こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

親とは難しいものだね

先日、息子が京都に来た。
3日間京都にいたのだけど、北大路魯山人展だけは一緒に行き、その他はただ一緒にご飯を食べてやるだけだった。
親も子も色々想うことはあっても、息子の年齢になると一言を選ぶのが難しい。
あどけなさのあるうちはもう少し気軽に話せるけれど、今は彼の意志を優先する年齢なので、親の考えを押しつけることもできない。
子育てって、内容が変わるだけで一生続くものだと思う今日このごろ。

 
 

加賀屋 京都店 とうもろこしご飯

 
 

(加賀屋 京都店)

息子が帰る日のお昼にいただいたご飯。
この三種類がしっかり作れたら人生は大きく間違わない。
息子もお料理が出来るようになってくれたらなあと心から思う。
手先は器用だけど、お料理には関心がないらしい。
車や時計には異常なほど興味を示すのに。
なかなか思うようには行かないものだ。

生きていてくれるだけでいいと思ったあのアトピーのころ。
親とは、ついつい子供に何かを求めてしまうものだ。

 
 
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妻が知っているようで知らない夫の気持ち

昨日の「夜の帰りが遅い夫の食事に妻はつき合うべきか?」の記事を読んでくださった人がご主人とお話をしたところ、「帰宅した時に奥様が寝ていてもなんとも思わない」とお返事が返って来たとメールをくださいました。
そうだと思います。当然ですね。
それが本当のご夫婦ではないでしょうか。

夫が帰宅した時に妻が待っていて、朝も早くからお料理をする妻が理想だというなら、それはさだまさしの「亭主関白」の世界であって、実のところ妻のことを従属的に考えていると思います。
実際にはそのとおりには出来ない妻がとても多く、子供がいたり、妻も仕事をもっていたりすると、そんな亭主関白な世界は無理というものです。
それでもそれを要求するような夫なら、それは妻を愛していないと言い切ります。

なんとなく良妻賢母をイメージして結婚生活を送っている妻たちも多いことでしょう。
亭主関白の歌のように。
でもね、私にはそれは自己満足のような気がします。
本物の男は妻を大事にするはずです。
少なくても会社で部下をもつ立場の夫なら、部下の体調管理にも当然気遣いをするはずですから、妻の体調管理にも気遣いをしなくては片手落ちというものです。

私は外で働く夫の立場で物事を考えているのですが、仕事で疲れて家に帰った時に、機嫌の悪い妻が起きていたり、一日の愚痴をこぼす妻が起きているより、何か簡単なお食事を用意しておいてくれて、さっさと寝てくれている方がよっぽど楽です。
もし起きているとしても、できれば帰宅して15分以内に食事をしたい。
どんなに美味しくても30分も待たせてほしくない。
こんなところが夫たちの本音ではないでしょうか。

昼間は仕事で八方に気を遣って、満員電車に揺られて帰宅するのですから、帰宅したらドーッと陰性になりたいのです。
そんな時の究極の陰性は一人になれる時間です。
一人で物思いにふけったり、お料理に舌鼓を打ったり、時にはアルコールを手にしたり、自由に出来る時間が結構貴重なのです。

女性は案外とお料理の品数を多めで量を少なくする傾向がありますが、男性は品数は少なくても気に入ったお料理をガツンと食べたい傾向が強いです。
ですから妻たる者は、夫の食の好みを細かく把握しておいて、朝の体調や最近の体調を考えて食卓を整えておけば良いのです。
決して押し付けにはならないメニューで。

夫婦というのは一緒にべったりいることが幸せなのではなく、個人としての自由を確保しながらも一番信頼し合える間柄というのが理想だと思います。
相手が帰るまで起きているとか、出来立てのお料理を食べてもらうとか、そういうことも嬉しいことであるには違いないのですが、もっと大きなところで相手に心配をさせない(=自立する)生き方も必要だと思うのです。
そのためには健康でいることが一番の条件ですね。
(病を得て初めて本物の夫婦になれる人もいますが・・・)

子育て中は色々と夫婦で協力しなければ大変なことも多いですが、子育てのない人はもっと相手を解放してあげたら良いと思います。
それはつまり、お互いに自己完成に近づく形ですね。
子供がいないからこそ出来ることがあります。
それは経済的にも時間的にも無限の可能性を持っています。
それを生かしましょうね。
マクロビオティックの陰陽をこんな時こそ使ってみてください。
「解放=陰性 自己完成=陽性」 陰陽が必要なのです。

 
 

マクロビオティック料理教室 むそう塾 中川式ラタトゥイユ

 
 

(中川式ラタトゥイユ 料理:京料理人  中川善博)

疲れた時には汁物が心にも沁みます。
沁みるって氵(さんずい)を使うのは理由があるなあって思うこのごろです。

 
 
