投稿者「マクロ美風」のアーカイブ

納豆は冷凍すると便利 薄くて小さいお宝さんDIRECTの納豆

私は北海道の十勝で生まれ育ちました。
十勝といえば、酪農と農産物が豊かなうえに、母はマメにお料理をする人だったので、ほとんどのお料理が手づくりでした。

お醤油やお砂糖は買っていましたが、お味噌は母が作っていました。
たまにお肉やお魚も買いますが、圧倒的に野菜料理が多くて、今思えばかなりマクロビオティック的な食生活でした。

母は漬物もとても上手で、「漬物小屋」があるほどです。
何種類もの季節の漬物を管理するには、一定した環境が望ましいからです。
お食事の前にボールを持って、指示された漬物を取りに行くのは私の役目でした。
樽から引き出したばかりのお漬物は、それはそれは美味しかったです。

当時の我が家は、自分で作った野菜とお米、自分で育てた鶏や豚、それに敷地内でとれる果物が食生活の中心です。
輸入品なんてありません。
身土不二を絵に描いたような暮らし方が、私の日常でした。

そんな母と環境のおかげで、私の身体は基本部分がしっかり出来上がったのかもしれません。
それに、食べ物の好き嫌いがなにもないのがよかったと思います。

 
 

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好き嫌いといえば、納豆を嫌う人は多いですね。
これは個人的な問題以前に、地域によって納豆を食べないところがあるからでしょう。

私が横浜に住んでいたときのこと。
同僚で九州出身の人がいたのですが、「甘納豆をどうして朝から売るのかなぁ?」と思っていたという笑い話がありました。

今では全国どこでも納豆は売られているでしょうし、日本の代表的な食べ物の一つになっていますけど、昔はそんな人もいたのです。

 
 

その納豆ですが、母は納豆も手づくりしていました。
大豆の匂いが台所からしてくると、「ああ、納豆を作るんだな」と子どもながらに分かったものです。
そのおかげか、全員が納豆大好き家族でした。

母は大きな器に全員分の納豆を入れて、テーブルに出すので、銘々がそこから自分のごはんにかけます。
その大きな器の底には、お醤油味のとろりとした粘液があって、そこにごはんを少し入れて食べると最高に美味しいのです。

2人の姉、兄、私の4名は、対等にそれがほしくてなりません。
(きっと父も母もほしかったに違いありません)
それで、順番に最後の楽しみを待つのです。
ということで、4回に1回は私の順番がまわってきます。

 
 

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ところで、納豆の保存はどうされていますか?
今は冷蔵庫で保存するのが当然ですが、まとめ買いをしたり、賞味期限までに食べ切れないというときには、冷凍がおすすめです。
もちろん、とっくにされていると思いますが、パックの形状によって解凍しやすいものがありますよね。

むそう塾の「お宝さんDIRECT」で扱っている納豆なら、薄くて平らなので、冷凍も解凍もしやすいです。
解凍は、室温に10分放置でOKです。
経木に包んであるので、さら〜っと剥がれて扱いも楽チンです。

 
 

 
 

なんだか、マクロビオティックの陽性マーク(△)と同じで、エネルギーを貰えると思いませんか?
普通の納豆より小ぶりなので解凍も早いです。

納豆菌は熱には弱いのですが、冷凍しても死なないで冬眠状態になります。
20度以上になると復活して活発に動き始めるので、そのことを踏まえて解凍されるといいですね。

 
 
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2024年度の各コースの日程についてお問い合わせがありました

まだ9月なので、来年の話をしたら鬼が笑うでしょうか?

でも、複数の塾生さんから、来年のコース日程についてのお問い合わせがありました。
再受講のご希望もありました。
ありがたいことです。

むそう塾では10月から翌年度の受付を開始するので、個人的にご相談があるかたは、今の段階で意思表示をしてくださっています。
一番の問題は日程かもしれません。
遠くから通われる人が多いので、どなたにも受け入れていただける日程調整に心を砕くのが私の仕事です。

どんなことでも、どうぞお気軽にご相談ください。
皆さんのご希望を叶えるべく、あらゆる可能性をさぐってみます。
2023年度の日程は、こちらの記事をご参考になさってください。

各コースの皆さんが、日程をなんとかクリアできて、笑顔で京都に集まれることを楽しみにしています。

 
 

(教室の掛け花 マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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誰からどんな方法で学ぶかはとても重要

学び全般にいえることですが、誰から学ぶかはとても重要です。
大袈裟に言えば人生が方向づけられる場合もあります。

学ぶというのは技術のことも多いですが、それとともに教えてくれた人の「生き方」や「考え方」も学んでいるんですよね。
皆さんもきっとそんな経験がおありではないでしょうか?

