「国民の生活が第一」結党で思うこと

昨日、小沢一郎氏が率いる新党「国民の生活が第一」が結党された。
小沢一郎氏については様々な見方があるけれど、今この時代に小沢氏の行動は特に意味のあることなので、少し記しておきたいと思う。
かつて金丸信氏から「無事の橋本、平時の羽田、乱世の小沢、大乱世の梶山」と言われた小沢氏だが、乱世を乗り越えるにはやはりブレない一貫性が必要であり、その一貫性が小沢氏にはあると思う。
「国民の生活が第一」を党名にするあたり、そもそもの原点を民主党発足時においているから、どうしてもこの言葉を使いたかったのだろう。
そしてまた、本来の民主党は自分達だという筋を通したかったのだと思う。
私は昨日63歳になった。
小沢氏は70歳とのことなので、この年齢での見方をしてみたい。
一般的に政治家は体力・気力が普通の人より優っている。
逆に言うと、そのくらいでないと政治家は務まらないということでもある。
何しろ政治家は忙しいし、判断も素早くなければこなせないからである。
たったひと言でも命取りになる世界だから、言葉も選んで話さなければならない。
一挙手一投足が波紋を広げる政治の世界において、特に小沢氏の場合は、いわゆる「小沢つぶし」の長きにわたる圧力に耐えての政治生活なのだから、その精神力は並外れたものがあると想像する。
和子夫人の手紙があれこれ言われているが、真相はともかく、世間で良く評価されない夫(父親)の家族は大変だと思う。
小沢氏本人に忍耐力があっても、家族の忍耐力がそれと同等でなければ円満には行かないからだ。
家族というのは、世間から認められている夫(父親)が嬉しくもあり、自慢でもあるのだから。
いくら協力しても夫(父親)が世間から認められなければ、間接的に世間の家族に対する風当たりは強くなって、支える気持ちが折れるときもあるだろう。
これは何も小沢氏だけの問題ではなく、夫や父親の仕事(信念)をどこまで家族が共有出来るかという、私たちの家庭と同じ問題なのである。
そのような家族との関係が気になりつつも小沢氏が実現したかったもの。
それは「日本に真の民主主義を根付かせる」ことであったはずだ。
昨日の小沢氏の結党宣言では、憲法前文を引用して国政の原点を訴えていたし、各議員の自立と共生の理念から党議拘束も設けないということだった。
小沢氏の熱い想いを感じると同時に、やっと当たり前の感覚がこの党の基本になるのだなと思った。
蛇足だが、会場も憲政記念館だったことは、高級ホテルで優雅に船出するより良かったのかもしれない。
小沢氏は「政策の実現に向けて」新党を立ち上げたのであり、その実現のためには私たち国民が是とするなら支える行動をするのが民主主義である。
一人ひとりが政治を真剣に考え、考えた結果を行動に移す。
それが真の民主主義であり、小沢氏はそれを実現したいのだと思う。
明日も集まるであろう金曜日のデモは、国民の魂の叫びなのだから、私達は一人ひとりの手で民主主義国家の構築のために「今」何をするべきなのかを考えるべきだと思う。
小沢氏と行動を共にした政治家のうち、今は反小沢になったり、精気のない老人になっている人も多い中、小沢氏は次世代のことを考えて行動している。
小沢氏が若い人を育てて、「自分で考える」ことを植え付けようとされているが、なかなか今どきの若者はそれが苦手な頭脳をお持ちなので、小沢氏の目指す方向にどれだけの同士が精鋭に育ってくれるかは未知数だ。 
しかし、若い同士たちが立派な政治家に育って、日本にも真の民主主義の芽が育つことを望みたい。
そのためには一般の若者が反応する必要があるから、小沢氏はネットの世界を重要視していた。
ネットの世界では小沢氏の支持率は圧倒的に高く、大手マスコミの情報とはまるで逆転現象が起きている。
近い将来選挙が行われたら、新聞やテレビの流す情報を信じている多くの国民が「イメージ」で投票することになるだろう。
しかし今やネットは真実を伝えるツールとして最速の情報を提供してくれる。
もちろんネットの世界は玉石混淆だから、情報の発信源には注意しなければならない。
生で、皮膚感覚で政治に参加できる時代がこれからは来る。
政治は政治屋がするものではなく、私たち国民が政治を動かすことに、遅まきながら目覚めても良い時代なのだと思う。
あなたの1票は政治を変える1票になることを意識してほしい。
私は単純に思う。
この子らの寝顔に明るい未来を残してあげたいと。
 

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