昨日は「マクロビオティックとは真の自由を実現するための考え方です」という記事を書きました。
では、「真の自由」とはなんでしょうか?
それは誤解をおそれずにひと言でいうなら、「あらゆる束縛からの解放」と言えるでしょう。
純粋無垢の状態で産まれた赤ちゃんは、その日から親の常識の洗礼を受けます。
すでにお母さんのお腹の中でも、その常識の影響を間接的に受けていたわけですが、オギャーと産まれた途端に親やその周りにいる人の常識や思惑を直接的に受けることになるのです。
そもそもそれが不幸の始まりなのですが、赤ちゃんはどうすることも出来ません。
たまに親が健康志向だったり、哲学的な考え方に関心があったりすると、マクロビオティックという考え方に出会ってくれるかも知れません。
そこで正しくマクロビオティックを理解してくれたら、親の人生観や価値観が変わって、それまでの学校教育や社会常識や健康に対する認識が根底から揺さぶられて、新たな判断を下すことになるでしょう。
あるいは少数でしょうが、それまでの社会や学校教育に疑問を抱いていた親は、「これだ!」と意を強くして小躍りされることでしょう。
すでに私たちは自由なのだから、「真の自由」っていわれても・・・と思われる人も多いことでしょう。
しかし私たちは学校教育や育てられ方で直接的に自由から程遠い思考をしています。
さらに常識という真綿のような存在が遠巻きで首を締めるのです。
それらが知らず知らずのうちに私たちの精神を束縛していることに気づいている人と、疑問を感じない人に分かれます。
もしかしたら疑問を感じない人の方が数としては多いかもしれません。
でも、そのような人たちでも不満や苦しみがあるときは、冒頭の「あらゆる束縛から解放」されると、嘘のように平穏がおとずれます。
誰しも悩みや苦しみを抱えることはあるものです。
物事が思いどおりに進まないことは日常的にあるものです。
そんな時にそれらを解決する方法が「あらゆる束縛からの解放」なのです。
今の自分の思考をマクロビオティックの考え方で根底から洗い直してみると、矛盾や根拠のない不安や刷り込みがほとんどを支配していることに気づくはずです。
それを知ったら、その支配をはねのければ良いわけです。
それが「あらゆる束縛からの解放」になります。
具体的方法は、懸念事項をマクロビオティックの陰陽の視点で洗い直すことです。
複雑に絡み合ったことでも、陰と陽という二つの視点まで分解して行くと、なぜかスルスルとほどけて行く問題ばかりです。
多くは欲や見栄に邪魔されていたことを知ります。
誰でも持っているそれらの本能を、いかにバランスよく保つかが真の自由を実現できるかどうかの分かれ道になります。
誰かとぶつかるときには、自分の欲が前面に出ていないだろうかと考えたり、すごく割り切れない思いがあるときには、それは見栄の心がそうさせていたのではないかと考えたりしてみましょう。
その結果なんらかの心当たりがあったなら、あとは謙虚にそれを改めるだけです。
しかし多くの人はその「謙虚」と「改め」が持続しないのです。
そのためにマクロビオティックの本当の良さを享受できないまま、あれこれと迷いながら時間を浪費しているのが現状です。
マクロビオティックの創始者である桜沢如一先生は、貧乏であっても勇気と希望を持てる内容の本を書いていて、その一冊が「永遠の少年」です。
「魔法のメガネ」をかけて世の中を見回してみると、多くの迷いや矛盾を払拭できて、自分の進むべき道が拓けてきます。
そこで伝えたかったことは、きっと「存在そのものが贈り物になる人を目指す」ことではなかったかと思います。
あなたも経験がありませんか?
その人のそばに行くと勇気が湧いてきたり、元気になれたり、笑顔になれることがありませんでしたか?
何もしてくれなくても、その人の存在そのものに価値があると思える人っていますよね。
そんな人になろうよっていうのがマクロビオティックだと思えば解りやすいと思います。
身近な例として赤ちゃんがあげられます。
あの屈託のない笑顔やしぐさそのものが周りの人に幸福をもたらします。
大人になっても存在そのものが誰かの幸福につながる生き方をしている人って素敵ですよね。
そんな人になるための方法が具体的に示されているのが陰陽のものの見方考え方です。
現実には、まず自分の健康を確立することから始めます。
それが出来て初めて、周りの人にも氣のプレゼントが出来るからです。
真の幸福はお金でも名誉でもありません。
そんなことに目が眩まない生き方ができるために、そして、あなたの中にある不要な束縛から解放されるために、私はきょうもお手伝いさせていただきます。
(京都御所 マクロビオティックとはこの砂利を踏みしめながら歩くようなものかもしれない。進みは遅くとも、必ず道は出来る。)