マクロビオティックを理解するために 課題図書の感想文より

むそう塾の幸せコースでは座学の授業がありますが、最初に課題図書を読んでその感想文を提出してもらいます。
それはマクロビオティックを正しく理解するための導入部分で、この感想文提出のおかげでマクロビオティックに対する間違った認識を修正することができるからです。
今年の場合は6月に急にできた空席をNaさんが埋めることになり、2回目の授業から出席して必死に桂剥き投稿に挑んでくださいました。
その桂剥き投稿もやっと終わって、直ちに課題図書を読んで感想文を送ってくださいました。

その内容がとても素晴らしく、100点を差し上げたいくらいの出来ばえでした。
マクロビオティックを正しく理解してくださったようで一安心です。
彼女は某マクロビオティック指導校の通信教育を受けられていたのですが、そこでは陽性で締まっている体調と判断されて、もっと陰性な食事をするように指導されていました。
しかし、彼女は具合が悪くて寝込むことも多く、仕事ができない状態です。
一目で陰性状態だと判断できるほどだったので、鉄火味噌を上手に作れるようになったIsさんに頼んで、Naさんに鉄火味噌を送ってもらいました。
その鉄火味噌に救われてNaさんは何とか台所に立って桂剥きを完走することが出来ました。

マクロビオティックの一番危険なところは陰陽判断を間違うことです。
それを防ぐためにむそう塾では基本中の基本をしっかり身につけて欲しくて、お料理とは別に座学の時間を設けています。
実際の生活で使いこなしてこそマクロビオティックは活きてきます。
Naさんの感想文には私が伝えたいことが網羅されています。
8月4日から始まる「マクロ美風の陰陽落としこみ講座」では、その陰陽を日常生活の中でいかに具体的に気づき使いこなせるかに焦点を当てて解説します。
お楽しみに♪

*   *   *

<Naさんの感想文より>(原文のまま)

私が課題図書を読み、中でも特に思いが強かった事柄について
3つの章立てで 記述していきたいと思います。

1.マクロビオティックとは

マクロビオティックを知りむそう塾と出会うまで、私はマクロ
ビオティック=食事法だと思っていました。

しかし、マクロビオティックを実践するという事は、宇宙の秩序
に沿った生き方をすることであるという事を知りました。
ではその宇宙の秩序とは、記述によれば、無限から陰陽の二極が
生じ、この陰陽両極が絶えずぶつかり合いながら螺旋を生み、
陰陽正反対の動きを繰り返しながらバランスを取っている。
すなわち我々地球上に存在するものはすべて、人間であれば
頭のてっぺんから足の先まで、拡散の方向へ働く力・性質−陰と
収縮の方向へ働く力・性質−陽の動きを繰り返している、と
読み取りました。
この宇宙の秩序、すべての存在が陰陽を絶えず繰り返している
ことを理解し、陰陽で物事を考えて暮らしていくという事が、
マクロビオティックを実践していくことだと、
私はこれらの本から理解しました。
人間は食事を摂らなければ生きていけないですし、食べたもので
体がつくられる、血液の質が左右されることから、陰陽を
踏まえた食事法が重要ですが、マクロビオティックにおける
食事法はそれ自体が目的ではなく、健康を手にするための方法
であり、食事法に限定されるものではなく、生き方の指針である
と改めて思いました。
健康を手に入れて自分が幸福だと思う人生を
歩んでいく事、そこに自分がマクロビオティックを実践して
いく大きな目的があると思いました。

2.食事について

先程、マクロビオティック=食事法と認識していたと
書きましたが、その食事法とは、玄米(全粒穀物)を主食とし、
すべての食材を陰陽どちらかに分類し、調理法も考慮して
男性なら陽、女性なら陰の食事を心がけるもの、との認識でした。

この認識では、陰陽を物差しで考えていて、絶対的なものと
とらえています。しかし、陰陽は絶えず入れ替わり、相対的な
ものでした。すべてのことは変化する、絶対の陰と陽は存在
しない・・細胞は日々生まれ変わり、地球は回り続けて
全く同じ日が訪れることはなく、
それらを思えば陰陽が絶対的ではないとわかりそうな
ものでした。
しかし、どうしても知識として覚えることに重点をおいて
しまい、自分で体験し、体感していく事がおろそかになってしまう、
上手でないところが著しい偏食につながっていたと、今では思います。
(これは、現在の日本の教育そのものですね・・受験勉強の
ための知識偏重で、体感し学習する機会は与えられません。)

