ある時には自分自身に、ある時には子育てに、ある時には物づくりに、ある時には人を育て導く者に、ある時には生き方として、それぞれの立場で感じることがいっぱい詰まっていて同感することしきりです。
むそう塾でいつも話していることとオーバーラップする内容もたくさんあります。
ほんまもんの言葉をいくつかご紹介させていただきます。
あなたの心の一滴になったら幸いです。
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◆初め器用な人はどんどん前へ進んでいくんですが、本当のものをつかまないうちに進んでしまうこともあるわけです。だけれども不器用な人は、とことんやらないと得心ができない。こんな人が大器晩成ですな。頭が切れたり、器用な人より、ちょっと鈍感で誠実な人の方がよろしいですな。
◆見習いは一所懸命、仕事をおぼえるわけです。木を見て、道具を見て、仕事ぶりを見て、技術を盗むわけです。ですから、新聞・雑誌を読むことは一切禁じられてました。建築の本を読むこともいかんと言われました。ただ仕事を一途にやれ、余分なことに気を遣うなということですな。
◆揃えてしまうということは、きれいかもしれませんが、無理を強いることですな。木には強いものも弱いものもあります。それをみな同じように考えている。昔の人は木の強いやつ、弱いやつをちゃんと考えて、それによって形を変え、使う場所を考えていたんです。
◆ヒノキならみな千年持つというわけやない。木を見る目がなきゃいかんわけや。木を殺さず、木のクセや性質をいかして、それを組み合わせて初めて長生きするんです。「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」
◆周囲の人で、自分よりうまい人を見て、おぼえなあかんのや。あの人のカンナは、何であんなによう切れるんやろ、思うたら、休憩でみんなが休んでるときに、そーっとその人のカンナを調べてみるんや。そうやっておぼえるのや。
◆木にはくせがありますのや。こんな柱でも、みなくせがあります。この木は右による、これは左によるというふうに。木のくせを見抜いて、右によるというのは寄らせないように、左に曲がるのはそうならないように、うまく抱き合わせて組みあげていかなあきませんのや。
◆西洋のノコギリと日本のノコギリとは違いますな。西洋では押しますし、日本ではひきます。これは、性格の違いや。押すというのは細かい仕事ができないということでんな。精密な仕事ができませんな。西洋人の頭のなかいうのは、わりに雑なもんでっせ。
◆大陸の雨の少ない建築を学んだけれど、飛鳥の工人は日本の風土というものをほんとうに理解して新しい工法に変えたちゅうことです。軒を深くし、基壇も高くした。こういうのを賢いゆうんですわ。
◆腕のいい棟梁というのは、人を育てるのも上手でしたな。とにかく、やかましく言わず、行儀作法は厳しいけれど、仕事については”溝”を掘り、いやでもそこにいくようにしますな。気を散らしている間がないようになってるんです。うまいことやらされるんです。
◆木も人間も自然のなかでは同じようなもんや。どっちが一方偉いゆうことはないんや。互いに歩みよってはじめてものができるんです。それを全部人間のつごうでどうにかしようとしたら、あきませんな。
◆それと言っときますけどヒノキは日本にしかありませんのやで。同じ緯度でありながら中国にもないし、アメリカのヒノキというてるけど、あんなのヒノキと違います。ヒノキの北限は福島県です、ヒノキの自然林は。ほんで南限は台湾の阿里山です。その間にしかありませんのや。
◆木というのは正直です。動けない所で自分なりに生きのびる方法を知っておるでしょ。わたくしどもは木のクセのことを木の心やと言うとります。風をよけて、こっちへねじろうとしているのが、神経はないけど心があるということですな。
◆一本一本違った性質なんやから、同じ形にしたら無理が出ますわ。ですから、そうしないで、それぞれの特徴を見抜いて、一本ずつの個性を活かしてやってるんですな。そうして全体のバランスをうまく取ってやる。
◆台湾に薬師寺用の林を見に行ってきましたけど、あそこのヒノキの植わっている山には土壌なんてありませんのや。岩ばっかりです。こういう条件だからこそ、2千年もの木が育つんですな。人間も同じですな。甘やかして欲しいものがすぐに手に入ったんじゃ、いいもんにはなりませんな。
美風さん、こんばんは。
もっと真摯に生きなければ、と思わされる言葉がたくさんありました。
ご紹介をありがとうございます。
そして、日本人で良かったな、と改めて嬉しくなりました(*^_^*)。
ioさん、おはようございます。
西岡棟梁の言葉には真実がありますよね。
目の前に現実はデンとあるのみで、人間はそれに合わせて忠実に生きるだけ。
それを改めて教えてくれます。
>そして、日本人で良かったな、と改めて嬉しくなりました(*^_^*)。
同感です!