(鱧の棒寿司 料理:京料理人 中川善博)
2015年8月4日は、5名のむそう塾生にとっては記念すべき日だったと思います。
今回は急遽骨切り指導日を一方的に設置したため、都合がつかなくて参加出来ない人もおられて残念でした。
でも、日にちが経つとどんどん鱧が成長して骨が硬くなってしまうため、骨切りがもっと難しくなることから、少しでも早い日程での開催が必要だったのです。
ぎっしり詰まった日程の合間をぬっての臨時指導だったため、ご都合のついた人たちだけで集まりました。
この講座の告知をしてから塾生のおはるさんから相談メッセージがありました。
おはる:美風さん、こんばんは。骨切りの件、今の自分には手を出しすぎなのか、今は包丁研ぎに専念する時なのかと自問してます。 希望しておきながら申し訳ありません。
美風:おはるちゃん次第ですね。自分で決断しましょう。
私はおはるさんがご自分の意志で総合的に判断して決めてほしいと思ったので、私から具体的なアドバイスはしませんでした。
そろそろマクロビオティックの陰陽を活かした判断をしてほしかったからです。
それに骨切り包丁を買うためには5万円近い出費を伴うというのもありました。
直前まで悩んでいたおはるさんは、30日の朝突然に鱧の骨切り包丁を買ったとTwitterでつぶやいていて、正式に骨切り講座参加の意思表明をされました。
そして当日。
「緊張してドキドキなんです・・・」と不安げな表情で教室に現れたおはるさんでした。
でも、最初に桂むきからスタートしてみると、おはるさんはとても桂むきが上達していたのです。
ずっと手のアトピーがひどくて、桂むきの練習もままならない日々が過ぎていたので、ツヤツヤした大根シートを剥きあげて行くおはるさんの手元がまぶしく感じました。
と同時に、こうして桂むきに向き合える状態までアトピーが改善したことを、心から嬉しく思うと同時に、つらかった日々を想い出して、私は一人でウルウルしていました。
さあ、いよいよ骨切りですが、なかなか思うように切れません。
そりゃあそうです。骨切りは難しい技術なんですから。
でも、中川さんが丁寧にそばで指導しています。
なんとか最後までたどり着いて、写真のように骨切りした鱧を焼き上げることが出来ました。
ちゃんと流線が出ています。
やりきった表情のおはるさんにこちらも安堵の気持ちです。
最後に中川さんが作ってくれた鱧の棒寿司を試食したところ、あちこちから感動の涙がこぼれていました。
その美味しさと、もう幻で終わってしまうかもしれないと思った棒寿司を自分の手で作れると思った感動の涙です。
本当に嬉しかったのでしょうね。
おはるさんも泣いています。
* * *
今回のことでおはるさんは自信が一つ増えたと思います。
チャンスを活かす決断ができたこと。
最初から無理だと思わないで挑戦したこと。
鱧をおろすところが苦手で途中で離脱しそうになったけれど、最後まで頑張ったこと。
自分のおろした鱧でちゃんと合格のもらえる骨切りができたこと。
京都から夜遅い帰宅だったにもかかわらず、翌朝にはこうして鱧をおろして串を打って焼いてお弁当を作りました。
なんて素晴らしい進歩でしょうか。
人は必ず成長する。
成長しないと思ったり諦めたりするのではなく、挑戦する心を失わないこと。
信じることができる人と密な関係を築くこと。
迷った時には後退ではなく前進を選ぶこと。
これらを可能にするにはマクロビオティックでいうところの陽性のエネルギーが必要です。
いざというときにスッと判断できて、ササッと行動出来る陽性さは傍で見ていても気持ちの良いものです。
それは食べ物や暮らし方の陰陽を意識することから始まります。
ただなんとなく生きているのではなく、陰陽のエネルギーの違いを知って、それを生活に取り入れることを提案しているのがマクロビオティックの考え方です。
そろそろおはるさんにはそのマクロビオティックの考え方が浸透してきたのでしょうか。
最近はなかなか良い氣が巡っていて、私も嬉しいです。
美風さん、こんばんは。
こんなに素敵な記事にしていただいて、ありがとうございます。
昨日は骨切りの授業中もできない自分が情けないからか悔しいからか、思いが溢れて涙しそうになってしまい、感情的になってしまった自分に驚き、ただただ反省してた所でした。
手を広げ過ぎてがっつくことと、学びたい意欲の境界も分からずに、自問の日々でした。
骨切りという秘伝を教わる貴重な機会に驚き、真剣勝負の場に身を置きたい思いを持ち、受講を希望しました。包丁の在庫もわからない状況でしたが、お店でスッと出していただいて輝く骨切り包丁を見た瞬間に、吸い込まれるように購入しておりました、。
去年の今頃はまだアトピーがひどく、迷うという選択肢すらなかったです。今この時だからこそ、掴めたチャンスに感謝です。