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集中力と思いどおりあれこれ

生きていると思いどおりにならないことがたくさんあります。
むしろ私たちは思いどおりにならない世界に住んでいて、たま〜に思ったとおりになるというのが現実ではないかと思います。
その最も顕著なのは子育てではないでしょうかね。
オギャーと産まれてから、日々思いどおりに行かないことの連続で、発狂しそうになっている新米ママさんもいらっしゃるでしょう。
でも、小さいうちはまだいいのです。これから自我がだんだん強くなって思春期を迎え、大人になってきても子育てに対する悩みはつきません。

最初から別人格だからと割り切っていても、どうしても親は子供にあれこれ期待や望みを抱いてしまうものですね。
外部から見たら、あんなに腕の良いお父さんの後をなんで継がないのか? もったいないなぁと思える職業であっても、本人にその気がなければ無理な話です。
また、あれだけの人脈を生かさないなんてもったいないなぁと思っても、本人と波長が合わなければ上手く行きません。
さらに、本人が親の職業を継ぎたくても、その資格を取らなければダメなお仕事もあります。

親側にも子供側にも言い分はありますが、一番良いのは働く本人が夢中になれる仕事に就くことですね。
しかし、現在のこの厳しい経済社会では、「夢中になれる=生活できる」とはいかない職業がありますね。
また、趣味が夢中になれるほど高じたとしても、それで食べていけるのはほんの一握りです。
まだまだ世間に慣れていない若者でも、真面目に働けばそこそこに食べていける古き良き時代は去りました。

働いてもまともに評価されないどころか、過労死するような雇用関係がまかり通ってしまうこの時代に、将来のある若者たちをどうやってその能力を伸ばしてあげたら良いのだろうと思う日々です。
強さのある人は良いのです。自分で困難を突破していけるから。
しかし、内にこもってしまう性格の人は厄介です。
でも、必ず人は何か一つでも関心のあることがあるはずなので、その延長線上で自分の将来を描いて行くのが一番落ち着くのだと思います。

ちなみに私は、結果として自分が関心のあったことばかりが今の仕事につながっています。まるで無から有が生まれた感じがします。
60年あまりの集大成が今の仕事ですね。
自分で言うのもなんですが、私は器用貧乏なところがあって、どのようなことでもそこそここなせてしまうタイプでした。
それらに関わるときに持ち前の好奇心が働いて、あっちこっちと道草をするのですが、その道草の結果が今の状態です。
ですから、私の人生は道草人生とでも名付けるのが正確かと思います(^_^;)

道草しているときは好奇心が働いているときですから、そこには集中力があります。
この集中力はとても力になるので、子育て中はこの集中力を削がないように育てるのがいいですね。
私が独身の時からしていた野口整体の野口晴哉先生は、学校の時間割がもっとも集中力を育てないと本に書かれています。
子供の関心があるなしにかかわらず、一斉に時間を区切って次々と授業を進めるからですね。
私も子育ての時にはこの集中力を意識して、おっぱいを飲ませるときにも、遊びにつきあうときも、集中力を削がないように心がけました。

ところで、集中力って先天的なものだけでなく、後天的にかなり鍛えられますよね。
マクロビオティックでも食べ物で集中力を養うことはできますし、結構即効性があります。
そうそう、バレンタインデーでチョコレートをいただいて、すっかり集中力が欠如している人はいませんか?
贈る方ももらう方も陰性になって、なんだか体がだるい(眠い)なんていう人が絶対いると思います。
そんな人は確実にミネラル不足ですね。

ミネラル不足では集中力は出ません。
ミネラルの代表であるお塩を使ったお料理と海藻や根菜類を多めに摂りましょう。
中でも糠漬けはお塩がなれた状態なので、塩味の角がなくて味噌やお醤油と同じく発酵食品独特のまろやかさがあります。
体がだるい時は腸もゆるんでいます。糠漬けをおやつがわりに食べて、しゃきっと集中できるようにしましょう。
集中出来る時間が多ければ多いほど、思いどおりになることが多くなります。

 
 

中川式糠漬け むそう塾

 
 

(中川式糠漬け 2015.2.22撮影)

きょうは陰性な記事です(笑)

 
 
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職業適性テストで私は「供給者」だそうです

昨夜Twitterで「職業適性テスト」なるものが登場していたので、試しに診断してみました。
私は「◯◯診断」なるアプリは滅多に使わないので、このようなテストは初めてのことでした。
今は就活にもこのような診断をしてから臨むのでしょうか?
試したところ、結構多くの項目があって、「う〜ん、どちらも該当するよ〜」という選択肢もありましたが、正直に反射的に答えてみました。すると、こんな結果が。

職業適性テスト

 
 

今の私がしていることは、まさにこの内容を実現することなので、生まれ持った性格を素直に反映させればそれで良いという意味では、適性なお仕事なのだと思います。
夫は私の日常を見ていて、「お母さんは今が一番楽しいでしょう? 生き生きしているから」なんて言っています。
実際は超ハードな日々で、年中休みなし、寝ている時だけが休憩の過酷な状況なのですが(笑)、好きだからやっていられるのだと思います。
その根本は私が「人間が好きなこと」にあるのでしょう。

