マクロビオティックとは真の自由を実現するための考え方です

私もお世話になったマクロビオティック指導校の某先生が退社されました。
かれこれ20年はお勤めになったのではないでしょうか?
先生とは何度かお食事をご一緒したり、個人的なお話で連絡を取り合ったりしていたのですが、むそう塾を始めてからはとんとご無沙汰してしまいました。
これからは楽しいマクロビオティックを伝えて行きたいと燃えていらっしゃるので、やっとご自由になれたのだなあと思っています。
組織に属していると、どうしても個人的な考えは控えることになりますから、どこかで自由度は減っていたはずです。
これからは多くのご経験とともに、先生の視点からのマクロビオティックを伝えてくださることに、私も楽しみにしております。

ところで、マクロビオティックは制約が多すぎたり、偏りがあって宗教的だと思われたりして敬遠される人が圧倒的多数です。
いずれもマクロビオティックの断片しか伝えられていない時にそのように反応されます。
しかしマクロビオティックの本当の姿は、「真の自由を実現できる考え方」です。

私たちは無限の世界からやって来て、この世という有限の世界に生き、また無限の世界に還って行くわけですが、その有限界での生き方をいかに愉しく自由にするかという「考え方」がマクロビオティックなのです。
その「愉しく自由に」を現実化するにあたって、まず最初に求めるのが健康なのですが、その健康になるための食べ物の説明が「食養料理」だったわけです。
その食養料理があまりにも効果があったので、そのお料理だけがひとり歩きして、本来のマクロビオティックの精神を置き去りにしたまま「マクロビオティック料理」の名のもとに広まってしまったのが現状です。

その結果単純に食材を陰陽で判断することと料理法と体調判断方法だけが広まって、実際には愉しいどころか苦しさや窮屈さや家庭不和や体調不良者まで出す始末です。
ですからマクロビオティックを知っても、そのお食事の極端さに家族から反対されることが多くて、そこから不幸が始まります。
しかしマクロビオティックは先に述べたように、「真の自由を実現できる考え方」なので、玄米を食べなければダメなのではなく、お魚やお肉を食べたらダメなのではなく、白砂糖や牛乳を使ったお菓子を食べたらダメなのでもないのです。

「真の自由を実現するため」には、まずは健康でなければ何も始まりませんよねという話です。
もしあなたが頭が痛かったり、お腹が痛かったり、病気を抱えていたら、そのことに気が奪われて、他人のことまで気を配る余裕が生まれにくいですよね。
ましてや将来の夢も描きにくくなります。
ですから、もし今体調不良があるのなら、それを先に改善してからマクロビオティックの目指す生き方をしましょうよという順序です。
その体調改善のためのお料理が主に「マクロビオティック料理」と呼ばれて、誤解を招きつつも広まっているわけですね。

では、「真の自由」とは何なのでしょうか?
それは自分の好きなことをして新しいものを創りあげたり、色々なアソビをしたり、多くの人に愛されたり尊敬されたりして、最期にこの世に「ハイ、サヨウナラ!」と人生を「アソビ」で終わらせることを意味します。
「アソビ」の人生には苦痛や疲れはありません。
あるのは燃える魂のみです。

ですから、食べ物に囚われているうちはまだ真のマクロビオティックではないのです。
何を食べても健康であって、自由な生き方が出来てこそ、真のマクロビオティックを愉しんでいることになるのです。
夢々食べ物の段階でウロウロする人生でありませんように。
食べ物は手段であって目的ではありません。

真のマクロビオティックを実現するためには、まず陰陽の考え方と自分の状態を知るところから始まるのが現代人ですが、マクロビオティックなんて言葉は知らなくても、すでに真のマクロビオティック的な生き方をされている人は昔からすでに存在します。
それは真理の行き着くところはたぶん同じだからでしょう。
たとえば富士山の頂上に到達しようと思えば、登山ルートはいくつもあるのと同じです。
その人に合ったルートをたどれば良いのであって、マクロビオティックではない考え方でそのルートを歩んでいる人はたくさんいらっしゃいます。
むしろマクロビオティックの方がその人数も少ないし歴史も浅いです。

