人生最後の時、せめて好きなものを食べて死にたい。
あるいは、好きなものを食べさせてあげたい。
これは患者とその家族が誰でも思うことではないでしょうか。
常々「食」の重要性を書いていますが、こんな場面での食の可能性も追求したいなと思いました。
とかく病院の食事はまずいとか、夕食の時間が早すぎるとか不満が多いものですが、素敵な取り組みをしている記事がありました。
転載させていただきます。
* * *
ー転載はじめー
カツオとハマチの刺し身、キュウリの酢の物、ご飯、お吸い物、オレンジ。
体重は40キロをきり、頬はこけていた。それでも料理が並ぶと、松井正二(よしつぐ)さん(79)の目は光った。
一口、また一口。カツオの刺し身を力強くかみしめる。酢の物とご飯、お吸い物をゆっくり口に運び、おしまいにカツオをもう一切れ。
「好きなもん、最後に残してあんねん。漁師町生まれやし、好物は魚や。あーっ、おいしかった」
妻の喜子さん(75)は「よう食べたね。旅行に来たみたいや」と笑う。正二さんは、じっと黙った後、「そやな」とぽつり。
2日後、正二さんは昏睡(こんすい)状態になり、5月3日に息をひきとった。肺がんだった。刺し身が最後の「リクエスト食」になった。
ここは淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)。最後の時を過ごす患者の心のケアの一つとしてリクエスト食を打ち出した。
毎週土曜日の夕飯で患者の希望をかなえる。ちらしずし、お好み焼き、チョコレートパフェ、卵焼き、カニすき……。なんだっていい。栄養士や調理師が中心となって、患者の心に残る一皿を再現する。
そんな「最後の食事」にはさまざまな思いがこめられている。
■「刺し身がええな」
「あしたはリクエスト食ですよ。何を召しあがりたいですか」
毎週金曜日の夕刻。淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)の病室を、栄養士の大谷幸子さん(63)が声をかけてまわる。
「刺し身がええな。いまやったら、何がおいしいかな」。79歳で亡くなった松井正二(よしつぐ)さんはいつも刺し身をリクエストした。
正二さんのふる里は徳島県小松島市。海辺に干したじゃこが名物だ。父が失踪し、10歳で大阪の理容室に養子に出された。本当は大学に進みたかった。でも理容師になったからには、と懸命に働いた。流行したパンチパーマが得意だった。
1男1女に恵まれた。「自分の家族が持てたことが、一番幸せやった。ずっと他人の中やったから」
目が悪くなり、思ったような仕事ができないと25年前に理容師を辞め、スーパーでアルバイトをした。希望したのは鮮魚コーナーだ。
末期のがんだとわかったのは1月。夫婦で北海道や徳島に旅行しようと計画していた矢先だった。
「いろんな所に連れていってやりたかったな」
正二さんは天井を見あげ、そう話していた。
おやじはふる里へ帰りたかったんだ――。長男の威雄(たけお)さん(50)は秘められた気持ちを初めて知った。教えてくれたのは刺し身だ。
家族はその後、小松島市を訪れ、遺骨の一部を海に散骨した。正二さんの思いをのせて、風が舞った。
■「また、茶わん蒸しがええな」
8月9日の金曜日、肺がんで4月から入院する安東タミさん(76)はいつものを頼んだ。「また、茶わん蒸しがええな」
ふたりの子どもが小さいころ、誕生日にちらしずしと一緒に並べたのが、手作りの茶わん蒸しだった。
タミさんは長崎生まれ。洋裁学校を卒業し、仕事を求めて大阪に来た。30歳で結婚。長女(41)が小学校に入ると日本料理屋へパートに出た。稼いでおしゃれして旅行にいった。夜はカラオケ。好きな曲は美空ひばりの「悲しい酒」だ。
自分のしたいことをしてきた。私、いい母親じゃなかったかもしれへん――。
でも茶わん蒸しは、子どもと過ごした楽しい時間と重なる。「具は宝探しみたいなもん。うちは、かしわ(鶏肉)をよう入れてん」
入院中の母にかわり、実家を掃除していた長女は、戸棚の奥に茶わん蒸しの器四つと蒸し器を見つけた。「手間がかかるのに、作ってくれていたんだなって」
土曜日の夕飯。できたてのリクエスト食を調理師の高藤(たかふじ)信二さん(58)らが部屋に運んでくる。タミさんは茶わん蒸しのふたを開けて、スプーンですくった。
「ちょうどええ固さや。何が入ってるかな」
顔がほころんでゆく。「あかんなあ。うれしいことがあると、もっと長生きしたくなってくるわ」
毎回のように茶わん蒸しを頼むタミさん。今週もその日を待っている。
■食の重要性、再認識
