先日、この記事を読んだ時、遠い昔が蘇ってきた。
私が若かった頃、背中にロックを載せながら暮らしている人によく出会った。
でも、年月が経って、彼らはどんな気持ちで生きているのだろうか?
この記事の先生、素敵だなと思った。
教育者とは、こういう姿勢でもいいのだと思う。
深く響く「想い」を残せたのだから。
そして、当時の生徒さんも幸せだなと思った。
「信念」として残っているのだから。
(声)今も聞こえる、ロックじゃねえ! 2024年1月13日朝日新聞「声」
大学生 森川葉の音(東京都 21)
小学校を卒業して10年近いが、今も時折「ロックじゃねえ!」というしゃがれ声を思い出す。ロックミュージックが好きで、エレキギターを抱えて教室に来ることもあった、6年生の時の担任だった先生の声だ。
その先生は、よく怒った。眼鏡もスーツも平凡だったけれど、全力で怒る姿も、怒る基準も、他の先生と違った。宿題を忘れても怒らなかったが、うそをついて言い訳をすると怒った。掃除中に過ってガラスを割っても怒らなかったが、それを黙っていると怒った。怒りが頂点に達した合図が「ロックじゃねえ!」だ。
先生の叫んだ「ロック」は、この場合は、音楽ではなく、正直さとか、揺るぎのなさとか、そういう意味だったと思う。昔も今も、私は「ロック」になりたいと思わない。だけど、自分の信念に反したことをしてしまった時、逆に何も出来なかった時「ロックじゃねえ!」という先生のしゃがれ声が聞こえる。
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松重豊さん語る ガリッガリの腹とロック 思わず号泣した声欄の投稿 2024年6月8日
(金沢駅前で見かけた半夏生 ハンゲショウ)