昨日、かつてのマクロビオティック仲間が亡くなったと知らせを受けた。
会議中に倒れて救急者で搬送、そのまま亡くなったそうだ。
2021年2月16日午後6時20分頃死亡、「致死性不整脈」、56歳。
若すぎる死だ。
彼と初めて会ったのは、2005年8月3日の「マクロビ井戸端会議」だった。
その日から、彼には本当にお世話になった。
面倒見がよくて、物腰が柔らかくて、あり余る知識を鼻にかけることもなく、ダンディだった。
とても繊細な神経の持ち主で、いわゆる「気が利く」タイプだった。
一口でいうなら「飄々」とした人だった。
彼の良い陰性さは、「拡げる」ことに向いていて、その後「マクロビ井戸端会議」をどんどん展開していった。
東京に単身赴任中だったこともあって、仕事以外に時間を費やすことができたようだ。
ともにアトピーの子どもがいたので、マクロビオティックの考え方で治そうと頑張っていた。
お酒の強い彼とは、よく飲みに行った。
よく語った。
どんなに飲んでも乱れることなく紳士だった。
お酒を飲みながら熱く語っていたら終電に遅れ、とにかく眠いのでホテルに泊まったこともある(笑)
ブレックファーストを食べながら、「恋人みたいだね」と大笑いをしたことがある。
夫にそんな話をしてビックリされたものだ。
当時、ブームになりかけていたマクロビオティックのことを彼と話すときは、いつも夢があって、楽しくて、だから時間がいくらあっても足りなかった。
夢を語り合うのはなんと楽しいことだろう。
そんなことを彼が教えてくれた。
2008年からむそう塾を始動するにあたり、彼と会うこともなくなっていった。
彼は会社を辞めて、大阪で新しい仕事を展開していた。
相変わらず夢を実現しながら、さらに作戦を練っていた途中の旅立ちだったのだろう。
それにしても早すぎる。
私よりお若い人が逝ってしまうなんて……。
私は何をしているんだ!
歳だけ重ねていないか?
そんな気持ちになった。
なかなかさん、ありがとう。
そして、さようなら。
美風さん、こんばんは。ご無沙汰しております。
美風さんのブログのタイトルが目に入り、タイムリーさが気になって拝読したところ、まさに中崎さんの訃報で大変驚きました。とても濃い時間を一緒にされ、夢を語り合う同志でいらっしゃったのですね。
彼と私たち夫婦との出会いは2013年です。それ以降、大阪での生産者マルシェの運営を支えてくださったり、自然食品店さんとのご縁を繋いでくださったりと、随分お世話になりました。
まさに美風さんの書かれた通り、飄々として物腰が柔らかくて、また面倒見の良い頼もしい方でした。私はしばらくご無沙汰していたのですが、夫はつい先月までお会いしており、ずいぶんショックを受けています。
もう会ってお話ができないというのが大変残念であるとともに、彼と出会えてその姿から学ばせて頂けたことが、本当にありがたかったなと思います。
みそっ娘ちゃん、こんばんは。
はい。彼は大切な同志でした。
年齢は私の方が上ですが、彼からはいっぱい教えてもらいました。
彼との濃厚な時間が、私のマクロビオティック観の土台になったことは間違いありません。
社会の第一線で活躍される人のスピーディさも、彼から教わりました。
ありがたいことです。
彼は本当に面倒見がよかったですね。
そして、優しかったです。
内面にはしっかり陽を抱えて、外はほどよい陰性さを持ち合わせて、まさに人と人をつなぐのにピッタリだったと思います。
ですから、彼に感謝している人はいっぱいいると思います。
みそっ娘ちゃんご夫妻も、彼と出会えてよかったですね。
それにしても惜しい人を亡くしてしまいました。
美風さん、おはようございます。
美風さんの書かれているのを読むにつけ、本当に惜しいという思いが募ります。
私たち夫婦が存じ上げていたのは、中崎さんのほんの一面だったかもしれませんが、そこで見せて下さった在り方を胸に刻んで生きていきたいと思います。
みそっ娘ちゃん、おはようございます。
中崎さんは東京に単身赴任中なのに、お子さんのアトピーを治してあげようと、マクロビオティックを学び始めたのです。
それだけでも優しいお父さんですよね。
そして、金曜日に毎週神戸に帰宅されていました。
私が「毎週帰るのは大変ですね」と言うと、「いえいえ、家族はもっと大変ですから」と言って。
静かだけど行動力のある人でした。
幸之助イズム(松下イズム)がしっかりと根づいていたためかも知れませんが、接客姿勢が見事でした。
なるほど、そんな経緯がおありだったのですね。中崎さんの話しぶりや表情まで目に浮かぶようです。
彼のお人柄をいま改めて伝えて下さり、ありがとうございます。
みそっ娘ちゃん、こんばんは。
お互いに素晴らしい人とご縁がありましたね。
この出会いを大切にして、次へとつなげていきましょう。