〈緩和医療に詳しい藤田保健衛生大の東口高志教授の話〉 中身から盛りつけまで、これだけ患者の希望に沿った食事を提供する試みは全国でも珍しい。心と体はつながっており、近ごろ医療現場でも食の重要性が再認識されている。私がかかわった国の調査でも、余命1カ月の末期がん患者165人のうち96%が最後まで自分が望むものを食べたい、と回答している。このホスピスの試みは、スタッフが全力で食事を支えていることが患者さんに伝わっているのでしょう。
◇
■リクエスト92人、計285食の試み
淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院は昨年11月に開業した。大人の病棟(15床)の患者の多くは平均余命が1~2カ月の末期がん患者だ。その人らしい人生を全うできるよう援助する。「心のケアとして力を入れるのが食」と池永昌之副院長(48)。
普段の食事も6種類から選べる選択式だが、週1回のリクエスト食は病院がメニューを提示するのではなく、患者が食べたいものを出す。「命の見通しが短い患者さんがこれを食べたいという気持ちを大切にしたい」と栄養士の大谷さんが週1回の実施を提案した。食べるのが好きだった夫を肝臓がんで亡くした苦い思いが、背中を押した。
金曜に希望を聞き、翌土曜の夕飯に提供する。「生クリームがのったふわふわのホットケーキ」「そうめんをガラスの器に盛って」という味つけや盛りつけの希望もかなえる。
調理師の高藤さんは和食は得意だが、中華や洋食に自信がない。金曜の晩に家で練習し、翌朝リハーサルして臨むこともある。
これまで92人のリクエストに応え、285食を作った。厚生労働省の食事療養費の制度内でおこなうが、食材費がオーバーした場合は病院が負担している。全国的に珍しい試みのため、関係者の視察が相次ぐ。
「食は過去、現在、未来をつなぐものではないでしょうか」と池永副院長はいう。何を食べようか。誰と食べようか。患者は思い出の食を通じて人生を振り返り、あすへ希望を抱くことができる。
ー転載おわりー
(料理:中川善博)
このようなお料理をきっと喜んでくれるに違いない。
美風さんこんにちは。
素敵な病院ですね。
まだ私が幼い頃に、肺がんで亡くなった祖父を思いだしまさした。でも思い出すのはいつも亡くなる間際に綿棒に水を湿らせ祖父の口にあてていた自分なんです。
幼いながらに、飲むこともできない祖父がかわいそうだと思っていたのを覚えています。
大好きな鰻たべさせてあげたかったなと今います。
私も最後の時は好きなもの食べて、最後は幸せな気持ちで終わりたいなと思います。
誰でも美味しいもの食べたら幸せな気持ちになれるし、誰でも美味美味しいもの食べて幸せになる権利があると思います。
食って本当に奥が深いです。
それだけ重要で大切なんですね。
そしてやはり手作りだからこそ作り手の相手を思う気持ちが伝わるのですね。
今日も食べてくれる人が幸せな気持ちになってくれるように心を込めて作ります!
ゆかえもんさん、おはようございます。
唇は健康状態を反映しますので、やはり死期が近づいている人は唇が乾きますよね。
お孫さんに唇を湿らせてもらって、おじぃちゃまは嬉しかったことでしょう。
何やら、親にとっては子供より孫の方が可愛くなるらしいですから。
理想の最期を迎えるには、常々自分から意思表示をしておくことが大切です。
周りの人が勝手にしてくれると思わないようにね。
丸投げ人生のゆかえもんさんは要注意です。
美風さんこんにちは。
よく聞く名前が本文にあり、いっそう感慨深く読ませていただきました。
素敵なご紹介をありがとうございます。
食と生と病
一体となったものですね。
どこで生き何を食べ、どう患い、死んで行くのか。
すべてがつながり、全てに現れているのでしょうか。
例えば、5年後、10年後の自分はどこでどう生き何を食べてるのかな、と想像していました。
つれづれとした感想で、失礼いたしました。
直さん、おはようございます。
地元だからお馴染みなんですね。
どんな状態になっても、人間は食べることへの欲求は本能としてあります。
ですから、それを最後まで満たしてあげるのが自然だと思います。
「好物」。
それがどれほど人を喜ばせるものか、この記事で改めて感じました。
>例えば、5年後、10年後の自分はどこでどう生き何を食べてるのかな、と想像していました。
間違いなく好物を召し上がっているでしょうね(笑)
もしかしたら、パートナーの好物でもあるかも知れません。
そして、多分、地球上のどこかで、直さんらしい「自分」のある生き方をされていると思います。
ご無沙汰しています。
この病院のこの試みは先日テレビでも放送されていましたね。
全ての病院でこのような事ができるわけでは無いと思いますが、何事も気持ちひとつだと思います。
