Facebookで次のようなコメントがありました。
「僕は、長崎に住んでまして、和食の世界にいた際、京都巻とは逆の方向から巻いてきてたので、京都巻を見て驚かされました。なぜ、京都では京都巻と言うものがあるのか?!ご存じでしたら教えて頂きたく思います。宜しくお願い致します。」
東京で出汁巻きというと京巻きとは反対側で向こう側から手前に向かって巻きます。
大阪でも東京と同じ方向から巻きます。
しかし、京都では手前から巻くのです。
昨年むそう塾生が優勝した「第111回京料理展示大会」の「だし巻き作りコンテスト」で、京都の調理師学校の先生から京巻きについての説明がありました。
その説明が次の動画の中にあります。
むそう塾は「マクロビオティック京料理教室」なので、当然出汁巻きは京巻きで教えています。
そして、その理由も教えていますが、今回コメントをいただいた方へのお返事として、記事にしてお答えしたいと思います。
* * *
<なぜ京都には京巻きがあるのか?>
京巻きについては諸説あるようですが、塾長である京料理人中川善博は次の二つが説得力があるかなあと話しています。
【1】
京都には古くから「仕出し」の文化がありますが、中に空気が入ると仕出しの場合はいたみやすくなるので、出し巻きの層に空気が入らないようにするため、手前から玉子を巻いて締めながら巻くようになった。
【2】
京都は庭園の枯山水に代表されるように、見立ての文化が根付いているので、お料理にも当然それが求められ、出汁巻き玉子の形も「真円」か「小判」の形にした。
庭園に限らず、茶の湯や歌舞伎や絵画や文学など、日本には「見立ての文化」がたくさんあるので、【1】の仕出しの理由も【2】の見立ての理由も、どちらも知っていて良い内容だと思います。
そんなわけで、むそう塾の出汁巻き投稿の指導では、プロの視点で断面の隙間・穴・緩みをチェックして、それらをなくせるように指導をしているのです。
[…] 引用:なぜ京都には京巻きがあるのか? […]
マスタードTOMさん、初めまして。
ピンバックをありがとうございました。
お役に立ちましたら嬉しいです。
美風さん、こんばんは。
2年前に読んだ時は気づきませんでしたが、再び今、この記事を拝読し、「見立ての文化」に、「お!」となりました。
そういえば、食べものはただお腹を満たすだけのものではなく、「どう見立てて食べるのか」を、ずっと子供の頃から教育されてきたように思います。
例えば、おせち料理やお朔日・15日の小豆ご飯なども、それぞれの謂れと共に食卓にだされ、「これ食べたら今月もマメマメしく働けるんやで」とか、「一年中無病息災でいられるんやで」とかいうように。
そう見立てるから、続けていこうと思うし、大事に思って食べられました。
「自分で巻いた だし巻き玉子を、今年はおせちに入れたい」というた時、「京都は小判型やで」と、そうなるよう巻き簾の巻き方まで、中川さんが丁寧に教えてくださいました。
そして、「どう炊くかではなく、誰が炊くかが大事なんです」という中川さんの印象的な言葉が、この記事を拝読しコトンと落ちました。
食べ物に限らず、あらゆるものは、どういう気持ちで扱うか、どう見立てるかによって働きが変わる。
私はザルのように取りこぼしていましたが、むそう塾での深い教えが、ポツンポツンと腑に落ちてきて、じぃーーんとしています。
(だし巻き玉子とあまり関係のない、支離滅裂なコメントになってしまって、すみません)
ふみよ丸ちゃん、こんばんは。お久しぶりです。
京都は確かに見立ての文化が他の地域よりしっかり残っているように感じます。
関東方面では京都ほど強く意識されていなかったり、そこまで深く考えていない場合があります。
でも、京都に馴染めば馴染むほど、見立ての文化の素晴らしさや、その奥深さに感心することが度々あります。
そういうことを常日頃意識して過ごすか否かは、長い人生では大いに結果を左右するほど大きな差になると思われます。
私は幸いに人生の後半で京都にご縁が出来て、日本文化の土台になっている京都の空気を直に感じる事ができてとても嬉しいです。
日本人の良さが失われつつあるこの時代でも、京都には当たり前のように残っていることも多くて、その意識のスケールの大きさに感心することがあります。
これからも京都の良さを学んで行きたいと思っているんですよ。