私は中学生の時、気に入った文章を紙に書いて部屋中に貼り付けていました。
壁にはもうそのスペースがなくて、天井にまで貼って文字だらけの部屋に寝起きしていました。
活字が好きだったので、その環境がとても落ち着いていたのです。
先日ふと夏目漱石の草枕の冒頭を思い出しました。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
この文章に初めて出会った中学生当時は、よく解らないままこの文章を諳んじて、人生に夢を託していました。
芸術への夢でもありました。
でも現実はそんな生易しいものではありません。
今ではこの場面にピッタリの経験をいくつもして、お腹の底から納得できる自分です。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
特にこの部分は本当に納得です。
今でも日々この場面が出てきます。
私の人生は一口で言うと「情に棹さして流された」ことの連続でした。
意地を通し切るほどの強さもなく、智に働く人の角に苦しみながら解決策を探ったこともありました。
でも今こうしてマクロビオティックの陰陽で人生をみてみると、この草枕の文章も違った意味で納得できるのでとても面白いです。
漱石の世界の一部を覗いただけでも、マクロビオティックと相通じるところがあって感心します。
普遍性ですかね。
(京都駅にて)
美風さん、こんにちは。
すてきな記事をありがとうございます。
私が草枕に出会ったのは、小学生の頃でした。
学校の図書室でふと気になり手に取ったものの、難解過ぎて読み進められず、それでも冒頭だけは強烈に心に残っていました。
中高、そして学生時代の私は音楽を勉強しており、芸術を寛ぎや長閑なものと感じるほどの余裕はありませんでした。
が、その後音楽を一旦離れ、働いたり子育てをしながら社会の矛盾や裏側を垣間見ることになり、上手く対処できずに息苦しくて仕方のなかった頃にはふと、芸術だけは嘘をつかないのだと感じたりもしました。
そして今、束の間の命を愉しむということを、むそう塾で学ばせていただいているような気がします。
冒頭だけでも、久しぶりに読むと、一つ一つの言葉にこうして自分の様々な時期を思い出しました。
お腹の底から納得というレベルには、私はまだまだ届きませんが、この文章の普遍性、こんなにも的確に言葉にされた夏目漱石という人の凄さを改めて感じました。
草枕、また読んでみようと思います。
さとみさん、おはようございます。
おや、さとみさんは小学生で草枕に出会われたのですね。
今は違うのでしょうが、私が読んだ頃は旧字体でとっても読みにくい本でした。
もちろんルビもなく。
慣れてしまえばその文字も気にならなくなるのですがね。
芸術は癒しになるし、そこからいただく感動は新たな勇気を生み出します。
心の潤いとしても絶対に必要です。
さとみさんのその柔らかさは音楽から来ているのかも知れないですね。
納得です。