衆議院選挙が告示され、選挙運動もヒートアップしていますね。
あなたは各党が掲げる政策をどのように思われますか?
農業に関する問題は国の存亡がかかる重要な問題です。
とりわけマクロビオティックをしている私達は、全体で物事を見たり考えたりするわけですから、選挙にあたってもそのような目で判断したいものです。
マクロビオティック界の大先輩“大丈夫”さんが、過去にmixiのコメントで次のような文章を書かれております。
今この時、もう一度「日本の農業のあり方」を熟慮していただきたいと思って、記事にさせていただきました。
快く転載をお許しくださった大丈夫さんに、感謝を申し上げます。
なお大丈夫さんは、桜沢如一先生の膨大なご本や資料を、それはそれは見事に整理され、ご自宅に文庫を構えていらっしゃいます。
それもそのはず、桜沢先生が御存命の頃、当時の 「M I 塾」でGOレター等の整理をされていた過去がおありなのです。
また、奥様は桜沢里真先生からお料理を習われ、ご自宅でお料理教室もされていらっしゃいます。
共に70歳を超えていらっしゃっても、60代にしか見えないほどお若く、かくしゃくとしたそのお姿に惚れてしまいます。
私のような若輩者にも、ベストタイミングで知識を伝授してくださることが、本当に有難くてなりません。
では、下記にその文章をご紹介させていただきます。
* * * *
<大丈夫さんの文章より>(2009年1月23日記)
最近、日本国際フォーラムの政策委員会が「グローバル化の中での日本農業の総合戦略」について研究、東大の本間正義氏を中心に審議、その結果を提言として、麻生太郎内閣総理大臣に提出したという記事が、1月15日付きの読売新聞に載っていた。
その提言の「基本的な考え方」は、「守りの農業から攻めの農業への転換」であり、「その中軸となるのが、重点的な規模拡大と農業投資を奨励する」もので、「これまでの弱者保護的な政策から脱却し、自立する農業を確立することが大前提となる」という。
いかにももっともらしくきこえるのであるが、日本の農業者のきわめて深刻な実態を知るものにとっては、また、農業者自身にとってはうんざりするほどの絶望的な提言としか、響いてこない。
なぜなら、これまで日本の地域社会の生活と経済を支え、環境保全にも貢献し、何より日本人の健康と命の基本を支えてきたものは、家族的集約農業者の食糧生産のお蔭なのである。
にも拘わらず、彼らの未来は「農地の所有や利用を全面的に自由化することによって、他産業からも参入、投資」によって、完全に閉ざされてしまうと言う話だからである
たしかに戦後日本の経済復興が、人々の生活に大いなる利便と豊かさをもたらせてくれたことは、事実である。
ジャパン アズ ナンバーワンなどと言う過大な賛辞に、日本人がある種の快感すら覚えたのも、きのうの夢のように記憶に新しい。
しかしながら、物の豊かさを求めつづけた工業中心の日本経済の現状は、さながらアメリカ社会と相似形の、果てしない空に浮かぶ飛行船のような、危うさに曝されているというのも、紛れもない事実である。
しかも、100年に一度とも言われるグローバルな社会大変革の時期、アメリカ発の金融危機、工業生産の空洞化、そして日本においては、高齢者の増加と少子化という人口問題、さらには増え続ける医療費、危機的な農業問題等々、次から次へと緊急の難題が、われわれの前に立ちはだかっている。
これらの課題に、われわれは、いかにして立ち向かうべきか。
いまや、世の中は心の時代である、と言われて久しい。しかし、さっぱり実効性が挙らないのは、如何したことだろう。
相対的な世界を闊歩する科学的思考を唯一の手掛かりとして、われわれの学習した頭は、なぜか対立概念として心を捉えようとしてしまうのである。
ここに誰もが気づきにくい、実は大きな、しかも重要なポイント、「ものの見方、考え方」に不十分なところがあると、私はジョージ桜沢の著作を読むたびに、気づかされてきた。
したがって、マクロビオテイツクの観点から考えれば、日本人ばかりでなく、世界のあらゆる地域の人々が、命の原点である食料をまず自ら確保するという原則を、共通の認識として共有することが大切であろう。
その理念の具体化のため、政治家、事業家、医者、教育者、芸術家、そして一般の市民など、その国、その世界の人々が、それこそオバマさんではないが「互いに責任をもって」事に当たることが、新しい健全な人類の未来を築いていくことになるのではなかろうか。
日々のマクロビアンとしての行動も、その視点をもつか、もたないかでは、大きな差が生まれることを強く心に認識したい。
おはようございます。
マスコミはどの政党のマニフェストも同じようなものだという批判をしていますが、よくよく見てみると違うんですよね。農業についても自民と民主でははっきりとした違いがあり、同じようなものとして片付けるのは早計だなと思いました。
このような記事もここで読むことができるのは大変ありがたいです。
先日何度か宅配野菜業者さんが、農業ボランティアの大学4年生のかわいい学生さんを連れていらっしゃいました。
