「丹後ちりめん」から着物を想い 日本文化の今を想う

京都新聞に丹後ちりめんのことが出ていた。
京都府北部で「丹後文化観光フォーラム」常盤貴子さんら登壇、丹後の魅力と生かし方探る 2024.3.24

「丹後ちりめん」。
北海道で生まれ育った私だけど、小さい時からこの言葉に接していた。
私の母は生涯を和服で過ごした人なので、時々「丹後ちりめん」を白生地で購入して、京都の染物屋さんで希望の柄に染めてもらっていた。

当然、古くなった和服はほどいて反物に戻して、また染め直しに出して新しい柄になって帰ってくる。
まだ小さい私が柄見本の写真を興味深くのぞいていると、母は「着物は生地が重い方がいいんだよ。その方が何回も染め直しができるからね。」と言っていた。

そんな母に育てられたので、若い時にはよく和服でお出かけしていた。
絵描きの卵だった当時の彼氏と着付けの勉強もして、着物も帯も素敵な着方ができるようになった。
絵を描く者には、和服の世界にたまらなく好奇心をそそられたようだった。

 
 

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さんざん和服のことを勉強したおかげで、「本当の日本人らしさ」を知った気がする。
そして今、京都で京料理人中川善博さんが伝えるお料理を見ていると、遠い日に知った「本当の日本人らしさ」に通じることが沢山ある。
切り方にしても、盛付けにしても、まさにそれは和服の真髄ともいえる感性だった。

見た目には目立たないけど、口に含んでみればその存在に気づく。
ちょっとだけ見える。
見えるようで見えない。
奥ゆかしさ。
自己主張しないけど、確実に存在感がある。

それが日本文化の柱だったように感じる。
しかし今は違う。
自己主張しながら自分の存在を認識させるのが今の生き方らしい。
もちろん、それを苦手だとする若者も多いが…

景色にもそんな一面を感じる。
たとえばライトアップ。
これはまさに自己主張に私には見える。
ライトに浮かび上がる桜も綺麗だけど、こんなところまでライトアップされていた。

 
 

(京都 三条大橋

 
 

このライトアップが京都にふさわしいかどうかは別として、今はその光に群れる人がいる時代だ。
ちなみに、京都の桜の開花状況とライトアップは、こちらのサイトから確認できる。

 
 
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