昨日は東京でジャーナリストやマクロビオティック関係の人とご一緒していました。
お酒の席でひょんなことからマクロビオティックとセックスの話になりました。
マクロビオティック食とセックスの関係を、男性2名女性3名で話しあって意義深い時間でした。
その中に、最近妊娠率が上がっているとか、結婚をしたくなる人が増えたとかいう話題があったのですが、精子の量が増えたような気がするという話も原発直後から聞いたことがあります。
精子の量云々はハッキリ分かりませんが、これらの話は結構本当かもしれません。
結婚したくなる話は、今まで一人で平気だった人でも、不安感が増してきて誰かと一緒にいたくなったのでしょう。
というのは、原発問題で生命の危機意識を感じたため、種の保存本能にスイッチが入って、子孫を残そうというDNAが活発になったのだと思います。
危険にさらされる動物ほど赤ちゃんの数が多いのと同じように、人間も非常事態になると子供の数を多く残したくなるのでしょう。
人間は心理的に不安な時ほど結びつきを強く求めるものですから、結婚したくなるのも当然でしょう。
そして家族が離れるのではなく、一緒に暮らしたくなるのも同様ですし、家族が一緒にご飯を食べようとするのも自然な姿だと思います。
つまり人間はこんな時には陽性になろうと自然に行動しているんですね。
凄いですよね。
ということは、陰性でいられるということは安心と平和があるという証拠です。
ここまで書いてふっと思いました。
子供は安心感がないとなかなか親離れできません。
親子間(特に母子関係)に信頼関係があってこそ、初めて自立していけるのです。
これが走り始めるころですね。
少し走っては振り返り、親が見ていてくれることを確認(安心)してはまた走る。
こんなことを繰り返しながら成長して行きます。
* * *
そういう意味ではこの原発問題は、人間の本能を活性化させ、人間の生き方を原点に立ち返らせる効果があったのかも知れません。
あらゆることが行き止まりに思えたとき、想像もしなかったことから道が拓けることはよくあることですが、「こんなことではいけない」と思いつつも惰性に流れて楽な方を選んで来てしまった我々に対して、原発は強力な力で「NO!」と教えてくれたのでしょう。
また、真実を知ることの大切さを教えてくれているのだとも思います。
それにしてはあまりにも多くの被害者を出し、犠牲を強いています。
産業も経済もボロボロです。
そんな時に直接被害を受けなかった者たちがするべきこと。
それは自分の暮らし方(生き方)を見直すことだと思います。
情報を鵜呑みにしていないか。
自分のエゴで生きていないか。
人間の本能を発揮できる生き方をしているか。
人と人の繋がりを大切にできているか。
そんなことを職種も含めて、もう一度総点検してみてはいかがでしょうか。
その時のキーワードは「謙虚」です。
人間はあらゆるものに対して謙虚でなければ大きく間違うことになるからです。
美風さん、いつも私にとって必要な言葉を、そのピンポイントのタイミングで記事にして下さってありがとうございます。
うふ、シンクロしてますね!
震災が、主人(当時恋人)との結びつきを深めてくれたことを思い出しました。
いつもなら『また明日会えるからいいか』と思うところを、『また今夜地震があって道が塞がったら』と思うと、『今日のうちに会っておこう』という気持ちになっていました。
切迫感がありました。
通勤電車にも、カップルがどんどん増えてきた事を覚えています。
その代償があまりにも大きいとはいえ、今、被害を被らなかった私にとってできることは、まさに自分が本当に必要なことを見つめ、それを大切に慈しむことなのだと感じています。
人間の本能を活性化させ、人間の生き方を原点に立ち返らせる効果というのは、理解が浅い私でも、体ごとぶんぶんうなづきます。
キーワードは、『謙虚』。
耳が痛いです。
ふとした時に、コロッとどこかに忘れてしまう私です。
そのために、美風さんが教えてくださった『宝塚ブスの25か条』を有効活用させて頂きますね!
P.S.
次回の夜の美風&中川ゼミはいつでしょう?
