こころ・想い」カテゴリーアーカイブ

お花から学ぶ生き方が好き 置かれた場所で咲きなさい

私はお花が好きです。
美しいからという理由だけでなく、お花には学ぶところがあるからです。

以前、「置かれた場所で咲きなさい」という記事を書きました。
この記事を書いた後、ブログを引越したため、ご紹介のリンクが切れてしまっているのが残念です。
Amazonのリンク先に飛んでみて紹介文を読んでみてください。これだけでも勇気をもらえます。)

 
 

お花を見ると、いつも渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」を思うのです。
この言葉は色々な意味に解釈できますが、私はお花に次のように感じるのです。

外で育つ花もある。
室内で育つ花もある。
途中で切られてしまう花もある。
でも、どの花も遺伝子を精一杯使い果たして朽ちていく。
環境に文句をいうこともなく。

 
 

この姿に、私は深く感動するのです。
私も、どんな環境下にあろうと、遺伝子をフルに使って生きてみようと思えるのです。
だから、きょうもお花から学んで生きてみます。

 
 

(ヒメヒオウギスイセン 姫檜扇水仙 京都市左京区にて)

 
 

道端でも季節の花が夏を告げます。
檜扇は「祇園祭(会)」の花。

 
 
カテゴリー: こころ・想い | コメントする

姓名判断の流派はいろいろ 気にしないで生きるもよし

今日はふとしたことから、ある人の姓名判断をしていました。
というのは、その人の人生において、生まれつき持っているよさを発揮できていないように感じたからです。

案の定、人生の途中からとても悪い流れになっていました。
今までは天格のよさに助けられていたのですが、これからは人格や地格・総格をもっとよくして、外格もよくなったらいいなと思っています。

もちろん、ご本人が望まなければ余計なお節介なのですが、芸能人のように名前を変えて、これからの人生を前向きに生きるのもいいですよね。
姓名判断がすべてを決めるなんて思わなくてもいいですが、もし気になることがあるなら、ニックネームだけでも変えてみると気持ちに変化が出てきますよ。

気になることは排除しておいて、あとは全力で頑張ってみる。
そんな生き方がいいなと私は思うのです。

 
 

***

ところで、姓名判断にはいくつも流派があります。
今ではサイトで簡単に姓名判断をしてくれる時代ですし、ご丁寧に流派の希望を選べるものまであります。

私が教わった姓名判断は、最も古典的な方法で旧字体で判断します。
画数は漢字のなりたちから考えて数えるのですが、今では新字体で姓名判断をする人も多いですね。
しかし、陰陽の波動が及ぶことを考えると、やはり旧字体が納得できる私です。

まあ、そのくらい姓名判断の世界はゆるやかというか、幅があるというか、不思議な世界でもあります。
占いは「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言われますが、昔から子どもの名付けに親は悩みながら文字を選んでくれたのです。
仮にそれがあまり良くない文字だったとしても、それを乗り越える強さがあるといいですね。

ちなみに、有名な人たちの名前を思いつくまま姓名判断してみても、ひどい名前でありながら素晴らしい人生を送っている人が沢山いらっしゃいます。
その反対も然りで、私が教わった先生は、「名前だけ良くしても努力を忘れたら駄目だ」と仰っていました。
良い名前に頼ったり、名前の上にあぐらをかいていてはいけないということですね。

 
 

(抹茶プリン 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
カテゴリー: こころ・想い | コメントする

いのち

先日、ある人と話をしていたら、「家庭菜園を始めたとき、人参の芽が伸びてきても間引きができなかった」という。

小さいながらも命があるのだから、それを引き抜いて命を奪うことができなかったというのだ。

私はビックリした。
野菜や果物に間引きや摘果は当然だと思っていたから。
農作業の初期作業は、弱いものを間引いて強いものを残すから。

引き抜かれたものは、「間引き菜」として食べることも出来るし、畑にすき込んで土の栄養にすることも出来る。

果物も同じだ。

 
 

人は植物の命をいただいて、自分の命を維持する。
ときには、動物の命をいただくこともある。
たくさんの命のうえに自分の命がある。

だから、それらの命に感謝して、生かされていることを忘れてはいけない。

 
 

(ドクダミ 京都市左京区にて)

これも植物。
旺盛な繁殖力で、葉っぱの搾り汁も、乾燥して煎じた汁にも人間は助けられる。
地球上にあるものすべてに人は助けられている。

 
 
カテゴリー: こころ・想い | コメントする

食事日記で感じたこと 若者よ元気に生き抜いておくれ!

