こちらの記事と同じく転載させていただきます。
<桜沢教育について>
(マクロビオティック発祥地からのメッセージより)
桜沢教育では様々な創意工夫や発見が求められていた。
「無双原理・易」の最後のほうには問題集があり、既成概念とは異なる物事の考え方が問われている。
桜沢が孔子の「朝(あした)に道を聞かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」という言葉が正しいかどうかを問うたことがあった。
或る者は「道はそれほど価値がある」と答え、また或る者は「価値があれば死んでも良いというのは傲慢だ」と答えた。
人の心は一つであり、相手の心が分からないと人は人でなくなってしまう。人間は人の心がわかって人間なのだ。まして、師の心が分からなくして・・・。
答えは二様可能だ。問題は師からその時どちらの答えを求めているかである。
人間の自然の意思を理解する能力は、機械的、盲目的レベルから始まって、感覚的、感情的、知的、社会的、思想的レベルへ発達し、結果として、どんな問題でもそこに自然の真意を発見出来る。最高判断力を身につけることが出来る。
それが桜沢の教えの基本であり、現代の詰め込み型の学校教育との違いである。
人の気持ちや宇宙の気持ちが分かり、インスピレーションや洞察力および直感を高められれば、もはや知識は不要なのだ。勿論、知識があってもそれは少しも邪魔にならない。