 
 

お料理の世界でも同じです。

誰から、何を学ぶか?
どんな方法で学ぶか?

今の時代はオンライン講座で学べるものが多いですが、一番正しく(たくさん)伝わるのは、やはり直伝ですね。
特にお料理は香りや匂い、味加減、かたさやわらかさなど、ポイントがいくつもあって、とてもオンラインではすべてを伝えられません。

「マクロビオティック京料理教室  むそう塾」では、全国から飛行機や新幹線に乗って京都まで通ってくださいます。
しっかり受け取るために、お金も時間もかけて通ってくださる皆さんのことを思いながら、ベストの内容をお伝えしたいといつも考えています。

一つひとつのお料理が、塾生さんに、そしてそのご家族様の健康や人生に大きな影響を与えるからです。

 
 

下の写真は白きくらげのやわらかさを確認しているところです。
こうして教室で確認することがお料理にはいっぱいあります。
そしてなんといっても、「美味しさ」の確認は最後の重要ポイントです。

教室では、どうぞいっぱい触って、味見して、五感をフル稼働させて正しく持ち帰ってください。
こうしてはじめて「伝授」したことになるからです。

 
 

自由人コース4の授業より マクロビオティック京料理教室 むそう塾)

 
 
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髪の色とマクロビオティックの陰陽

ふと思う。
最近、黒い髪の人を見かけると、なんだかホッとする。
今や男女を問わずカラフルなヘアスタイルが多いので、もう見飽きたのかもしれない。(陰性)

私は2017年から2年半ほど、パープルやピンク、そしてオレンジ色に染めて楽しんでいた。
レストランで見ず知らずの若者に褒められたり、お散歩中に知らない人から「そんな色にしたいから色の名前を教えて」と言われたりした。
(陰性オンパレード)

まあ、その頃は色々な色を楽しんでいたわけだが、それから6年あまりが経って、周りにどんどんカラフルな頭が増えてくると、ちっとも楽しくならない。
つまり、見飽きたのだ。

だから、たまに黒い髪に出会うと、なんだか新鮮な感じがするのである。
そして、心が落ち着く。
これはまさしく陽性の力だ。

色々なカラーで陰性を楽しむのもいいけれど、時間の経過とともにまた陽性に戻る人も多いことだろう。
季節は私に一足早く陽性を運んできてくれた。

これからは秋。
紅葉は木々に任せて、私の頭はシックに戻るとしよう。

ヘナに切り替えてから半年。
手触りも変わってきて、なかなかいい感じになって来た。

 
 

(こんな色のときもあった。さようなら)

 
 
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「青春とは、心の若さである」 サムエル・ウルマンを再び

調べ物をしていたら、サムエル・ウルマンの詩が出てきました。
青春 2010.7.25

75歳になった今、読み返してみると笑えるほど私の人生もこんな感じだったなぁと思えます。
つい最近もある塾生さんに、似たような話をしていたところでした。
希望や夢があったら挑戦すればいいし、ためらうことなんて何もない、前進あるのみですよと。

失敗?
あら、物事が思い通りにいかないのは当然のことだから、そのときに考えればいいんじゃない?
あらかじめ考えるより、ずっとパワフルな判断が短時間でできるから、事前にウダウダ考えるのは時間の無駄遣いだと思いますよ。

ということで、もう一度サムエル・ウルマンに登場してもらいましょう。
今度は作山宗久さんの訳です。
なお、この詩はサムエル・ウルマンが80歳の誕生日祝に、家族が自費出版して縁者だけに配った本に収められていたそうです。
それをマッカーサー元帥が気に入って、執務室の壁に飾っていたのだとか。

 
 

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< 青 春 >

サムエル・ウルマン
作山宗久 訳

青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。

「青春とは、心の若さである」  角川文庫

原稿はこちらの記事からお借りしました。

 
 

(京都の空)

 
 
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