今は毎年恒例の「食事日記」を拝見しているところです。
これは提出が義務ではありませんが、通常は有料の内容を無料で添削していますので、ここは利用した方が絶対お得なものです。
自分の健康は自分で壊すことも、守ることも、立て直すこともできることを、「幸せコース」の最初の段階で知ってもらうことが目的です。

今までに提出していただいた中で、あと1名のかたにお返事が残っているのですが、ここである塾生さんに送ったお返事の冒頭部分を記事にしたいと思います。
それは、今の若者に私からの愛を込めて伝えたかった内容だからです。
多くの若者が、このわけの分からない時代にあっても、健康に強く生き抜いてほしいと心から願っています。

 
 

***

<マクロ美風からのメール>

食事日記を拝見しました。
3週間きっちり記録してくださって、ありがとうございました。

とても丁寧に、細かく記録してくださって、あなたの繊細な感性をここでも感じることができました。
素晴らしい資質ですね。

まず、全体から感じることは、やはり「食べたもののようになる」ということです。
つまり、荒々しいものを食べればそのようになり、静かなものを食べればそのようになるという意味です。

マクロビオティックでは動物性を食べれば陽性さが増し、植物性を食べれば陰性さが増すと説明されます。
人間にとって、一番理想的な状態は中庸なので、どちらにも偏ることなく、バランスを取りながら食べればよいのです。

要は、なりたい自分になるために、目的に合わせて食べ分けるだけです。
その視点でみた場合、◯◯さんは今のご自分に満足しておられますか?
「ああ、こうしたかった、こうしたかった」ということはあるようですね。
ということは、それができるようになる食べ方をすればよいのです。

 
 

それからもう一つ、人は精神面の影響も食べ物以上に大きいのです。
どんなに理想的な食事をしていても、どんなことを考えているかによって、食べ物のよさを帳消しにしてしまうほどの力を持っているのです。

単純にいうと、その考え方で日常に活気がみなぎって、日々が楽しくなるようであればよいのですが、反対方向に行くようではその考え方は採用しない方が賢明です。
たとえどんな偉い人が言っていても、「自分には合わない」と見切りをつけるべきです。
なぜなら、身体を壊してしまうからです。

どんなことがあっても、自分の身体(健康)は自分で守らねばなりません。
今は多感な年齢ですから、多くのことに反応されるでしょうが、いつも忘れてならないのは、自分の命より大事なものはないということです。

私だって若い時にこんなことを年上の人から言われたら、逆らいたくもなったし、正義感に燃えて反発もしたくなりました。
ですから、◯◯さんが私が書いている内容に逆らっても、不満に思っても一向にかまいません。
それが若さというものだから。

でも、頭の片隅にでもちょっと残しておいてもらえたら嬉しいです。
そして、何十年か経って、「そういえば・・・・」と想い出してくださってもかまいません。
あなたは若い。だから、こんな婆さんのいうことをきかないで、思う存分生きればいい。
失敗もすればいい。若さだから許されます。
でも、命だけは守ってほしい

おわり

 
 

(お造り盛り合わせ 料理:京料理人 中川善博 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 

◯◯さんに食べさせてあげたい。。。

 
 
カテゴリー: マクロビオティック京料理教室 むそう塾, 食べたもののようになる, からだ, こころ・想い | コメントする

価値観は誰のものであっても大事にしたい

自分がよいと思うことでも、誰かにとってはよいと思わないことがある。
たとえ親子であっても、兄弟であっても、価値観が同じとはいかない。

極端な言い方をすれば、人の顔がそれぞれ違うように、価値観もそれと同じだけあると思った方がよい。
同じ環境で暮らして来た家族ですらそうなのだから、まったく別の環境で育ってきた夫婦の間では当然価値観が異なってくる。

そんな人間関係の中で、お互いがうまくやって行こうとしたら、お互いの価値観を大事にして、共通する点を見出すのがよい。
つまり最大公約数の中に共通点があるのだから、そこをしっかりさせておきたい。

だから、初めて会った人や、まだ深くお互いを知らない人の場合は、価値観を変えるような話は不向きである。
それでも世の中には珍しいことが起きたりするので、チャンスがまったくないわけではない。

もし、そんなチャンスが到来したら、ここぞとばかりに自説を述べてもよい。
ただし、相手が興味を持っている確信が持てる場合のみ。

誰だって自分のテリトリーは犯してほしくないもの。
だから、相手のテリトリーも大切にしてあげよう。

 
 

これは私がマクロビオティックを通じて学んだことでもある。
自分でよいと思っていることでも、相手が同じ考えでない場合は、こちらの考えを押し付けるのは控えるようにした。
ただ、情報だけちょっと流しておいて、サッと引く。
相手が気になれば、後日何らかのアクションがあるから、それまで待った。

マクロビオティックを始めた頃、夫はあまり関心を持たなかった。
しかし、私のすることに反対はしなかった。
でも、お願いすると協力はしてくれた。
そんな夫も今は玄米ご飯を食べ、少食を気に入っている。

一番身近なはずの夫でさえ、価値観が違えば無理強いしてはならないと思ったものだ。
それでも夫婦として何十年も連れ添えたのは、お互いに相手のテリトリーに土足で入らなかったからかもしれない。

そんな距離感は、親しい間柄でも必要だから、ましてや他人に対して新しいことを伝えるのは難しい場面だと思う。
若き青年が、これからどんなふうに成長していくのか、実は楽しみにしている私なのだ。

 
 

人にものを勧めるときにはまさに陰陽の法則が働く 2023.5.25

 
 

(富士山 2023.5.26)

 
 
カテゴリー: こころ・想い | コメントする