疑わしきは被告人の利益に

このブログでは中立を守るため、政治的なことや宗教的なことは書かないようにしています。
しかし、最近はあまりにもマスコミのあり方が目にあまるため、ちょっとだけ書いておきます。
「疑わしきは被告人の利益に」
これは刑事裁判の大原則です。
この表現は被告人からみた言い方で、裁判官からみると「疑わしきは罰せず」となります。
要するに検察側が犯罪の証明ができない場合は罰してはならないのです。
このことがかくも簡単に葬り去られていいのか!
これが現状です。
冤罪は他人事、あるいは昔のことだと思っている人はいませんか?
しかし冤罪はいつでも、私たちの身近で起きる可能性があるのです。
それにメスを入れて世論を正しい方向に導くのがマスコミの使命です。
ところが今や多くのマスコミはその機能を果たしていません。
税金・政治・裁判など国の重要な問題が歪めて報道されています。
このことに私達は気づかねばなりません。
最近出た陸山会裁判の結果は、司法の形骸化を意味することになります。
すでに村木裁判でもそのことを感じたばかりです。
戦争のときもそうであったように、真実は隠されていることが多いです。
原発の問題で私たちは大いに疑問を持ったはずです。
その疑問は正しいのです。
あとは行動するかどうか。
一人ひとりがしっかりとして、間違いなく生きて行かれるように。
罪なき人が不当な扱いで人生を無駄にしないように。
与えられた命を全うできるように。
法律を生業とする夫と共に、かつて法律を学んだ者として記しておきたいと思いました。

カテゴリー: マクロビオティックが楽しい♪ パーマリンク

コメント

  1. 中川善博 より:

    ありがとうございます。
    目では無く眼を常に磨いて行きたいと思っています。
    常に情報は新しく。生鮮食品を扱うが如く。

  2. マクロ美風 より:

    中川さん、こんにちは。

    現状では北朝鮮や中国を笑えないですものね。
    そのことに気づかないで、のほほんと平和ボケしている時代ではないことを知って欲しいと思って書きました。

  3. げんたろう より:

    確かに最近は誰かの都合のよいように歪曲されている気がしないでもないですね。

    原発のことは今回の事故が起こる前にネットでも地層処分についての広告が大々的に流れていたことを覚えていますが、
    個人的にはなぜ今頃?と思うことも少なくありません。

    近視眼的に見て人々の生活のことを考えると、今回の震災の被害が津波だけだったらまだ良かった部分はあるのかも知れませんが、
    もし原発に事故が起こっていなかったらと考えると、世の中皆が知らないうちに恐ろしい事態が深行してしまったのではと思っていますし、
    それを思うとゾーっとしてしまいます。

    今の状況でさえ福島の人の生活を破壊しているのですから人類を滅亡させたくなければ、原発の扱いはどうすれば良いのか?その答えは明らかだと思います。

    今もバブル景気の繁栄を懐かしむ人を見ることが出来ますが、
    原発によって生み出された経済成長による繁栄こそ、まさに『バブル』だったと思っております。

  4. マクロ美風 より:

    げんたろうさん、こんばんは。

    とっても不幸な災害(および人災)がきっかけで、真実を伝えていない報道を多くの人が知ってしまいました。
    そしてそれらに対する解決策をもたない政治も知ってしまいました。
    これらのことをいかに判断するのか?
    今はとても大事な時だと思うのです。

  5. Mo(33-9) より:

    私も違和感を感じました。
    そして海外ではネット上でのニュースを観るしかないのですが、今日はもう各社新聞ウェブサイトではそのニュースが、あえて検索をしないとわからないような下の方に隠れています。

    『多くの人に貴重なニュースを伝える』ということにおいて、『マスト』のプライオリティがどこにあるのか疑問に感じます。
    ページビュー、購買数を競わざるをえないからでしょうか。

    ただ、大学の同級生や友人に、記者やジャーナリストの仕事に就いている人が何人かいるのですが、プライベートな場所では、勤めている会社の紙面とは違えることを、スパッと言うんですよね。

    どこから歪みが始まっているのでしょうね。

    いつか授かるかもしれない我が子or養子には、色んな情報を鵜呑みにされないよう、きちんと話し合って行きたいです。

  6. マクロ美風 より:

    Moさん、おはようございます。

    日本では今、国の将来を危うくするような大事な法案が決められようとしています。
    そんな時には国民の目をそらすために、マスコミを使って三面記事のようなことを大きく何度も執拗に取り上げさせたりします。
    明らかに『マスト』のプライオリティは狂っています。
    多くのマスコミは独立性がなく、官僚や政治家の手先のような報道を多くするようになりました。
    外国から見たら、日本の報道のあり方や取材の仕方は大いに疑問だと思われているところです。
    こうして世論は間違った方向に導かれてしまいます。
    かつて日本が無謀な戦争に突入したように。

    みんなが自分の判断力を高めて、それを行動に移せば、司法や政治のおかしいところは容易に理解できるはずです。
    しかし、そのような判断力の国民ばかりではありませんから、間違った方向に行きかねないのですよね。

    これだけ原発で苦しむ人がいるのに、それでも原発賛成の人物が当選する地方自治体の選挙の現実を思うと、問題の深刻さに力を失いそうになります。
    でも諦めてはいけません。
    私達はマクロビオティックを知っています。
    真実を見極める方法を知っています。
    大勢に流されることなく、間違っていることは間違っていると言える判断力を養いたいと思います。
    桜沢如一先生はそのためにマクロビオティックを説いたのですから。

  7. Mo(33-9) より:

    身の引き締まる大切なお返事をくださってありがとうございます。

    >大勢に流されることなく、間違っていることは間違っていると言える判断力を養いたいと思います。

    ここが私はまだまだだなあと思っていたところ、美風さんからありがたい喝を頂きました。

    >桜沢如一先生はそのためにマクロビオティックを説いたのですから。

    そうでした!
    私は何かと、食ばかりに目がいってしまいます。
    でも、本当はもっと様々なことを透観するメガネなのですよね。
    自分の小さく狭い考え方で、あやうくメガネを落っことすところでした。
    もう一度立ち返らせてくださって、ありがとうございました。

  8. マクロ美風 より:

    Moさん、おはようございます。

    マクロビオティックの哲学部分を理解することなく、食べることのみでマクロビオティックを捉えている人がいます。
    そのようにしか教えていない料理教室もたくさんあります。
    しかし、マクロビオティックの真髄はこの哲学部分にあります。
    むそう塾ではこの哲学部分を随所に織り込んで大切にお伝えしています。

    何をどのように食べるかだけでなく、どのように生きたいか。
    この生きる部分が抜け落ちてはマクロビオティックをしているとは言い難いですね。
    でも、マクロビオティックをしているとおっしゃるかなり多くの方は、食べることだけに関心が行っているように感じます。
    でもね、実は今この時にこそマクロビオティックの考え方は求められる時代なのです。
    桜沢先生が危惧した社会にどんどんなって来ているからです。
    世界も日本も本当はマクロビオティックの考え方を出来たらいいのにね。

    たとえばギリシャも日本もアメリカも救われる道はたくさんあるのに、人々はなかなか正しい答えに辿り着こうとしないのですね。
    人間って愚かなものです。
    ま、これが人間の作る歴史の一部分と言えばそれまでですが。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です