むそう塾では授業の後に30分間のフリータイムがあります。
中川さんや私に相談する人も多く、それぞれが本音で語り合えて私の好きな時間です。
私がよく相談されるのは体調や人間関係のことなのですが、先日もちょっとした皮膚のトラブルで相談がありました。
その時に思ったことは、「ああ、何も出ないことを良しとする思考なんだな」ということでした。
つまりそれは、体にいらないものが外に出てくる状態を受け止められない思考なんです。
いつもツルッとした皮膚にしておきたいんですね。(それは女性の本心だと思います。)
風邪をひいたら薬を飲む、痛かったら痛み止めを飲む、痒かったら痒み止めを塗る、あるいは薬を飲む、注射を打つ・・・、とにかく体に起こる症状を全部消そうとする生き方をして来たんですね。
そうではなくて、体はいろんな症状をサインとして送ってくれているのだと解釈ができたら、精神的にずっと楽になります。
そうして、すぐ薬に手を出さず、少し様子を見てみようかなと思えるようになります。
不調は不意に襲って来るように思う人が多いのですが、不調になる前には何かしらの原因があると思った方がよいです。
食べ過ぎであったり、食べ物の偏りであったり、極端な冷えであったり、極端な寝不足であったり、強いストレスであったり、極端なお金の心配だったり、枚挙にいとまがありません。
健康のことをなーんにも勉強しないで、自分の体のことを他人任せ(医者任せ)にするのではなく、少しは健康の勉強をして体にあらわれる症状を観察できるようになりたいですね。
その手段はいくらでもありますが、私の場合は20代から始めた野口整体がとても役に立ちました。
今はこの協会の運営方法が様変わりしてしまったようですが、創始者の野口晴哉氏はたくさんの本を書いているので、その本を読むだけでも勉強になります。
「風邪の効用」は名著です。
子育て中の人にはぜひ読んでいただきたい本です。
野口整体では食べ物のことはある程度までなので、私はその後マクロビオティックに出会って、これで車の両輪になると思いました。
体調を食べ物でコントロールできれば鬼に金棒ですが、マクロビオティックとて万能ではありません。
マクロビオティックの考え方が合う人もいれば、合わない人もいるので、そこは人それぞれでご自分に合った考え方を採用されれば良いでしょう。
ただ、野口整体もマクロビオティックも体の自然治癒力を重要視して、その力を高めるための考え方なので、その点で両者は共通しています。
一方は身体から、一方は食べ物から入っていくので、健康という山の登山ルートが違うだけですね。
ちょっと私の前置きが長くなってしまいましたが、内海聡医師の記事で健康に対する基本的な考え方をご紹介します。
そもそも健康って何なのか?ということですね。
* * *
(転載はじめ)
<健康でないことこそが人間として当然である>
人間は常に不調を感じ、愚痴をこぼし、その不調と付き合いながら自然に生き死んでいくものである。今の時代は毒だらけの時代でもあり、こんな時代と世界の中でいつも好調であれば、そっちの方が頭も体もおかしいのだと考えられるかどうかが重要だ。セラピストなどでもとにかく症状を消してあげたいという人が多いが、そんな発想は医学者がやっている対症療法となにか違いがあるだろうか?
