桂剥き 人それぞれ

先日「庖丁研ぎと切り方講座」を開催したのですが、スピードキングのHさんはもう剥く大根がなくなってしまいました。
そこで中川さんが持って来たのがこの大根。

あまりの太さにHさんはもうビックリ!
ただただ笑ってしまいます。
だって、普通の大根に比べてこんなに太くて長いんですよ。

これは京都のすぐき農家さんが無農薬で育てたもので、少し前にもらったもの。
ちょっとしんなりしていて、桂剥きをするには剥きにくいのですが、そこは挑戦欲旺盛なHさんのこと。
黙々とこの太い大根を相手に剥き始めました。
余りにも太いのでなかなか剥き終わりません。
もう時間切れで私がストップをかけたのですが、Hさんとしてはもっと剥きたかったことでしょう。
それでもこんなに長く剥けました。

まだ巻いたものを右手に持っていますから相当長いです。
そのHさんが剥いた今朝の桂剥きはこんな感じです。
そうそう、真ん中にいるKさんの今朝の桂剥きはこんな感じです。
一方、独走しているのはAさん。
今朝のAさんはこんな見事な桂剥きをしながらも、中川さんの求めに応じて自分目線で動画を撮ってくださいました。
急に違った角度で撮影しても、違った場所で剥いても、安定した剥きが出来ています。
つまり環境の変化に動揺していません。
これがAさんの素晴らしいところです。
また、桂剥き投稿が初めてのHoさんは、緊張する性格ながら凄い頑張りをみせてくれています。
彼女の愚直なまでの頑張りに教えられた人は多いことでしょう。
さらに素晴らしい腕をもちながらも練習量が少ないために、その力を充分に反映させられていない人もいます。
素晴らしい指導者に出会っていながら、そのチャンスを活かさないのは実に惜しい。。。
もっと陽性な生き方をしてほしいなと思います。
桂剥きでは練習量も大事ですが、精神面のありようがはっきりと反映されるので、まな板に向かう前に氣を調えてイメージをして、それから庖丁を持ちましょう。
そうでないと指を切って怪我ばかりすることになります。
そのために中川さんの桂剥き動画桂剥きの向こう側初期の動画があります。
これらを繰り返し見て、Air桂剥きをしてください。
このイメージングの効果を信じない、あるいはなめている人がいますが、とんでもない間違いです。
明日(24日)の24時で2月に受講された人の桂剥き投稿が終わります。
そしてまた明日の講座を受講される人の桂剥き投稿が始まります。
締切日の4月23日まで、どんなドラマが待っているのでしょうか?


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料理の奥深さ(3) 技術

物を切るって誰でもしていることなんだけど、これまた奥深い。
きっとどの分野でも切ることは重要な意味を持つと思うけれど、料理における「切る」行為はかなり重要だ。
それは料理の出来上がりの見映えだけでなく、味をも左右するからである。
そうであるがゆえに料理の修業に入った人は、切ることをとことん極めるんだね。
中川さんがおっしゃってたなぁ。
桂剥きのとき、これでもか、これでもかと思うほど練習をして先輩にみてもらうと、「よう練習したなぁ」と言いながらゴミ箱に捨てられるのだとか。
もちろん合格ではない理由は告げられぬまま。
それでもめげずに試行錯誤しながら練習をして持って行くと、ある日突然「水にさらしておいて」と言われて合格になるのだそうな。
その練習量は半端なものではないそうだけど。

相当レベルの高い世界の話だけれど、そうやって技術は向上して行くそうだ。
修業の厳しさをむそう塾で押し付けることはまったくないけれど、高度な技術を身につけるには大なり小なりそんな側面はあるように思う。
やはり練習に始まり練習に終わるのだなと。

