きのうふっと思った。
炊きたてのご飯を美味しそうに頬張る息子の横顔を見て。
「ああ、1回1回に心をこめて食べさせておいて良かった」。
いつも一緒にいられると思う家族だけれど、いつ終わりが来るか分からない。
だからいつも「その時」に心を込めて接しておこう。
朝、夫や息子を見送る時も、これが今生の別れになっても後悔しないようにと思って、心を込めて目を見て送り出した。
もし突然帰らぬ人となっても「ああ、あの時見送ってあげれば良かった」なんて思わないように。
いつもいつも次の一瞬が来なくなっても後悔しないようにと思って生きて来た。
だから、子育てもそうだった。
学校の帰りにもし交通事故にあって、朝の笑顔が見られなくなったとしても、息子との最後はあの笑顔に語りかけた「行ってらっしゃい♪」だったと思えるように。
私が病気に冒されていて、余命いくばくもない体で暮らしていたわけではないけれど、気持ちはそれに似た状態だった。
それは私が「後悔」ということを人一倍嫌いだったからかもしれない。
小学生の頃から後悔が嫌いで、やらないで後悔するくらいならやってみる性格だった。
だから「私の辞書に後悔という言葉はない」なんてナポレオンよろしく思っていたものだ。
そしてこの気持ちがずっと今も生き続けている。
一家揃って食卓を囲む回数はめっきり減ってしまったけれど、家族のために作った1回1回の料理は、家族の笑顔が最優先だった。
主婦なら誰でも思うだろう、外で美味しいものをいただいた時、思わず「ああ、家族にも食べさせたい」と。
これは主婦の慣れ性だけれど、そんな日々の繰り返しだった。
私がこうして京都に出入りするようになって、家族は食事に苦労しているだろう。
他人に食事の大切さを話しながら、自分の家族が病気になっては本末転倒だから、それはそれは家族にも気をつかう。
でも、家族は案外と呑気なものだ。
というか観念して協力してくれている。
それが良いことではないと知りつつも、今まで大切にして来た家族との時間が、今の私をバックアップしてくれる。
このことに感謝しつつ、少なくなった家族との時間を密度で埋めようとしている日々だ。
「今、この時」を生きるには少なからず覚悟が必要だ。
瞬時瞬時に決断をするエネルギーも必要だ。
まだ私には覚悟もエネルギーもあるように感じている。
家族や塾生さんから届くエネルギーは、私の大きな力になっている。
すべての人に感謝して、きょうも頑張ろう!
美風さん、おはようございます。
忙しい美風さんのご家族へのお気持ち、いつも気になっておりました。
ご家族に注ぎたいエネルギーを塾生に分けてくださっていること、本当に感謝しています。
そしてご協力くださっている美風さんの御家族にも。
今まで築いていらした絆があるから、快く御協力下さるのでしょうね。
まさに、日々の生き方ですね。
今を生きる、その価値がよく分かりました。
美風さんこんにちは。
今の私の心境にピッタリの言葉です。
家族の理解があって仕事もできるし京都にも通えます。
それは、やはり忙しくても私が生き生きとしてるからなんだそうです。
もしかしたら京都に通うようになって、そんな氣をいただけるようになったからかもしれません。
先日は大切な仕事仲間に「今を大切にね」とメッセージをもらいました。
今を大切に前を向いて歩いていきたいです。
ありがとうございました。
美風さん
こんにちは
「今を生きる」
私も大好きな言葉です。
でも、実践できていたか、と言うと、そうではなくしていたとしても、覚悟やエネルギーのあるものではありませんでした。
家族に対しては特に・・・
この記事を機に、心を新たに、今を生きる、そして、今に生きていきたいと思います
ありがとうございます
家族と同様、それ以上の愛情をむそう塾、塾生に注いでくださってありがとうございます
美風さん、こんばんは!
先日「いまを生きる 共に生きる」というタイトルで
佐藤初女さんのお話を聞いてきました。
明日死んでもいいように毎日掃除をして
ご飯も毎日心をこめて作りながら
でも家族のためには1日でも長く生きられたらいいな
と思っています。
〉嬉しそうに頬張る横顔にちょっと胸が痛む。
〉母が留守中も野菜を多めに食べておくれ
これを読んで私も胸が痛みます。
ゴメンナサイネ。
そして、ありがとう!
中川さんと美風さんが命を削ってご準備くださる
カリキュラムを「幸せコース」でしっかりと
受け止めていきたいと思います。
ありがとうございます!
美風さん、ご無沙汰しています
来月の愛クラスでは、またまたお世話になります
この記事、本当にどんぴしゃりと私の胸に染入りました
しっかり胸に刻みます
今を生きる
日々、丁寧に暮らす
心をこめて
今日も素敵なお話、ありがとうございます
ワタシは美風さんとは反対で、後悔するばかりの人生で恥ずかしい限りですが(苦笑)、
それだけに美風さんの気概を魅力的に思えますし、ワタシもそうありたいと思えるようになりました。
その前に、ここ1.2年は過去を振り返ることが多かったのですが、
そのことにより、良かれ悪かれ?今の自分があることも認識出来たと思うので、
もうそろそろ前進する時期かと思っております。
ワタシは日常での決断力に欠けているかも知れないので、少しは美風さんの爪の垢を煎じて飲む必要があるのかも知れませんね(笑)
いざという時の決断力だけはあるつもりでいますが、それではタマにしか決断出来ないことになるので、
そういうことも含め、『日常が如何に大事か?!』を実感しつつある?今日この頃です(^苦笑^)
美風さん、いつもステキな記事をありがとうございます!
