていますが、今年はあいにく授業日と重なってしまったので、昨日はスタッフの麗可ちゃんが午前中にお掃除をしてお花を手向けてくれていました。
今日の午前中に私と中川さんが改めてお墓参りをさせていただきました。

1年間無事にすべての日程をこなしたご報告をして、感謝の気持ちで頭を垂れてきました。
毎年この日が済んで、やっと1年間が終わった気がします。
むそう塾の年度末は4月だからです。
5月からは怒涛の連続講座がスタートします。
私も埼玉に帰って、家事と台所の整理をして来ます。

 
 

京都 本法寺 経蔵院2

 
 

(京都 本法寺 教蔵院)

 
 

京都 本法寺 経蔵院1

 
 

京都 本法寺 経蔵院3

 
 

<桜沢如一先生のお墓参り関連の過去記事より> 抜粋
桜沢如一先生の50回忌(4月24日) 2015.4.24
桜沢如一先生のお墓にご報告 2014.4.22
櫻澤如一先生のお墓参り 2013.4.22
櫻澤如一先生のお墓参り 2012.4.23

 
 
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桜沢如一先生の50回忌(4月24日)

桜沢如一資料室>より

マクロビオティックを20世紀ストア主義(禁欲)の類と考える人が多いが、酒を飲めず、たばこを吸えず、果物、肉を食べれない者は非自由人だ。
強制されず自分が好きな物を、好きな時に食べれる健康を確立する方法がマクロビオティックだ。
マクロビオティックは消極的な生き方ではなく、積極的で、創造的で、芸術的で、哲学的な生き方だ。

 
 

京都にある桜沢如一先生のお墓とは別に、埼玉県の毛呂山町にある武蔵野霊園にも分骨されてお墓があるのですが、4月19日(日)に桜沢先生の50回忌が行われたようです。
私は24日に京都のお墓にお参りさせていただきます。
桜沢如一先生のお墓にご報告(昨年のお墓参りの記事です。)

 
 

桜沢如一のお墓

 
 

(桜沢如一先生のお墓はこのお寺の前を左手に通りすぎた奥にあります。)

お参りされる方には分かりにくいのですが、本法寺を目指して行ってください。
その中に教蔵院があります。
アクセスはこちら

 
 
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マクロビオティックの基本理念 「桜沢如一の遺産(上)」より

<マクロビオティックの基本理念 桜沢如一>

生態学である。
大気や土壌は作物を生み出し成長させ、その作物は動物に食べられ、血液、細胞、組織、器官となるもので、人間は土や植物の変化したものである。人間は生物の中で最も自由と適応能力を持つものであるから、あらゆる環境に添うことが大切である。

生命の経済学である。
人は大きな収益を得るために自然生活の基本を破り、不自然な農作法や添加物、合成製品を無限に生み出し利便さのみに追われている。生命の経済点から見れば、大切なことは、自然農法をおこない生活上のあらゆる資源はもとの大地に還元できるものが最も経済的なのである。

陰陽の原理である。
これは人生行路の羅針盤・コンパスであり実用的な道具である。無限宇宙の世界における私達の位置を定めてくれる。精神(陰)に作用する食物や環境の適、不敵を判別させて健康と幸福の道案内をしてくれるものである。

生活の芸術である。
知識をかき集めるのが科学であり、実験とデータとの証明の積み重ねである。マクロビオティックの原点は、常に変化(易)を続ける現象世界に巧みに適応して、宇宙の秩序に従って生きることである。一瞬たりとも停止しているものはこの世にはなく、常に他との共存共栄の条件のもとで微妙に動き続け変化しているのである。顕微鏡下にあるものは、停止、あるいは他との関連をすでに断たれている現象である。撮影や検査も変化中の一部分である。従って一度の結果数値にいつまでもこだわり、同じ薬を連用するのはおかしい。人間そのものが肉体、精神的にも人生という絵を描き続けている芸術家のようなものである。人まねではなく自らの実行と確かめ、楽しみながら面白おかしく生きていけば良いのである。