私自身について考えてもいつも体の不調は感じているものなのだ。何かあればここが痛い、何かあればここが変、何かあれば寝れなかったり途中で起きる、そんなことは日常的なことだ。現代の忙しい社会において、理想的な健康体などというものはどこにもあるはずはない。現代の人々は、「健康じゃなくても、生きてればいいや」とはとても思えないのである。「常に何の不調もない状態が健康」という考え方自体が、「彼ら」に洗脳されているということに気づかない。それが医療化を生み医原病を生み、さらなる不健康をもたらす。
つまり、その症状はあなたのセンサーそのものであり、生きている証明であり、なければいけないものなのだ。
たとえばあなたが下痢をしたとしよう。その時に多くの一般人は下痢を何とかしたい、止めたいと考える。しかしその下痢はばい菌を外に押し出すための防御反応であり、それを止めると病状は長引いたり悪化したりするのだ。そうではなくその症状は必然であり、その症状を大事にしながら脱水やミネラル不足や体力低下に気を付けて、下痢が自然に収まるのを待つことが、実際は最も人体の治癒にとって有効なのだ。
もちろんここでも全ての代替治療を根こそぎ否定する気はない。西洋医学でさえ救急医学や産婦人科学の一部などには大いなる価値がある。しかしどんな治療であってもこの考え方は非常に重要なのである。その症状を安易に治そうと思うからこそ医学の奴隷になる。健康と名ばかりの「症状がない状態」を追い求めるからこそ、いろいろな商法が生まれ詐欺も発生する。本来、治療の目的は病院を卒業することにあり、その不調が自然であると悟ることにこそあるのだ。
(転載おわり)
(風邪の効用 野口晴哉著)
美風さん、こんにちは。
昨日丁度、人間は不調があるからこそ調和を実感できるのであって、生命力を発揮して生きる為には不調は不可欠でありがたい状態なのだな〜、なんて考えていました。
ですのでとてもタイムリーな記事で嬉しく読ませていただきました。
>「ああ、何も出ないことを良しとする思考なんだな」
これは診療中にしばしば感じることです。
ちょっとした症状で受診され、治療を必要としない状態であると説明しても納得されず、どうにかして下さい!と訴えられる方。
思考が固まってしまっていてそこから動けなくなっている感じを受けます。
おそらく生活のあちこちでこのような反応をされるのでしょうから、生き辛そうだな。。。と思ってしまいます。
私自身は体調のことではありませんが、人生のなかでいろいろな難題にぶつかって、それでも必死にもがいて、そのいろいろがあったからこそ今の自分に行き着けたと思える部分があります。
困難(不調)があったからこそ楽しい今(調和)があるのだから、不調は私の人生に欠かせなかったと思えます。
例え進行した悪性の病気の患者さんでも非常に安定した波動を感じる方がいらっしゃいます。
私もお話していて、とても穏やかなエネルギーを受け取ることが出来ます。
体が不調でも精神が健全であれば、その逆より価値があるように思います。
現代社会において環境に影響を受けずに生きることは不可能であることを考えれば、内海医師の述べている通り『理想的な健康体』はあり得ないのかも知れません。
しかし体の不調があってもそれを受け入れらる柔軟で健全な精神があれば、それで人間として十分なのではないかと思うのです。
てんこさん、こんにちは。
>ちょっとした症状で受診され、治療を必要としない状態であると説明しても納得されず、どうにかして下さい!と訴えられる方。
いますね〜、こういう人。
おそらくこういう人が圧倒的多数なのではないかと思います。
自分の体なのにお医者さんに丸投げしてしまうのです。
そういう人は他のことでも丸投げだったりするので、私は「丸投げ人生はやめましょう」と声を大にして言っています。
でも、なかなか丸投げは改善されません。
もう思考回路がそのように出来上がっているんでしょうね。
ですから、そこを変えて行くのは並大抵なことではありません。
でも、たまーには打てば響く人がいるので、諦めずに言い続けていますが(^^)
>困難(不調)があったからこそ楽しい今(調和)があるのだから、不調は私の人生に欠かせなかったと思えます。
私も過去に同じような波がありました。
不調があったからこそ調和が取れた時には喜びも大きいし、達成感もあります。
それでいいんだと思います。
>体が不調でも精神が健全であれば、その逆より価値があるように思います。
てんこさんのおっしゃるとりですね。
体は調子よくても精神が健全でない人は本当の健康人ではありませんもの。
桜沢先生が「病名はあっても心は病人でない人がいる」ということを本に書かれていましたが、それが人間としての生き方そのものだと思うのです。
そして、体調が万全でなかったとしても、いや、だからこそ本物の生き方が出来るのかもしれません。
「体の不調=陰性」だからこそ「精神の健全=陽性」を強く求めるのが、自然な陰陽バランスなのだと思えます。
そしてそれは、むしろ人間の本能のはずだと思うんですけどね。
ですから、その無意識の陰陽バランスをもっと多くの人が取れるようになれたらいいのになと思います。