昨日Twitterで素敵な写真を見つけました。
イナガキヤスト(@inagakiyasuto)さんという方のTweetです。
著作権の問題があるでしょうから、ここにその写真は載せませんが、ぜひ飛んでみてください。
「富山が春に本気出すとこうなる。(タップしてね)」という言葉とともにアップされたTweetは、実に美しくてすぐリツイートしました。
写真:イナガキヤストさん(@inagakiyasuto)
(ご本人から許可をいただきましたので、お写真をリンクしました。 5/1追記)
Instagramにも構図の違う写真が載っています。
https://www.instagram.com/inagakiyasuto/
すると、富山で育った塾生さんからこんなTweetがありました。
「この立山連峰が屏風のようにいつもありました。自宅の窓からも小学校の窓からも、、外からでも常に見えてて空気のようでもあり、心洗われる存在でもあり、でした。」
おお、さすがは詩人の塾生さんらしい表現です。
立山連峰が屏風のように・・・。
そこで私も思いました。
私は北海道十勝の生まれ育ちですが、西に日高山脈、北に大雪山、東に雄阿寒岳・雌阿寒岳、南に太平洋と、三方が山に囲まれた土地でした。
ですから、私にとっても山が屏風のようだと感じていました。
それで、あの屏風を越えたい、越えたいと思って育ったわけですが(笑)
故郷には冠婚葬祭でしか帰らない私ですが、飛行機や列車の窓から故郷の山が見え始めると、「ああ、帰ってきたんだなあ」と妙に安堵します。
ネットでも、何かの折に故郷の山が写っていると、すぐクリックしてしまいます。
山って、それほど人にとって大きな影響を与えていたのだなと、故郷を離れてから強く思います。
あなたの目にはどんな山が映っていますか?
もしかしたら海でしょうか?
こんな時期だからこそ、遠くの景色に思いを馳せて、心静かな時間をたゆたいものです。
美風さん、こんばんは。
懐かしい風景を記事にしていただき、ありがとうございます。
幼い頃から「富山に災害が少ないは立山連峰が守ってくれているからだよ」と
言い聞かされて育ってきただけに、あの3000メートル級の山々の向こうの世界に
思いを馳せたことすらなく、、
ただただ、厳しくもあり穏やかでもあるその姿に守られていました。
山の存在と関係あるのかないのか、当時はなぜか、地震も殆どなく。。
雄大な山々と、見渡す限りの水田を、春にはチューリップの一面の畑をと、
豊かな自然に育まれてきたことの意味を、今この時だからこそ、感じています。
そして、詩人になれて嬉しいです。これからも想い馳せていきます。
富山で育った塾生さん、こんばんは(^_-)-☆
なるほど〜、屏風も人それぞれの受けとめ方ですね。
好奇心の強い私は、どうやら屏風を越える方に気持ちが動いていたようです。
住んでいるときには当たり前だったことでも、その土地を離れてみると色々気づくことがありますね。
そして、年齢を重ねてから当時を振り返ると、そこで育まれた自分の内面や肉体が愛おしく思えたりします。
お互いに、良い故郷を持てて幸せですね。
あ、そうそう。
中学時代の私は、カール・ブッセの詩が大好きでした。
山のあなたの空遠くというあの詩です。
あの詩の深い意味も知らずに、「山の向こう」に幸せがあると思ってしまったのでしょう(笑)
それで屏風を越えたかったのだと、今なら理解できます。