昨夜、ある政党のパーティーに出席してきました。
毎日超多忙な私なのですが、この日だけは関心のある政治のことに時間を当てたかったのでした。
その政治家は私が独身のころから応援しているので、何回も彼の話を聞きに出かけていましたが、昨夜の彼は4,250名と発表された参加者の数に感動している様子でした。
彼の魅力はひと言でいうとブレないことです。
己の理念のために突き進むところと、恐ろしいほどの沈黙を守れるところが、人間的に見てとても惹かれるのです。
彼の沈黙には色々な理由があるでしょうが、それは相手のことを思っての沈黙もあるようです。
たとえ自分が不利になろうとも、相手のことを考えて黙っている。
これはなかなか出来ることではありません。
この態度は信用を得ます。
私はこんな生き方が好きです。
反対に自分の意見を口にする方が「その時」には気が楽です。
しかし、長い目でみると口にした方が面倒なことになる場合もあります。
「口は災いの元」という言葉もあるとおり、口数の多い人はとかく失敗につながるケースも多いように感じています。
だからといって自分の意見をあまり口にしないのは意思の疎通を欠いて良くありません。
必要なことはきちんと口にするけれども、それは決して感情任せであってはならないし、ましてや相手を非難する言葉は慎むべきですね。
マクロビオティックの陰陽で考えても、沈黙には陽性の沈黙と陰性の沈黙があります。
陽性の沈黙であるためには、陽性な心身が必要です。
陽性だからこそ黙っていられるのです。
私の父もそんな人でした。
口数は少なかったけれど、その分父に言われたひと言はとても印象が強く、私が高校生の時に言われたひと言でもズシンと胸に響くものがあります。
なんというか言葉に重みがありました。
忍耐。 それは陽性な沈黙が出来るために必要なことでしょう。
忍耐は長いスパンで物事を考えられなければつらいだけとなります。
でもずっと先のことを考えての「今」ととらえれば、つらさも半減します。
いつも目先のことで行動するのではなく、先を見据える目をもちたいものです。