落ち込む前にそれだけの練習をしたのかと自分に問わなければならない。
技術を身につけるには自分と向き合うことが不可欠だ。
それはその人の人柄であったり、育ち方であったり、生き方であったり、癖であったり、そんな諸々のものと向き合って、一つひとつを克服して行かなければならない。
往々にして「善い」要素の多い人が高いレベルを身につけられそうに思ってしまうが、そうは問屋が卸さないのが現実社会の面白いところだ。
人間的には難ありと思える人でも高い技術を身につけていたりする。
では、穏やかで凪の心でなんて言っているのは意味がないではないか?
いや、それは確かに意味があるのである。
重要である。
つまり人間には善い面も悪い面もあって、仮に悪い面が多くても、練習量がそれをカバーしてしまうこともあるという現実だ。
中川さんがよく口にされる言葉に「練習は嘘をつかない」がある。
ただ数をこなすだけの練習ではなく、一つひとつの練習を意味あるものとして回を重ねれば、それは「善」に近づくのかも知れない。
技術というものは誠に面白いものだ。


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料理の奥深さ(2) 庖丁を砥ぐ

今はステンレスの庖丁が出まわって、庖丁を砥げない人が圧倒的多数になってしまった。
仕方ないよね、学校で刃物から遠ざけるような指導がなされている時代だもの。
家には庖丁やまな板ややかんがない人もいるのだとか。
それはコンビニ食があるせいなのかも知れない。
しかし太古の昔から「切る」行為は生きるために不可欠だった。
今の私たちはどんどん「生きる」ことから遠ざかった暮らし方をしているように思えてならない。
むそう塾では幸せコースの最初の授業で庖丁の砥ぎ方を教える。
それは単に庖丁が研げるようになってもらうためだけではなく、庖丁の構造を知ってもらいたいためでもある。
食材を切ったり剥いたりするためには、まず庖丁の刃をよく理解しておかなければならない。
その上でどのように動かせば目的を達することができるのかを知ってもらうためである。
しかしこの庖丁砥ぎが結構難しい。
力で砥ぐと思っている人が圧倒的多数で、それゆえに男仕事と思っている人も多い。
ところが砥ぐ行為に力は有害ですらある。
優しく凪の心で砥石の泥で砥ぐ。
あとは平らを保つだけ。
これがまた難しい人がいる。
日常的に平らというのをあまり意識していないのかも知れない。
そのような場面が日常的にないのかも知れない。
今は義務教育でも重要視されなくなってしまったが、お習字をする前に硯で墨をする行為は、「書く」という行為以上に大事なことなのだと思う。
硯の陵(おか)の中央を凹ませてしまわないで墨をするのと同じように、砥石も中央が凹むような砥ぎ方は間違いである。
これでは絶対に正しい刃に砥ぎ上がらない。
学校で教えなくても、生きるために必要なことは教える。
それがむそう塾のスタンスだ。
中身のある人間になるために。


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料理の奥深さ(1) 買い物

上級幸せコースのメニューを急遽変更したときのこと。
授業に使う食材が入手できるかどうか怪しい状況の時があった。
中川さんがその食材を調達するまでのご苦労は、まさに中川さんだからこそ出来たのだなぁと思った。
何軒ものお店をまわって、やっと中川さんのお眼鏡に敵う食材を見つけ出してくださった。
幸せコースの授業でも中川さんがおっしゃっていたけれど、「料理は買い物から始まっている」ということを改めて深く感じた。
まず頭に作りたいお料理を浮かべて、そのお料理に必要な食材を買うとき、そこにはもう「どのように切るか」ということが決まっていなければならない。
そしてそれにふさわしい食材を調達する。
私たちはお料理というと、つい台所に立つところからスタートと思いがちだ。
しかしお料理はもっと先から始まっていることを覚えておきたい。


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照明器具の選び方「家事アドバイス講座42」

【Sa(56−1さん】
おお、家具の移動をされましたね。
なかなか良い雰囲気になりました。
ただしこの場合、椅子のすべりが悪いでしょうから、下をカーペットに変えて、椅子の脚先に「カグスベール」の椅子用のような物を貼りましょう。
また、照明器具はペンダントライト(吊り下げ型)は避けましょう。
地震があった時に揺れて、思わね怪我をすることがあります。
天井も高くないとのことなので、シーリングライト(直付け型)を選ばれた方が安全です。
たとえばこんな感じですね。
暗い所での読み書きは目のためにも良くありません。
早く買い求めましょう。
 


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