なんていうのかな?
今は情報に振り回されている人や、テクニックに走る人が多いと思うのよね。
昔だったら友達や家族との日々の触れ合いの中で、なんとなく答えが出せたのに、今ではその触れ合いが少なすぎて答えが出せない人が多いね。
私のところに来るメールでも、もっと失敗して経験すれば自然に分かることなのになぁと思うものがいっぱいあるよ。
失敗したらもう人間じゃないみたいに恐れていたり、要領よく成功しなくちゃクズ人間だなんて思い込んでいたり、そりゃあもう可哀想になっちゃうよ。
学校の成績はいいのに融通がきかなかったり、機転がきかなかったり、気が利くなんていうのは死語のようになっているね。
自分のことで精一杯だから、他人のことまで気がまわらないのが現実なのかもしれない。
たま〜に、気が回る若者に出会うと涙が出るくらい嬉しい。
もちろん個人差もあるけど、そんな若者にはお爺ちゃんやお婆ちゃんがいて、その都度、こうするもんだよと教えられたという人が多かった。
誰に教えられなくても、自然に気働きが出来る人はもちろんいるけれど、昔に比べて圧倒的にその人数は減ったように思う。
日本人の精神性は、アメリカが狙ったように核家族化とともに下がってきた。
核家族化とともに団地住まいを導入して日本の文化を希釈させ続けた。
人々は環境の変化とともに精神も肉体も変化する。
* * *
しかし、人間はそんなに急速に変化しなくて良いと私は思う。
効率やテクニックや合理性ばかり追求しなくてもいいと思う。
だって、それらから生まれるものは一時的な効果でしかない場合もあるからだ。
せっかく何かを追求しても、その反動が来てまた元の木阿弥というのはよくある話だ。
だからといって何も努力しなくていいと言っているのではない。
人の心や体を無視し続けた競争意識の連続は、必要以上に人を萎縮させてしまう。
次から次へと新しい情報が溢れ、その中で不安になって溺れて行く人も多い。
しかし、それらの情報を要領よく駆使して富を築く人もいる。
誰しもがスキルや起業に踊らされなくても、その人にふさわしい生き方があるはずだ。
それを探し出せるか、作り出せるか、それは案外古典的なスタイルの中にあるのかもしれない。
それは、人の心を大事にするという古典だ。
そこから何かが生まれてもいいと思うのだ。
(播州 揖保乃糸 金帯素麺 非売品)
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