「氣」の共有

昨日、ある女性とお電話でお話をする機会がありました。
その方が私の過去記事のお話をされていたので、もう一度読んでみました。
「イチョウの想い出」
何だか、息子が小さかった時のことを想い出して、涙が滲んできました。
どんな時にも自然体で。
このことを大切にして、わが目に、わが手に、わが脳裏に、体中で子供の想い出を刻みつけて育てました。
ですから、子供の写真は少しだけありますが、ビデオは一つも残っていません。
運動会の時にも、この眼(まなこ)に子供の姿を焼きつけておきました。
ビデオを構えるお父さんやお母さんの合間から、そっと首を出して我が子を眺めました。
映像が残っていないことを、将来、子供がどう思うか分かりませんが、私は物を通してではなく、この目で生の感覚で子供を包み込みたかったのです。
それでも、いくつもの場面が次から次へと想い出されて、もしかしたら、人間って光景も目ではなくて、心で記憶しているのかなと思うほどです。
*    *    *    *
ふっと思いました。
「むそう塾」で玄米ご飯の炊き方を実演すると、しきりにノートばかりとる人がいます。
でも、その間は、少なくても「氣」の集中が削がれるように思います。
古いと言われるかも知れませんが、私はやはりその場の光景と氣を生の目と体に焼き付けることが大事なように思います。
中川さんが修行時代は、メモをとることも怒られたそうです。
ですから、体中で覚えて、夜寝る前にノートに記したそうです。
でも、その時の内容は、今でもしっかり覚えているのだと仰っていました。
きっと、「今しかない」「この一瞬」という想いが、人間の記憶力と集中力を飛躍的に高めるのだと思います。
*    *    *    *
手元には形として残っているものが少ないけれど、私は自信を持って息子に「愛しているよ」と言ってあげられます。
これから先、どんな時にも、どんなことがあっても、私は息子を信じて、愛してやれるでしょう。
息子もそうしてくれるような気がします。
二人をつなぐ、共通の想い出をいっぱい持っているから、妙な確信みたいなものを感じます。
なぜなら、「氣」を共有していたから。

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