いろんな事を質問されつつ、お若いながらも農業に対する熱意に感動したことが思い出されました。(でも彼女は農業と関係しない企業に内定が決まっているそうですが)
また、私の知人は今、「農家の嫁探し」のための情報誌作りに奮闘されています。
更には専業農家の私の従弟は、とうとう(!)他の国からお嫁さんをもらうことにしたとか・・・。
現実問題、農家の働き手は高齢になり、あと10年後?を考えると大変なことになってしまうでしょう。
美風さんの書かれている記事とはちょっとずれてしまうのですが、すぐそばに「農」と接する私のそばには、ずれてしまった世の中でもがいている人々がたくさんいます。
更に最近は、企業が管理する農地がずいぶんと多くなり、様々な問題ばかりを耳にします。
また、不況でもがいている業種の会社が農業に乗り出すという話も聞いています。
自分に何ができるのか・・・と思うも、せいぜい真面目で一生懸命な農家さんから野菜を買うこと位なのです。そして私と同じような気持ちの方々も、実は周囲には多くいらっしゃるのです。
政治家がどんな公約を立てようとも、それが下々まで響いてこなかったり、農家そのものに絶望されるような内容では残念なことですね。
議員さん方には毎年1週間でも農家にホームステイしてびっちり農業体験でもしていただくしかないのでしょうか。(苦笑)
ちょっとピントはずれなコメントで失礼しました。
Fionaさん、こんばんは。
農業はとても重要な産業であるにもかかわらず、違った角度から論じられることが多いですね。
一度失ったものは戻って来ないか、再構築に気の遠くなる年数を費やします。
ぜひお若い方々が、農業を意識してくださって、「何かおかしいぞ」という氣づきを得てほしいと思います。
この度は美風さんのお奨めで、ブログに農業問題に関する私の拙文を載せて頂き、誠にありがとうございました。ただ、その文中に「ジャパン イズ ナンバーワン」と書いてしまいましたが、それは「ジャパン アズ ナンバーワン」の誤りでした。ここに深くお詫びを申し上げます。そしてまた訂正方、よろしくお願い致します。(これは美風さんに関係なく、原文を書いた私のミスでした。念のため)
大丈夫
Myさんのコメントをうんうんと頷きながら拝見させていただきました。
書かれていることすべてが私と同じ認識です。
私は農業の経験があるため、実際の農作業がどんなものであるか、所得の格差や生活ぶりすべてに、異分野から見る夢とは遠いことも知っています。
だからなおのこと、Myさんのお言葉一つひとつが胸にしみました。
農業の現状は本当に厳しいものがあります。
しかし、たとえばフランスの自給率を考えると、雲泥の差の日本の農業政策は、やはりなんとかしなくてはなりませんよね。
話はまったく違いますが、8月の初めにむそう塾で使っているお野菜に新しい生産者さんが登場しました。
中川さんのお話によると、そのキュウリを作った人はひきこもりだった少年なのだそうです。
みんなでそのキュウリの見事さと味の濃さにビックリしながらいただきました。
中川さんいわく、「想いがこもっているんですね~」。
一同深く頷きながら納得したものです。
想いのこもった農産物。
これは夢のまた夢。
あるいは自分で作るしかない。
そんな時代になってほしくないと思いながらも、多くの人が自分に何が出来るだろうと思っているのが現実でしょうね。
私はとりあえず生産者さんに声を届けることにしています。
人間のエネルギーは、たったひと言でも大きなエネルギーになれるからです。
ああ、いけない。
この問題を書き出すとエンドレスになってしまいます。
今回はこの辺で。
>私はとりあえず生産者さんに声を届けることにしています。
できることを進めるということ同感です。
誇り高き農業者は、守られることで失ってしまった事柄があります。
やりたい農業の夢を追えない。作りたいものを作れない。
同時に買う側も多くのことを見失っていますね。
食料についてなお経済が優先される政策論議で、失われたものを顧みることはあるのでしょうか。自立を進める農業への投資は早くも限定的かと思われ、救済されるべき農業者に該当しない…?
話は変わりますが最近は私の想うところの「想いのこもった農産物」に出会うことが可能となりました。
食べ物をどう捉えるかというところから始まって随分時間がかかっています。
思えば、会社帰りに立寄るスーパーで異国の産地のものや無惨な売れ残りを買うしかなかったあの悔しさが食と農業への関心の始まりです。そしてあの悔しさが無かったなら美風さんとのご縁は無かったでしょう。やはり食べ物のことは女性が氣づきを得て進めていく事柄なのだと思います。
日々の合間に天候を憂い、想いを馳せ、収穫を祈る。
想いを受けとめ、労に感謝していただく。
この日常の豊かさ、プライスレス!
さすがまりこさん。
農業にかかわるお仕事をされているだけあって、含蓄のあるお言葉が並びますね。
。
何だか最近、子育ても産業の育成も同じだなぁとつくづく思います。
>誇り高き農業者は、守られることで失ってしまった事柄があります。
本当ですね。
農業者を守るのではなく、自立出来るように育てるのが本来の姿ですものね。
産業も人間も、自立して初めて競争に耐えられるようになるのですから。