それでも食べ物から自分の健康を調節して、ひいては精神状態もコントロールできるマクロビオティックの考え方は、食の乱れた現代には有効な方法だと思っています。
それを陰陽という二つの視点で考えるところがとても解りやすいのですが、目で見えるものだけを対象に教育をされた現代人には理解に手間取る人もいます。
それでも目に見えない世界に意識を向けると、グッと心が穏やかになったり、人生観や価値観が変わったりして、「自分の人生を自分で生きている感じ」がするようになります。
それはまた、「自然界に生かされている自分」でもあり、そこに有限と無限の世界のつながりがあって、それを垣間見ることがマクロビオティックの愉しさの一つでもあります。

私はそんなマクロビオティックに惚れて、ずっとマクロビオティックに関わって来ました。
今は京都と埼玉を毎週往復して、京都にいる時間の方が長いのですが、それでもこうして元気に仕事ができるのは、やはり陰陽バランスのおかげだと思っています。
マクロビオティックを難しく感じたら、「とにかく陰陽バランスを取ること」というように理解されたら良いと思います。
冒頭の先生が「楽しいマクロビオティックを伝えたい」とおっしゃるように、マクロビオティックを正しく理解している人は、手段と目的を間違えていません。
あなたのマクロビオティックは今どの段階ですか?
どうか早く真の目的に近づきますように。

 
 

京都産筍 マクロビオティック料理教室 むそう塾

(京都産筍 料理:中川善博)

私はマクロビオティックを知ってからしばらくの間、筍は陰性が強いからといって食べませんでした。
しかし恩師は筍の性質をよーく見抜いており、癌を改善するために用いていることを知って陰陽の奥深さを学びました。
陰陽は一面だけ見てはいけないと思い知ったものです。
常に陰陽は表裏一体のものであることをいつも忘れないようにしなければ、「論語読みの論語知らず」と同じことになってしまうと痛感しました。

筍は確かに陰性が強いのですが、だからこそ陰性を必要とする時季に生えてくる自然に思いを馳せなければなりません。
陰性を陰性としていただくことも必要なのです。
いつも中庸のお料理が理想なのではなく、陰性を必要とする季節にはスパッと陰性を摂ります。

「筍の木の芽和え」なんて、陰性に陰性を重ねたお料理です。
でも、それは一時期一瞬の旬をいただくお料理です。
陰陽が解らなくなったら「旬をいただく」。
それで大きく間違うことはありません。
旬は食べ物にも人生にもあります。
旬を意識して生きてみましょう。
それが案外マクロビオティック的だったりするんですよね。

 
 
カテゴリー: マクロビオティックの指導現場からシリーズ パーマリンク

コメント

  1. Ni より:

    美風さん、こんにちは。
    マクロビオティックの貴重な考え方を今回も学ばせて頂きました。
    有難うございます。

    自分の人生を自分で生きている感、
    これこそが私にとっても本当の願いです。
    でも今の私はしっかりした軸が出来ていないので、右往左往しているのが実状です。
    マクロビオティックの学校に通っていながら、多くの疑問を感じ、
    食に対しても排除的な考え方をし、いつも自分に自信がない状態でした。

    むそう塾とご縁を頂いてから、色々な面で驚きと感激、多くの学びを頂いています。真の自由を実現するために私も元気になります。
    これからもよろしくお願いいたします。

    • マクロ美風 より:

      Ni さん、おはようございます。

      マクロビオティックの一番素晴らしいところは、精神的に完全なる自由を手中に出来ることではないかと思っています。
      その自由が健康になることをも支えてくれたりします。

      あなたが今思っていることは、誰しも通る道であって特別なものではありません。
      月日が解決してくれます。
      つまり、今は咀嚼段階なので、飲み込むまでもう少し噛んでからという感じですね。
      5月から劇的に変化しますから大丈夫ですよ。
      お楽しみに(^^)/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です