絶対的な陰・陽にとらわれていることで、だんだんと
自分の体の状態も正しく理解できず、「陰性を心がけて
いるはずなのに、どうして具合がよくないのだろう?
もっと陰性が必要なのだろうか?」となってしまい、
悪循環に陥っていました。

しかし必要なのは調和を求めること、陰性に偏らず、
陽性に偏らず、常に中庸になることにつとめることで、
そのためにむそう塾の(中川さんの)陰陽料理が重要で
あるとわかりました。

また、どうしても頭で考える癖が抜けず、己を知らず
無理をして体調を崩す傾向がある自分にとって、
健康の七大条件に自分の状態を照らして、日々の生活を
送り、振り返ることが必要だと思いました。
日々のお便りをきちんとチェックするとか、朝すっきり
目覚められるかどうかとか、そういったことも
おろそかにしてきたんだな、とこれまで(むそう塾に
出会うまで)の生活を改めて思い出しました。

結婚し出産してからの生活は、働いてはいたものの、
出来合いのものは味が好きではないので料理はしていました。
しかし、忙しいからと味噌汁は作らない、調理の時間を
短縮するために、自作の冷凍食品を仕込んで電子レンジを多用する、
(息子が離乳期のとき、おかゆをたくさん作って小分けにして
冷凍、食べさせるときはチンしていました。
今考えると恐ろしいことですが、時短テクという名で
子育て雑誌に書かれているのです。)
焼きさんまを出しても大根をおろすのが面倒だから添えない、
栄養満点と思い夕食は肉と魚両方のおかず・・
など、知らないことは恐ろしいことだと、今では思います。
これで体を壊したという事は、自然に沿った暮らし方を
してほしいという体からのSOSでした。
子供や夫に大きな不調が起きなかったことが救いです。

「『炊事する時間と、ご飯をゆっくり噛むひまがない人』は
幸福になれる見込みはありません。」という言葉は自分を含む
多くの現代人にとって重要な言葉ですし、
母親として「親は子供に対して、常に医者であり、台所の家庭薬局の
薬剤師でなければならない」という言葉は肝に銘じる必要が
あると思いました。

3.女性として生まれたことの意味

以前の自分は、フェミニズムや、ジェンダーフリーと
いった思想に大いに同感していた時期がありました。
極端に、自分の女性性を否定し、性的な役割(女は家庭、
男は仕事といった)を時代遅れと思い、男性並みないしは
それ以上に働いて稼ぐべきであると考えていました。
これは、受けた教育と、育った環境によるところが大きいと
思っています。
女性を家庭役割に縛りつけることが悪、という思い込みが
あったのです。
これは、最近まで少なからずそう思っていました。

男社会の、またほとんど男性ばかりの職場で男性と
同等に働き、夫とほぼ同じ収入を稼ぎ出すことが、
自分のアイデンティティを支えるのに重要なことだった
のです。

最近は、イクメンという言葉も流行っており、
幼い子供をもつ(主に共働きの)夫婦にとって、
「父と母の役割は、父が子に母乳を与えられない以外は
同じである」という認識が急速に広まっています。

しかし、自分が子供を育てていくうち、また会社で
少なくない数の女性が女性機能の不調を訴えている
(自分も含め)のを耳にするうち、男女の役割が
全く同じであるという事はないのではないかと、
これまでの自分の考えや、広まりつつある上記のような
通念に疑問を抱き始めました。
(男性も育児に参加することは、重要であると思いますが)
そして、その疑問に対する一つの回答が課題図書に
ありました。

男女がこの世において担う役割が全く同じであるなら、
「男」と「女」という別の存在である必要はないはずです。
それぞれがもつ能力と役割に違いがあるから、天は
人間(生物)を男と女に分けたはずです。