『少し走っては振り返り、親が見ていてくれることを確認(安心)してはまた走る。
こんなことを繰り返しながら成長して行きます。』
我が甥はいつも即、一番に走り出してしまうのですが、
やみくもに姿の見えない所に走ってしまうのではなく、
いつも親の姿を確認し、走って戻って来たかと思えばまた即、走って行ってしまいます(笑)
これでいつも目的地に到着する時は、距離的には往復しつつ走りっ放しなので、
それで運動量が判ってしまいますが、
一見無茶をしているように見えていつも親の目の届く範囲で走り回っているところに彼の本音が表れているのかな?と思って見てきました。
甥はそうやって成長し、同じことを6年は続けていると思いますが、
親の目を必要としない年頃までこの行動は続くのかな?と思い、見続けています。
こちらへ帰って来ると最近は、自転車に乗って出掛けるのですが、
元気が有り余っているせいか?すぐに隣の校区へ飛び出して行ってしまいます。
本来は小学校では校区外へ自転車に乗って行くことは禁止されていると聞きましたが、
彼にとってはそのルールは到底守れるものではないことをワタシはこの夏実感せざるを得ませんでした。
話は文章内の一部を捉え飛んでしまいましたが(苦笑)
ワタシの知る人の中には、関東に住んでいらっしゃる方ですが、
今回の震災による放射能汚染を懸念し、子供を作ることを断念しようかと考えている人がいました。
その方の場合、長患いのせいもあってそういう考え方に傾いたのかな?と思いましたが、
本来病気も無く、健康に過ごしていれば、いざ非常事態が発生すると人を求めるようになるのかな?と考えさせられました。
ワタシはまだ、自身を確立させる途上ですが、
一つの目処がついたらあらゆる行動を開始させたいと計画だけは練っております。
その目処をつけるのがワタシにとっては一つの壁で、そこさえ抜ければ全てが回りだす予定なのですが、
さて、いつ回りだすものやらといった所が現状です。
そこを抜け、自信が持てたら相手を求めに行けるのかな?と思ってましたが、
今もその考えは変わりありません。
自分自身が確立していないのに相手を求めに行くのは無責任だと思い、過ごして来た自分がいるので・・・
Moさん、こんばんは。
人間の本能って本当にすごいなーとつくづく思います。
そして命の連鎖もね。
地球上の命あるものは似たり寄ったりなのでしょう。
「宝塚ブスの25か条」は生き方の基本を教えてくれる大事な視点だと思ってご紹介させていただいたのですが、共感していただいて嬉しいです。
夜の美風&中川ゼミですか?
開催を希望される声もあるのですが、お料理ばかりで時間が取れないのが現状です。
東京あたりでしっぽりと開催できたらいいなぁ~なんて(^_-)-☆
げんたろうさん、こんばんは。
>自分自身が確立していないのに相手を求めに行くのは無責任だと思い、過ごして来た自分がいるので・・・
あれあれ、完全主義者かな?
それとも責任感が強いのかな?
私もそのように考えた時期がありましたが、それは頭で生きていた頃でした。
でも、不完全な自分だからこそ、不足している部分を相手と一緒に埋めていけたらいいなと考えが変わりました。
そう思うとグンと気持ちが楽になって、景色が変わって見えました。
今も思います。
その判断は間違っていなかったと。
もし自分が完全になってからと思っていたら、きっと一生踏み出すことは出来なかったと思います。
自分では完全だと思っても、相手にとっては負担かもしれないですしね。
要は二人の間でうまく行けば良いのだと今は思っています。
え~と再び失礼します。
美風さんが仰るように、かつてワタシは完全主義者に近かったと思います。
これはおそらく親の影響だったと思いますが、
少なくともマクロに出会って以降はその考えは大きく変わり、
自然に身を任せる方向へ変わって行った筈でしたが、
今だにマジになると昔の硬い考え方が姿を現すのかも知れません(汗)
実は今年のワタシはエアロビクスがマイブームになりましたが、
以前のダンス系が苦手だった頃のことを考えたら180度近く変わっていると思います。
なぜそのように変わったのかは理解しておりますが、
最初は欲張らずに初心者用のプログラムに参加していたら、いつの間にか身体を動かすことが楽しくなり、ハマってしまったものと見ています。
この変化でひとつ判ったことは、身体を動かしていると自然と意欲が湧いてくることです。
今回昔の自分が顔を出していたことに気付きましたが、何事も自然に身を任せたほうが良いのかも知れませんね。
どうやらワタシにとって、入れ込み過ぎは注意信号なのかもと思ってしまいました。(笑)
げんたろうさん、おはようございます。
やっぱりそうでしたか~(笑)
人間ってなかなか変わりませんよね。
私もそうですからよく分かります。
ま、なるようになるですね。
>この変化でひとつ判ったことは、身体を動かしていると自然と意欲が湧いてくることです。
そうそう。
血が動くとマイナスな発想はしなくなりますね。
だから私は考え事は座ってするながモットーです。