マクロビオティックでは陰陽で職業適性を判断しますが、その環境も陰陽で判断します。
それらが偏りのない状態が最も本人も楽しいし、周りで見ていてもつらくありません。
楽しいオーラが出ている時には、周りも元気になれるので、それがまた自分に跳ね返ってきて、より元気になって行きます。

しかし、実際には楽しく感じられるようになるまで、つらい時期を経なければいけない職業もあるので、いつもいつも楽しい方向だけ求めていては本当に自分に合う仕事に辿りつけないこともあります。
傍目にはつらく見えても、その中に何かしら希望を見出だせる自分の信念に似たようなものがあれば、そのつらさは少し軽くなります。
仕事に向かう気持ちや考え方でストレスの質も変わるということですね。
マクロビオティックを知っている人は、ぜひお仕事に陰陽を当てはめて考えてみてください。
充実した人生を送るために。

 
 
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おせちを作ることは感謝の総決算なのです

私のゆく年くる年は、おせち投稿に集中していました。
次々と塾生さんから届く写真をアップされる中川さんのブログを見ながら、感無量の想いが断続的に押し寄せます。
記事がアップされる度に、その人の初めての出会いから今までが想い出されます。
ご多分にもれず最初はお料理のイロハも分からなかった人が、何年か後にこんなに素晴らしいおせちが作れるようになるなんて。。。
泣いた顔、哀しい顔、困った顔、満面の笑み、真剣な顔、いろんなお顔が浮かんで来ます。

昨年はお弁当投稿が物凄い力をつけました。
毎朝中川さんが無料で指導するお弁当投稿は、「続けることの大切さ」を教えてくれました。
あの投稿経験があったからこそ、おせちに取り組もうとする意欲が出たと思います。
以前なら手も足も出なかったおせちなのに、「あんなに美味しいお料理だから作りたい」一心でおせちに取り組んだというのが正直なお気持ちだと思います。
そう、「美味しい」というのは物凄く勇気をくれるんですよね。
そして、お弁当投稿の経験から、重箱が遠い存在ではなくなったのです。

中川さんは持ち前の格調高いお料理の格もお味も落とすことなく、すべての講座で一貫して伝え続けています。
その延長線上としておせち用に40人のかたに「おせち講座」を開催しました。
ほんの3品のデモを追加しただけなのですが、それまで習った基本のお料理で立派におせちが出来上がりました。
しかも飛びきり美味しいお味で。
これがむそう塾のレベルなんだと、改めて感動した2日間でした。

<塾生さんのおせち>
【一の重:金柑蜜煮・ごまめ・数の子・黒豆・栗きんとん・蒲鉾・出汁巻き・鰆西京焼き・菊花蕪・なます・車海老の具足煮
二の重:筑前煮】(蒲鉾以外はすべて自作)
マクロビオティック料教室 むそう塾 おせち料理

 
 

(料理:舞さん 一人暮らしのお父様のために)

舞さんは10代でお母様を亡くされ、お母様からお料理の基本を学ぶことが出来ませんでした。
中川さんは舞さんに「お母さんの役」を意識して、お料理のあれこれを丁寧に伝えて来ました。
その舞さんが今こうしてお父様に抜群に美味しいおせちを作り上げました。
このおせちを受け取ったお父様のお気持ちを思うと、私は胸がいっぱいになって流れる涙を拭くことが出来ませんでした。

親は子供に色々な義務や責任を持ちますが、お父様はきっと「もう舞は大丈夫だ」と思われていることでしょう。
それは、食べるものを自分で作れれば何とか生きて行かれるからです。
どんな環境になっても、子供がちゃんと食べて行かれる状態になること、それが出来たら親はやれやれと責任を果たしたような気持ちになります。(実際はいつまでも気になるものですが。)
今年のお正月は、お父様は安堵と一緒にこのおせちをいただいたことでしょう。
それを想うと泣けて泣けて。。。

ところで、舞さんはFacebookで次のように書かれていました。
食べてほしい人がいること、食材を揃えられること、作る時間があること、そして美味しいお料理を教えてくれる人がいること などなど
おせちはたくさんの感謝でできているのだな、と思いました。

そうなんです。おせちはその年の感謝の総決算なんです。
おせちを「作らなければならない」ではなく、おせちを作ることによって自分の心が整理され、感謝の気持ちを新たにし、その尊い気持ちで新年の佳い氣をいただくための区切りのお料理なのです。
おせち(お節)は節目であることを意識して、単に食べたい食べたくないという観点ではなく、心を調えるお料理と位置づけられたら、1年のスタートがとても充実しますね。
今年は作らなかった人も、来年はぜひ作ってみましょう。
精神が安定して気持ちよくお正月を迎えられます。(達成感とともに)
中川式のお料理の数々はおせちで威力を発揮しますよ。

 
 
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