男性は、主に天のエネルギーを受けた「陽」の存在、
女性は、主に地のエネルギーを受けた「陰」の存在で
あり、陰陽二極の力が引かれ合い、調和を生む。
であれば、子供に対する役割、家庭で担う役割、
社会で担う役割は、男女で違って当たり前なのでした。

自分は、結婚・出産で女性のキャリアが中断されることが
非常に嫌で、また、自分勝手な父の奴隷のような母の姿も
重なって、今すぐ男性に生まれ変わりたい、と思って
いました。

しかし、大切な息子を授かり育てている今は、
女性であることをとても幸せに思いますし、
また、課題図書にあった「母性はすべての女性が与えられ、
子供への愛情、感情の豊かさはひいては人類存続に
対する本能(精神)なのです。」という言葉に
勇気づけられました。

子供がいようといまいと、女性自体が命を生み出す
性であることは間違いなく、女性として生まれたからには、
女性としての能力を活かして生きていく事が自分自身の
幸せにつながり、また社会の調和を実現していけるのでは
ないかと思います。

ずっと、何事も自分中心に考えていました。
子供を産んでもなお、です。恥ずかしい限りです。
(今でもそういったことは絶えず省みなければ
なりませんが・・)

しかし、こうしてたくさんのことを学ぶ機会を頂いた
今は、それは、何より間違っているし、せっかくの限りある
時間を無駄にすることだと気づきました。
親となったことは、宇宙全体から見たら命をつないでいく
役割を担ったという事だと思います。
また、健康な人間となり、女性としての自分の
能力を磨いて、「母」としての役割を家庭で、
社会で果たしていく事。
家庭の台所を預かることに、自信と誇りと責任を
持って生きていこうと、改めて決意しました。


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マクロ美風のある日の糠床

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私のある日の糠床です。
えっ(゚д゚)!と驚かれるかも知れませんが、これを混ぜ込んで何日か経ってから漬けた糠漬けは旨味が増していました。
なんというか熟女に近づいた感じです(/ω\)
旨味の出し方が少し理解できた気がします。

 


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桂剥きにおける「剥き2割 刻み8割」 そして鉄火味噌

今年も桂剥き月間が終わったので、98%の人はもう練習を続けていないかと思われます。
そこでちょっと面白い写真を。
勇気を出して希望を持っていただきたいから。

まずはIs(25−2)さんの最初はこんな感じです。
本当はこれよりもっと酷いレンガのかけらのような写真があったはずなのですが、探しても見当たりません。
まな板の上にバラバラとかけらが4つ5つあった記憶があるのですが・・・。
子象ちゃん最初

それなのに今年の桂剥き投稿の最後はこうでした。
子象ちゃん最終日
次はAr(28−4)さんの最初です。
夏目ちゃん最初

そして今年の桂剥き投稿の最後です。
夏目ちゃん最終

 

どちらも桂剥きのスタートは同じです。
お二人とも確実に成長していますが、Isさんの方が出来上がりが揃っているのには理由があります。
Isさんは今年の冬、鉄火味噌の復習を毎週していたのです。
昨年の鉄火味噌講座を受講されたかたは、毎週と聞いただけで鳥肌が立つかも知れません(笑)
そのくらい鉄火味噌の材料の刻みは緻密さを求められます。
つまりIsさんは長い直方体だけでなく、それをサイコロにする立方体の段階まで直線を追究したので、刻みが綺麗に出来るようになったのです。

桂剥き投稿が終わってから、私は中川さんに質問してみました。
桂剥きにおける「剥き」と「刻み」の技術的な割合はどんな数字になるのかと。
そうすると中川さんの口から「う〜ん、剥きが2割で刻みが8割。でも、それは難しいだろうから、剥きが3割、刻みが7割かなぁ」とおっしゃるではありませんか!
正直言ってもっと剥きの方が難しいのだと思っていました。

中川さんによると、桂剥きの大根を刻む時だけでなく、胡瓜でもキャベツでもハムでもパンでも、なんでも「刃に仕事をさせる」ことを意識しているかどうかが上達の秘訣だということでした。
ですから、まさに練習のチャンスは毎日あるわけなので、桂剥き投稿が終わってもなお、「刃に仕事をさせているかどうか」をチェックしながらお台所に立ってほしいと思いました。