毎日、大切に過ごしているつもりでしたが、
この記事を読んで、まだまだ甘い!と痛感しました。
もっとエネルギッシュに一瞬一瞬を大切に生きたいと思います。
いつもありがとうございます。
てんこさん、おはようございます。
家族ってありがたいものです。
京都通いを可能にしてくれたのは、間違いなく家族が背中を押してくれたからです。
迷ったとき、困ったとき、家族の何気ないひと言は気づきの宝庫になります。
だから、異なる感性の人間と暮らすことによって、自分の偏りを是正できるのだと思います。
自分のやりたいことを実現するためには、家族のやりたいことも実現させてあげる。
これが一番だと信じます。
potiさん、おはようございます。
>忙しくても私が生き生きとしてるからなんだそうです。
同じことを私も家族に言われます。
自分が充実すると、その氣がまわりにも伝わるので、相手も良い氣に包まれるからなんですよね。
だから「まずは自分から」といつもむそう塾ではお伝えしているのです。
potiさんは本当に変わられました。
素晴らしい変化です!
Buさん、おはようございます。
今を生きるというのは、口でいうのは簡単ですが、実行する段階になるとそれ相当の覚悟が必要です。
綺麗なことではなくて、むしろつらいこともあります。
時間との闘いであったりもします。
今日出来ることを明日に持ち越さないことでもあります。
しかし、それを実行するかしないかは、人生を180度変えると私は思っていました。
まずは意識するだけでも違いますね。
意識にスイッチが入って覚悟が出来たら、かなり人生は変わります。
仮に実行が少しであったとしても。
kaguyahimeさん、おはようございます。
ああ、佐藤初女さんもそのような生き方をされていますよね。
このような生き方をされていらっしゃる方は、結構多いと思いますよ。
ただ、口に出したり本に著したりしないだけだと思うのです。
私は父の影響があるかも知れません。
長いシベリア抑留から帰って来て働く父の背中からは、生と死が隣り合わせであることが無言で伝わって来ましたから。
生きるとは死を意識することなんだと、かなり早い段階で自覚したように思います。
おませな子供でした^^;
ひまわりさん、お久しぶりです。
あら、何か受け取っていただけたようですね。
良かった^^
どんなにあがいても明日はきょうの次だし、今日はきのうの次なんですね~。
つまり、きのうの自分が今日をつくり、きょうの自分が明日の自分を支配するのです。
だからきょうを丁寧に生きることが必要なんですね。
そしてそのきょうは、一瞬一瞬の積み重ねでもあります。
今、こうしているこの瞬間。
この瞬間が大事なんです。
まずはいっときの大切さを認識しましょう。
げんたろうさん、おはようございます。
>ここ1.2年は過去を振り返ることが多かったのですが、
それはそうだと思いますよ~。
お父様のことがありましたからね~。
私のような生き方は時間を陽性化してしまいがちですから、げんたろうさんのような生き方には正直なところホッとするものがあります。
面白いものですね。
またいっぱいお話をしたいですね~。
Saさん、おはようございます。
腹をくくるという言い方は古いのでしょうが、私はこんな表現が好きです。
真剣勝負、覚悟、サムライ文化ですね~。
鹿児島でサムライだった曾祖父の血が流れているからかも知れません。
性格がとても似ていると母によく言われました^^;
アメリカの9.11のあとに「最後だとわかっていたなら」という詩がネットで流れましたよね。あれは9・11で親しい人をなくされた方が書いたわけではありませんが、あの詩をみて泣けて泣けて仕方がなかったのを思い出しました。
私も「いつこの日常がなくなるかもしれない」という気持ちで家族に接したいとは思っています。ただ、つい感情に流されてしまうこともしばしば。
でもいってらっしゃいだけは玄関まで見送ります。帰ってくるのが当たり前じゃないから。
日常が日常としてあるのが奇跡だから。
もう少し、このことを心にとめて「さいごだと分かっていたなら」の後悔だけはしないように、日々すごしたいと思います。
いつも、いつもありがとうございます。
まひろさん、こちらにもコメントをありがとうございます。
私達が日常だと思っていることが、実は常にあることの連続ではなかったりします。
つまり奇跡の連続ということですね。
でも、あまりにも奇跡が続くとその有り難みが薄れてしまうのです。
そして、ついにはそれが奇跡だったということも忘れてしまいます。
だから私は、せめて奇跡であることだけでも忘れないようにして毎日を過ごそうと思っています。
美風さん、こんにちは。
今朝、ずいぶん前に交通事故で亡くなった父が仕事に出かけて行く夢をみまして。。
「いってらっしゃい。」っと見送る私がいました。
結婚してからあんまり実家に帰ってなかったので、最後に父と交わした言葉なんて思い出せずにいましたが、夢の中で言えたこの一言が私の最後の言葉として残りそうです。父も笑顔で振り返ってくれました。
やっぱり人との関係は一瞬一瞬を大切にして行きたいですね。
伝えたいことは今伝えておかないと。。
美風さん、いつもありがとうございます。
Hisakoさん、こんにちは。
>夢の中で言えたこの一言が私の最後の言葉として残りそうです。
>父も笑顔で振り返ってくれました。
泣けますね~。。。
このようなことってあると思います。
>伝えたいことは今伝えておかないと。。
そうですよ~。
「今」です。
「今」の繰り返しが人生ですが、その繰り返しは必ずあるものではなく、明日もあるであろうという漠然とした期待感でしかないんですよね。
なんの根拠もない期待感だから、いつ裏切られるか分かりません。
ひたすら「今」を生きましょう。