最近は「食事のおいしさ」を売りにした病院も増えてきています。
ただ、広い目で物事を見なくてはいけない病院の管理栄養士が、お料理や献立、食器、など「食べる」ことについて軽く見ていく傾向にある事も事実です。
先ほどもその関係でちょっと後輩と一悶着あったところです(苦笑)
少しでも病院の食事がおいしかった、と言って頂けるように私は頑張るのみです・・・(といいつつ最近はかなりヘタレてますが)
potiさん、しばらく〜♪
私はほとんどテレビを観ないので、テレビ放映は知りませんでしたが、こういうのは取材が多いでしょうね。
>全ての病院でこのような事ができるわけでは無いと思いますが、何事も気持ちひとつだと思います。
病院は経営を優先してしまう傾向にあるので、いくら現場で管理栄養士さんが頑張ろうとしても制約がありますよね。
それでもpotiさんが以前、少しでも美味しくしようと、お料理をする人と工夫して、患者さんに喜ばれた話は嬉しかったです。
制約の中で頑張るpotiさんを偉いなと思っています。
だから余計疲れるんですけどね。
でも、徐々に流れを変えて行けるよう、引き続き頑張りましょう。
応援していますよ。
美風さん、こんばんは。
ご紹介ありがとうございます。
10年前、まだ学生の時にお花の水替えやおやつの時間のお手伝いのボランティアでホスピスに通っていたことがあるので、その時のことを思い出しながら読ませて頂きました。今思うとお出ししていたアレやコレは大丈夫だったのかなとも思うのですが、お料理が得意な主婦のボランティアの方々の手作りおやつでした。
ご紹介にあったホスピスのような取り組みは実際にはなかなか難しいことでしょうが、食事で本来の自分に立ち返ることができたり、人生の大切な思い出や喜びに再び浸れることを考えると、本当に尊い取り組みですね。残された人生にポッと光が宿りますし、もしかしたら寿命が数時間でも延びているかもしれません。
そして、家族の食事作りを担う重大さを改めて感じました。
ありがとうございます。
りんのさん、おはようございます。
>残された人生にポッと光が宿りますし、もしかしたら寿命が数時間でも延びているかもしれません。
私もそう思います。
嬉しいことや愉しいことなどは、人間の心に限りなく良い影響を与えるので、マイナスに働くことはないでしょうね。
そう信じたいです。
そして何より、笑顔になれる時間がいいなぁと思います。
人生の最後の最後に、笑顔の時間があるのは本当に幸せなことですから。
>そして、家族の食事作りを担う重大さを改めて感じました。
子育てをしながらお食事を作っていると、半ば義務のように思えて虚しくなる時があるものですが、本来のお食事はこんなふうに1回1回が笑顔を作る貴重な時間なんですよね。
でも、回数があまりにも多いし、忙しいから、ついついその本当の意義を忘れてしまうのです。
でもこうして、時々自分にエネルギーを注入して、心新たに頑張るしかないんですよね。
そうこう言っているうちにお子さんたちは大きくなって行くから、徐々に自分の時間が出来て、また違った視点からお食事作りを考えられますよ。
4つ(パパも)のお口にあ〜ん、ポン!
んまいヽ(゚∀゚)ノ
美風さん
こんにちは。
義母が命の宣告を受け入院していた時の事を思い出しました。
毎日味気ない入院食。
義母が「せめてふりかけでもあればお粥も美味しく食べれるのに・・」と言うのでふりかけを買ってきました。
義母は美味しそうに食べ、「また今度もふりかけで食べましょうね」と約束をしたのですが、直ぐに義父に見つかり取り上げられてしまいました。
命がいくばくもないのに、何故好きな物さえ食べれないのか、毎日とは言わないけどたまには本人が好きなものを食べれる時があればいいのに、、と義母の入院からずーっと心に引っかかっていました。
この記事を読み、ああ、やっとこんな病院が出来たんだ。
もし義母がこの病院に入院してたら、彼女は何を頼んだんだろう。
好きな食事が食べれる日を楽しみにして、入院生活も楽しく暮らせたのかもしれません。
あこさん、こんにちは。
残りの命が少なくなっても、血のつながりがある人は「何とかして助かってほしい」と思うでしょう。
奇跡を願っていることでしょう。
でも、血のつながりがないと受けとめ方は様々です。
ご夫婦は血のつながりがなくても、心のつながりがあるので、きっと病院食が一番快復につながると信じていたのでしょうね。
多くの人がそのように思っているかもしれません。
マクロビオティックを知らないとなおのことね。
あこさんはお嫁さんの立場として、義理のお母さまの希望を叶えてあげようとされたのだから、それで十分だと思います。
ごくろうさま。