感謝を知るものである。
人は他人に与えたことはいつまでも忘れずに恩を着せたりするが、人様から与えられたことは忘れがちである。私達は誕生以来、空気、太陽の光、水や風をずっとタダで与えられ、一度だって天は請求をしない。しかしその恵みにお礼を言わずとも、なお生かし遊ばせてくれる。私達は宇宙の無限の慈愛と慈悲と寛大さを忘れている。
一粒の米や一切れのパンにも感謝して、それを表現出来る人間になろう。
苦痛も病気も人の不寛容さえも、感謝を持って受け入れることを学びとしよう。
健康でも不幸な人は大勢いる。鳥は一粒の米粒を大地に落として数千倍の実りをもたらし、魚は数十億の卵をお返ししている。これが自然の法則である。
命と人生を与えてくれた親や周囲の人々に感謝をすべきであり、東洋ではこれを知恩という。報恩とは尽きぬ幸せを限りなくばらまく喜びなのである。人はとかく己の感情に走って、愚痴、小言、怒り、立腹、暴力、蔑視、不遜の言葉や態度を知らぬ年月の間に繰返しているものである。

信を生み出すものである。
陰陽にかなった食事を始めると赤血球に変化が起こり、最初は体の好調さに喜ぶが、人によっては体調が悪化する場合もある。それは細胞間にある体液は変化しやすい流動的なものであるが、細胞そのものは旧態を維持しようとする力が強いからである。それは保守的な老人と柔軟で急進的青年との摩擦に似たようなもので、人はそのような時に疑いや迷いが生じるものである。しかし冷静に無限宇宙が生みだす創造のすべてを考えてみれば良いのである。
無限界の神の世界から陰陽の二つのエネルギーが生まれ、素粒子、元素、植物、動物となるスパイラルの中心にいるのが私達であり、連続的なつながりの中にいるのである。言いかえれば、闇の世界の無から、光、空気、水、穀物、野菜、海藻、豆類、木の実、魚類、果実、塩、動物の順序を認識して、これに準じて食事をすれば良いのである。また口の中にある歯の構造を考えれば、穀物を噛むための臼歯(二十本)、植物を噛む門歯(八本)、動物の肉を裂く犬歯(四本)の順に歯が定められているから、これに従って量は5・2・1を外さなければ良い。
確実な信念を持っていればうろたえたり、迷ったり途中で止めたりすることはあり得ない。本当の信仰とは主義や信条などではなく、宇宙にある見えない世界の無限界(陰)と、見える世界の有限界(陽)のつながりをはっきりと見定めて調和をとりながらすべてを受け入れ、深い慈悲の心を持って精神界に生きることである。

道楽である。
道は中国語でタオと言われ宇宙の秩序の意味である。道楽とは、いつでも、どこでも感謝しながら道を楽しむということ。道楽は趣味を意味することであるから、人生を趣味で生きれば成功も失敗もない。
「人生をあまり生真面目に考えないことである。なぜなら現実界での経験は夢のようなものであるから、人生におけるあなたの役割を楽しむことである。ただそれがあなたの役割であることを忘れないことである。」(パラマハンサ・ヨガナンダ)
徹底して楽しみ生きることが道楽である。あなたが誠の道楽者であれば何を食っていようと、そんなことは問題ではない。

<桜沢如一の遺産(上) ー陰陽を解明した男ー 256〜259Pより>

 
 

マクロビオティック 桜沢如一の遺産

 
 

書名:桜沢如一の遺産(上)
著者:兎龍都(うだつ みやこ)
発行:アートヴィレッジ
定価:1,800円+税

 
 
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物事にはすべて陰と陽がある~桜沢如一先生の知られざる一面~

