「中川式鉄火味噌の食べ方(嬉しいお知らせつき)」の記事にいただいたコメントのお返事が長くなりますので、記事にさせていただきます。
<ともこさんからのコメント>
美風さん、こんにちは。
まだ鉄火味噌の講座に参加できていない私には、その大変さを実感として理解することはできませんが、美風さんのお話を読んでいるだけで伝わってくるものがあります。まだまだ何もわかっていない私だったら…….一体どこまでできるのだろうか、と思ってしまいます。きちんと氣を込めて鉄火味噌を作ること…..想像を絶することなのでしょう。お料理を通して学ぶことって、いつまでも尽きることがないんですね。自分が学ぶだけでなく、分かち合おう、人の役にたってほしい、という子象さんの心が素晴らしいです。自分もそうでありたいと思いました。
素晴らしいお話を有難うございます!
<マクロ美風からのお返事>
ともこさん、こんにちは。
むそう塾ではマクロビオティックの本当の心をお伝えしたいと思っています。
そうすると当然のことながら、「独り占め」はあり得ないのです。
これはマクロビオティックの基本中の基本の姿勢になります。
いえ、マクロビオティックでなくても、おおよそ人間の生き方の基本に独り占めはないのです。
でも、そうする人は日常的に見かけますし多いです。
多いから正しいのではなく、多くても間違っています。
人間も企業も社会に還元できているかどうかが成熟の度合いになります。
自分さえ良ければいいという考えしかない人は独り占めします。
でも、周りの人にちょっとでも気を配る気持ちのある人は、決して独り占めはしないでしょう。
そういう気持ちのある人っておつき合いをしていても気持ちが良いですよね。
そのことなんです。
人間は一人で生きるのではなく、周りの人たちと一緒に生きているのです。
仮にその意識がなかったとしても、現実には周りの人たちの影響を受けつつ生きているのです。
ですから、「その周り」に還元しながら生きるのが当たり前です。
もし還元なしで生きれば、いずれその人は自分で自分の首を締めることでしょう。
わかりやすい例としてお食事風景を考えてみましょう。
バイキングの会場で、我先にと自分のトレーに山盛りのお料理を食べきれないほど載せる行為は見苦しいですよね?
餓鬼道の世界で一番卑しく感じます。
あるいは、バーゲン会場で人を押しのけて隙間から取り合う行為も見苦しいですね。
そこには他者を思いやる気持ちのかけらも存在しません。
人間としてはどちらも見たくない行為です。
そんな当たり前のことですが、今の日本では堂々と行なわれています。
もともと日本にはなかった光景で、自分のことしか考えていません。
特に日本人は「和」を大事に出来る民族ですから、弱肉常食の異文化に慣れて「分かち合う」心を忘れては哀しすぎると思います。
マクロビオティックではそれを陰陽で説明し、「分かち合い」が人間の生き方の基本であることを教えています。
ま、難しく考えなくても、「お互いさま」とか「お先にどうぞ」という気持ちを大切にして生きていたら、それで良いのではないでしょうか。
桜沢如一氏の提唱した「健康の七大条件」の6番目にある「万事スマート」は、上記のような場面でも当てはまります。