先日「マクロビオティックで頻尿になった人 塩分のとりすぎが問題」という記事を書きました。
その後Aさんとメールでやり取りをしているのですが、マクロビオティックで最初に入り込んだ知識が邪魔をして、なかなか陰性を取り入れることに躊躇されています。
ご本人なりに今まで努力されていたのですが…
すごくよく分かります。
怖いんですよね。
今まで頑張って来たことが無駄になってしまうようで。
私にも一時期そういうことがありましたから、とても理解できます。
そういう時って、頭で食べているんですよね。
あれは陰性、これは陽性って分類して。
でも、体が本当に求めているものを食べるのが本来のマクロビオティックであることに思いが至れば、解決への道は開かれます。
今日いただいたメールに次のような文章がありました。
>本当は、ほわほわしたパンのようなものにバターをたっぷり付けて食べたいのですが
>腸によくないかなぁと我慢しています。米粉パンなら少しましかなと焼いてみました。
>食べながらこういうものが今は欲しているのかと泣きながら食べました。
Aさんはまだ強い玄米信仰があるので、このようになったのでしょう。
そして、小麦粉は腸に悪いという知識が入っているのでしょう。
でもね、食べ方次第ですよ。
Aさんはガリガリに痩せておられるそうですが、それは腸から栄養分をうまく吸収できていないものと思われます。
ですから、そんな腸に小麦粉は厳禁と思われたのでしょう。
間違いではないですが、その知識に振り回されるととても悲しく、味気ない食生活になったりします。
メールに書かれていたように、ほわほわした陰性をAさんは求めていたわけですから、思い切ってバターを塗って召し上がったらよいと思います。
バターは動物性だからと敬遠することなく、良質の栄養源として使われたらよいのです。
バターにはビタミンAやDをはじめ、カルシウム、カリウム、リン、ナトリウム、マグネシウム、亜鉛などのミネラルも入っています。
とても大事な栄養素が揃っていますし、消化しやすい状態なので、腸がお疲れのAさんにはおすすめです。
ほうれん草のバター炒めなんて簡単で栄養的にもバッチリですよ。
油分は陰性ではありますが、エネルギー源であることも忘れないで、上手に取り入れてほしいなあと思っています。
(茄子の油焚き 中川さんのブログ記事より)
陰性の代表にあげられる茄子ですが、油との相性がとてもよいので、こんなふうに煮物にして召し上がるのもよいですね。
こちらのお料理は、胡麻油と昆布出汁で炊いてありますが、出汁はお好みで変えてもかまいません。
美味しく感じるお味に仕上げましょう。
マクロ美風様
先日は「あもさん」についてのアドバイスをどうもありがとうございました。
予想通り、今の私の体は「あもさん」を欲しがっていないようです。
冬に「あもさん」を初めて食べたときは、おなかが温かくなって思わず「おいしー」
今回はまずくはないけど、お代わりしたくなるほどおいしいとは感じない、でした。
もう少し涼しくなったら、頂きます。
そしてAさんの記事は大きくうなずきながら読みました。
私も「考える」ことが先に出て、「感じる」ことがなかなかできない時期がありました。
Aさんが一日も早く「ゆるむ」ことができますよう、祈っています。
ブルース・リーの「Don’t think,feel]がAさんにも届くといいなあ、と思います。
あちょー!!
いつも問題を共有できるタイムリーな記事を、ありがとうございます。
門左衛門。さん、こんにちは。
やはり冷房をしない生活をされていると、真夏のあもさんは合わないと思います。
それが合うほど門左衛門。さんが陰性ではないということでもありますね。
ということは、冷房でいかに私たちの体が季節とズレたことになっているのか。
そんなことを教えられる例でもありましたね。
Aさんもゆるんでほしいですが、精神面の影響も大きいのでなかなか難しい例ではあります。
マクロビオティックは、桜沢先生の時代とは違った陰陽の実践が必要になっていますね。
そのことは桜沢先生も「盲信するな」と言っておられたので、それを意識する必要性を強く感じます。
マクロ美風様
返信ありがとうございます。
「盲信するな」を意識する
「意識する」って「考える」と「感じる」の間にあるような感じがします。
ということは「意識する」のは中庸、でしょうか。
それが正解かどうかは別として
思いを巡らせることが、楽しいです。
こんな楽しい時間を持てるのは、平和であればこそ。
だから「マクロビオティックの心は平和」なのでしょうか。
門左衛門。さん、おはようございます。
わあ、懐かしい文字が…
「マクロビオティックの心=平和」って、私のブログの最初のタイトルでした。
意識することも感じることも、究極的には非日常の中では極端になってしまうと思います。
戦時下では命を守るだけで精一杯ですからね。
でも、どんな時にも陰陽を意識することは可能なので、自分の置かれた環境で陰陽を忘れなければ、ダメージは最小限になると思います。
陰陽に思いを巡らせるのは実に楽しいことですが、平和時にはそれをもっと自分に反映できたらいいですよね。
そんな観点からも「平和」がネックだったのです。
最小単位では各人、各家庭が、そしてその周りが平和であって、それがもっと多くの人に広がればいいなあと思っています。
私自身、陰陽を意識しているおかげで、平和な心で日々を過ごせています。
ですから、「意識する」は中庸でよいと思います。