「100年って長いようであっという間よ。一瞬だった」 寂聴さん

昨日、こんな記事を読んだ。
【99年、生き切った先生へ 寂聴さんとの最期の日々、秘書の瀬尾さん】2022.1.11

 
 

この中に、次のような文章がある。

先生はいつも私に、「100年って長いようであっという間よ。一瞬だった」と言った。「食べたいものも、行きたい場所も、したいこともすべてしたから何も後悔はない」とも。先生は生き切ったのだ。この世に何の未練もない。

 
 

そういえば、私の母は晩年、毎日お仏壇の前で正座して、般若心経を唱えていた。
それは母より3年早くこの世を去った夫のためであり、ご先祖さまのためであったかもしれない。
母は「思い残すことはな〜んにもない。いつお迎えが来ても大丈夫。」と言っていた。

 
 

私が嫁いだ家は実子に恵まれず、夫が養子として後を継いだ。
(伯父さんの息子になったわけだ。)
17代続いた家だったから、養母さんには跡取りの重圧があったことだろう。
しかし、裕福だったのでやりたいことはして来たし、着たい着物も着たから、思い残すことはないと、生前私に話してくれたことがあった。

 
 

ふと思う。
人は晩年になると、本当に思い残すことがないようになるものだろうか?

瀬戸内寂聴さんは、いっぱい燃焼しながら生きておられたから、このように言い切れたのだと思う。
そして、「100年って長いようであっという間よ。一瞬だった」とも。
私のような凡人は、まだ未練たらしく何かを思うのであろうか?

 
 

いつ死んでもいい。
私もそんな気持ちで日々を送っているけれど、大したことはしてないなあと思う(笑)
やはり、相当なエネルギーがないと大きなことはできない。

ま、自分の健康を自分で維持するようにして、やりたいことをやり抜こう。
やりたいことがあるのは、本当に幸せなことだ。

 
 

(教室の置花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 


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