先日の「第1期 むそう塾 幸せコース交流会」で、私はちょっとしたお話をしました。
それは、物事にはすべて陰と陽があるので、一方だけをとらえて間違った判断をしないでほしいという内容でした。
これから巣立って行かれる塾生さんに贈りたい、私の魂の叫びでもあります。
この内容は、会場にいらした方々のみではなく、マクロビオティックに出会ってしまった多くの方々にもお伝えしたいことなので、あえて記事にさせていただきます。
ご存知のようにマクロビオティックは、桜沢如一先生が創られたものですが、桜沢先生に関する評価は様々です。
私がマクロビオティックを始めた頃は、今のようにネットから情報を得ることがとても少なかったので、動揺することなくしっかりした先生に導かれて勉強を進めることが出来ました。
しかし、今は情報合戦の時代で、何が本当なのか見分けることがとても難しい現状です。
そんな中に下記のような情報もあります。
*    *    *    *
「1 桜沢如一氏のこと」(長文です)
さて、あなたはこの記事を読んで、どのようなお気持ちになられるでしょうか?
物事にはすべて陰陽があるということは、桜沢先生にも功罪があるということです。
これはむそう塾にも、私にも中川さんにもすべて功罪があることを意味します。
人間も物もそんなものなのですよね。
ですから何か一つに向かって盲目的に信じるのではなく、いつも第三者的に判断できる冷静さをもって欲しいと思います。
とかくマクロビオティックの世界には、盲目的になってしまって体調を崩す人が後を絶ちません。
私が井戸端会議や美風ゼミを経由してむそう塾を立ち上げたのも、そのような現実を目の前にして、何とか目を覚ましてほしいと思ったからでした。
幸いにして軌道修正をしてお元気になられた人が増えて来ました。
そして、心に核が出来て、しっかりとした足取りで人生を歩み直している人も増えて来ました。
マクロビオティックを過信するなかれ。
されどマクロビオティックの素晴らしいところは取り入れよう。
これが私のスタンスです。

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無双料理

昨夜は東京も京都も雨が降ったのですが、私は運良くその間をぬって京都に到着しました。
一滴も雨にあたりませんでした。
きょうの京都は朝から清々しい爽やかなお天気です。
マクロビオティックを始めてから何年かした頃から、お天気に味方されることが多くなりました。
雨が降っていても電車の中だったり、外に出る時には止んでいたり。
そんなことをマクロビオティックの先生に話すと、「そうよ、そうなるのよ、乗り物もね」と言われました。
確かにその頃から、乗り物にも味方されている実感がありました。
「そうか?、やっぱり本に書いてあったことは本当なんだ!」と、体験出来る幸せをとても嬉しく思ったものです。
桜沢如一先生の本に書かれていたことを、いざ自分が体験すると、感動と共にマクロビオティックの手応えみたいなものを感じます。
こうなると一層マクロビオティックが面白くなりますね。
こうして、また桜沢先生の本を手にしたくなるのです。
ですから、マクロビオティックに出会ったかたは、ぜひぜひ食べ物だけでない精神的な部分にマクロビオティックの素晴らしさを求めてみることをお勧めします。
私は桜沢先生の本は、自信をなくしたり、うまく物事がいかない人にこそ読んでいただきたいと思っています。
             *   *   *   *
その桜沢如一先生の本の中に「無双料理」という言葉が出てきます。
マクロビオティックの勉強を始めた頃は、この無双料理の深い意味が分かりませんでした。
でも、京都で「むそう塾」を始めてから、中川さんの手元を拝見したり、その手から生み出されるお料理を味わっていると、つくづく「これが無双料理というものなんだなぁ」と思います。
奇しくも「むそう塾」はこの「無双」からいただいたのですから、正真正銘の「むそう料理」かも知れません。
桜沢先生はお料理がお好きでよく作っていらしたそうです。
でも、忙しくなられてからは作る時間がなくなったそうですが。
だから、お料理に関する視点が奥深いのかなぁとも思います。
では、桜沢先生の本から「無双料理」の記述について抜粋します。
<無双料理>
食養料理の外に無双料理と云うのがある。
これは自由と幸福と平和をつくり出す「永遠の国」の料理で、オイシクて、うつくしくて、おもしろくて、しかも息災、延命の卓効がある。
ーー中略ーー
その方法はこの本をよみ、無双原理をかじった人にはタレでもできることだ。
しかし、なによりも大切なことは、健康を食物療法で確立してから、何をするか、と云うことである。
それは『スキナことを、やってヤッテやりぬいて、たのしい、スバラシイ一生を生きぬき、万人をうらやませ、よろこばせ、ありがたがらせること』である。
これをやる気がないのなら、今から無双原理だの真生活だのメンドークサイことをやることは要らない。
(桜沢如一著 新食養療法 111Pより)

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