「亡くなる前に点滴はいらない」 永井康徳医師の記事と動画より

永井康徳医師のFacebookの記事をご紹介します。
医療の介入はほどほどに。
余計なことはしない方がよい。
人生の最期は自然に終わりたいものです。

 
 

<亡くなる前に点滴はいらない>

タイトルは、「亡くなる前に点滴はいらない」です。

人は生まれたらいつか必ず亡くなります。そのことに誰も異論はないことでしょう。にもかかわらず、私たちは死に向き合う機会を持てていないように思います。これは日本の医療が「治す」事を追求して発展してきたことが大きく影響しているのかもしれません。私たち在宅医療のクリニックに紹介されてくる癌の患者さんは、病名の告知はされていても、病気がもう治らないことや限られた命であることなど十分な告知がされていないケースがまだまだ多くみられます。

また、癌以外の病気の方は状態が悪化すると、治ることを期待して病院に行きます。例えば、看取りが近い高齢者が急に熱が出て息苦しくなり救急搬送されたとします。そこで誤嚥性肺炎と診断されると、治療のために絶飲食となります。本人の意思を確かめることもできず、点滴や人工栄養が始まり、寝たきり、身体拘束、吸引というつらい処置が重なり、その上、徐々に容体が悪化し、病院で亡くなっていく方が多いのが現状です。

亡くなる前には当然食べられなくなります。食べられなくなったら点滴をするというのが現代の日本の医療の常識でした。点滴をして元気になるのならよいのですが、看取り期の人の身体は点滴をしても元気にならないのです。それどころか本人は苦しむことになってしまいます。

なぜかというと、看取りを迎える体は水分や栄養を体で処理できなくなっているからです。体で処理できなくなると次のような三つの症状が出現します。①吸引が必要②浮腫(むくみ)がある③胸やおなかに水がたまる、です。体で処理できなくなった状態の時に点滴をしないと、この三つの症状は現れにくく、穏やかな最期を迎えることを私は数多く経験してきました。病院では最期まで点滴をすることが多いのですが、実は緩和ケアや在宅医療の現場では、亡くなる前に点滴をすることは少なくなってきています。点滴をしなければ、吸引も必要なく、場合によっては食べることさえできる場合も多いのです。

人類の歴史上、亡くなる前に点滴をして、絶食で最期を迎えるようになったのは最近の何十年かだけのことです。人も動物も植物も最期は枯れるようにして、楽に最期を迎えられるようになっているのです。ですから亡くなる前に点滴はいらないと思います。死は生まれることと同様「人としての尊い自然な営み」です。死に向き合えば、亡くなるまでどうよりよく生きるかという本人の意思に寄り添う医療やケアが提供でき、日本人の看取りのあり方も変化していくのではないでしょうか?

 
 


楽なように、やりたいように、後悔しないように 永井康徳著

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他にも永井先生はYouTubeで発信されております。
食べることにこだわった看取りの姿勢がいいなあと思っています。

たとえば、12月15日の 永井の法則【○○ができる人は食べられる?!】の中で、「声を出す筋肉は飲み込む筋肉と同じだから、大きな声を出せるということは、飲み込む力もあるということ。」というお話がありました。

そして、97歳のおじいさんの点滴を外されて、お肉を食べるまでになったお話をされていました。
私も食べることや、食べられる体のことをいつも大切に考えているので、この先生の食へのこだわりに感動します。

常日頃から、大きな声で話すことや、会話を楽しめる環境で暮らすことをしたいと、改めて思ったのでした。

 
 

 
 
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