夫が入院した7月17日から、息子は京都に来れなくなってしまった。
1か月半毎日病院通いを続け、夫が退院してからは、24時間体中の細胞を耳にしているような暮らし方を2か月間続けている。
「そんなに神経質にならなくても、もっと距離をとってもいいよ」と伝えているのだけど、性格がそれを許さないらしい。
病人になった人も大変だけれど、介護する人も大変なのが現実だ。
だから、介護する人の気持ちをよく理解して、息子には昼となく夜となくフォローに努めている。
それでも、堰を切ったように泣き出すこともあって、息子も相当疲れている。
夫がリハビリに向き合う姿勢と、息子が考えているリハビリにギャップがあって、自分が父親を助けたい気持ちが空回りしてしまうことがとてもつらいようだ。
よく分かる。私だって同じ気持ちだから。
でも、リハビリは究極的には、その人の生き方に対する姿勢がそのまま反映されるものだと私は感じている。
周りがどんなに良いと思ったことでも、本人にやる気がなければ実行しない。
いわゆる「笛吹けど踊らず」状態になる。
あるいは、周りの人には分からない、本人だけが感じる倦怠感のようなものがあるのかもしれない。
何種類もの薬を飲んでいるから、その影響でやる気が全開にならないのかもしれない。
病人本人は、「もっと俺のこと(状態)を理解してくれよ」と思っているかもしれない。
きっとストレスでいっぱいになっていることだろう。
もともと饒舌に話すタイプではない夫は、本当のところはどのように考えているのか不明だ。
今日帰宅したら、夫の本当の気持ちも理解できるように努めたいと思う。
そして、介護で神経がピリピリしている息子にも、休息の時間を与えてあげたい。
子育てと違って、先(今後)の予測がつかない介護は、周りの人を限りなく暗くさせるものだと実感。
その中で、私は両者のバランスを取って、どちらにも応援の手を差し伸べたいと思っている。
下の写真は、夫が退院した9月1日に、職場に顔を出すため信号待ちをしているところ。
すっかり痩せて筋肉は著しく衰え、弱々しい夫になってしまった。
息子が手に持っているのは、もう一つの杖で、どちらが良いか試すため。