麗可ちゃん、舞ちゃんのがんばり、協力してくださるみなさん、見守ってくださる皆さんに、ただただ感謝です。便乗してしまった身でありながら、お騒がせしてしまいました、、。
昨日の朝、砥石を買いに行った時、お店で「ブログ見てますよ。頑張ってくださいね^ ^」と笑顔で声をかけていただいて、とても嬉しかったです。
なかなか直せない癖も、手の遅さも、めげずに取り組みます。
貴重な学びを手に馴染ませます。
ありがとうございました。
大きな励みとなりました。
いただいたお言葉を大切にします。
長くなってしまい、申し訳ありません。
おはるちゃん、こんばんは。
おはるちゃんから相談を受けた時、私にしては珍しく、まったく方向性を示しませんでした。
あんなお返事では、おはるちゃんが迷って困って途方にくれることは目に見えていたのですが、最近おはるちゃんの氣の澄み方が変わってきたので、これは何かを引き寄せるかもしれないから、泳がせてみようと思ったのでした。
そうすると最後の1本になった包丁をおはるちゃんが引き寄せました。
この講座はまず包丁をゲットすることから始まって、そのゲットの仕方が実に陰陽のお手本のような展開でした。
おはるちゃんが日頃コツコツと頑張っていたことが、こうして陽性のエネルギーとしておはるちゃんを助けてくれましたね。
お見事でした。
>手を広げ過ぎてがっつくことと、学びたい意欲の境界も分からずに、自問の日々でした。
①指導者が同じ場合は手を広げて学ぶことは有益であったりします。
それは目指す頂上に向けての入り口が変わるだけだからです。
②しかし、指導者が異なる場合に手を広げると、目指す頂上が異なってしまうことが多いので、混乱して良い結果につながらないこともあります。
③ただし、目指す頂上が同じ場合は、ルートを変えるだけなので、指導者が変わることによって効果的に作用することがあります。
結論として、今回は①のケース(指導者が同じ)なので、切り口を変えただけにあたり、可能性の扉を増やしたことになりました。
そして可能性の扉を押して、見事に一つの技術を突破口として結果を出せたのです。
相性の良い技術に出会えて良かったですね。
ますますの上達を期待しています。
美風さん
おはるちゃん
おはようございます!
最近おはるちゃんの「おっかけ」みたいに(笑)
コメントしまくっていますが
お許しくださいね。
そして、このお弁当を拝見した時は
「感無量」でした!
う~む・・・
中川さんのお弁当指導が始まった初期のころ
まるで花柄のブラウスとチェックのスカートをはいているような
統一感のなさに目が点になり、「混沌弁当」と呼んでいましたが(笑)
おはるちゃんには「作為」というものが皆無なのではないか!?
というある意味の感動もありました。^^
でもこの人はこの先どれほど練習してもみなさんみたいに
進化できないかもしれないと言う気持も正直どこかにありました。(失礼)
ところが、3種盛りのシンプル弁当を投稿され始めたころから
とても心惹かれるお弁当が目立つようになり
私はとても楽しみにしていました。
そして、このお弁当箱になってからは
それは、もう、別人みたいに・・・
素敵すぎます~!!!
今となっては「作為のなさ」がおはるちゃんの武器のように思える私です。(^_-)
ちなみにアーチストたちは「作為のない」作品を目指しているそうですが
それがなかなか難しいらしいのです。
おはるちゃんのお弁当は私から見たらお弁当界の「ミニマルアート」です。
これからも楽しみにしていますね~♪
PS
美風さん
失礼な書き込みでしたら削除願います。
Kaguyahime さん、こんにちは!
いつもエールをありがとうございます。
行きつ戻りつで、自分のことってなかなかわからないですが、嬉しいです。
美風さん、コメント欄をお借りしました。ありがとうございます。
Kaguyahimeさん、こんにちは。
>でもこの人はこの先どれほど練習してもみなさんみたいに
>進化できないかもしれないと言う気持も正直どこかにありました。(失礼)
あれれ、そうでしたか(笑)
私も中川さんも何とかして進化してもらおう、必ず進化出来る、と信じて応援してきました。
そしてこれからもその気持ちに変わりはありません。
理由は人は死ぬ直前まで変化できるからです。
生きているということは進化出来るということです。
これがむそう塾生全員に対する私と中川さんの姿勢です。
>今となっては「作為のなさ」がおはるちゃんの武器のように思える私です。(^_-)
おはるちゃんは純粋なんです。
赤子のように純粋なんです。
ある意味では大人の考えで汚されていないんですね。
そういえばKaguyahimeさんも純粋ですよね。
糠床にかける情熱は相当なものです(^^)