切る行為がつい力任せになってしまう人がいますが、そうではなくてまずは意識の改革が必要なようです。
Arさんにその意識が備わったら、きっとIsさんを超える刻みが可能になることでしょう。
もしかしたら練習量はArさんの方が多いかも知れません。
しかし肝心な意識が不足していたのだと推測できます。
そこをIsさんは鉄火味噌の刻みから気づいたのでした。
みんなでIsさんレベルの刻みが出来るよう、日々の包丁仕事を意識しましょう。

 


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息子のお弁当箱二種類

昨日息子のお弁当箱を買うため、京都帰りにデパートに寄りました。
もちろん、お弁当箱売り場にはお気に入りのものがありません。
それで「木屋」に行くとありましたよ〜、目的に敵ったものが。

 
 

蓋の天板と本体の底板:木曽さわら
蓋と本体の側板:木曽ひのき
継目:山桜皮
塗装:天然漆
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仕切り板は取り外せます。
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木目模様が美しい。
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男性的な継目。
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漆の臭いを取り除くため、米糠を入れました。
あら、足りません^^;
では、反対側にはお米を入れましょうか。
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ところで、息子が高校時代から使っていたお弁当箱のうちの一つがまだ現役です。
10年目です。
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内側は漆塗りでとても使いやすいです。
もちろん、漆塗りの仕切り板もありますが、おかずは別に持たせて、こちらにはご飯のみを入れていたので、ほとんど使いませんでした。
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底もしっかり作ってあって丈夫です。
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一番のお気に入りはこのカーブ。
蓋に手をやると、なんとも言えないやわらかさがあって、そのカーブが手の内側にぴったりと馴染むのです。
「蓋を取る楽しみ」みたいなものがあります。
まるで初代iPhoneのあのカーブを思わせる心地よさです。
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息子のためにいくつお弁当箱を買ったことでしょう。
いつも目的にピッタリの物を探して愛情を込めて持たせるのは、母としての喜びでもあります。
高校生の男の子にしては渋いお弁当箱かも知れませんが、物愛ずる息子は抵抗なく持って行きました。
私の人生のうち、何年お弁当を作ることになるのか分かりませんが、いつもいつも息子の健康と安全を願いながら作っています。

 


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お料理を「美味しい」と言ってくれる人がいる喜び

昨夜京都から帰宅したら、塾生のHoさんからメールが届いていました。
夏の特別講座の復習をして、ご実家のご両親に召し上がってもらった時のことが書かれていました。
その内容がとても嬉しかったので記事にさせていただきます。

 

<Hoさんのメールより>抜粋

実家では最近はもう、中川さんに教わった料理を皆がすごく、期待してくれてます。
賀茂茄子のピザを焼いたところ、衝撃のおいしさだったようで、感激してくれました。
稲庭うどんがあったので、涼麺の出しを、うどんバージョンで作って持参したものも、大変に好評でした。
どちらも、胃に負担をかけないので、胃腸が疲れず身体が楽で、結果として、短気な父もあまり噴火せず、機嫌がよい。
というメリットもついてきて、母も喜んでいました。よかったです。

周りが喜んでくれると、自分が嬉しくなり、ほのぼのします。
生きるって、こういうことなんだ、このささやかでかけがえのない喜びの積み重ねなんだと、感じます。

一人の今を嘆くことなく、つながりを大切にしたいと思いました。

 

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(温泉玉子の黄身はこんなふうにまん丸く作る。 料理:中川善博)

 

最近の彼女はお料理にどんどん意欲が出てきて、こんなに素敵な「温泉玉子の西京漬」まで作りました。
そうして、お料理が苦手だった彼女はもう過去の人になってしまいました。
素直に中川さんに教えられたお料理を作っているうちに、そのお料理を召し上がってくれた人が喜んでくれる喜びを知りました。
その喜びは彼女に大きな力となったことでしょう。

「美味しい」と言ってくれる人の存在。
たった一人でもいいから、そんな人の存在で人は強くなれるんです。

 


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