中川式糠漬けの魅力



私は小さい時から漬け物が好きでした。
考えてみると一家揃って大の漬物好きでした。
それは母の作る漬け物が美味しかったからです。
母は何でも手づくりする人で、お裁縫や編み物はもちろん、お料理にいたっては近所でも評判の腕前でした。
お味噌も毎年作っていて、よく手伝わされたものです。
特に漬け物は種類も量も多くて、秋になるとその準備で大忙しでした。
当時の北海道では冬の野菜供給源として、漬け物が必需品だったからでしょう。
そんな母でも私に伝えてくれなかったのが糠漬けでした。
私が生まれ育った十勝地方は、北海道でも気温がとても下がるところで、真冬には零下20度を下回るなんてザラでした。
真夏でも朝晩はちょっと火の気がほしいくらいで、半袖の服なんか8月の2週間くらいしか着ないような気候なので、糠床の発酵が充分に出来なかったためと思われます。 
日本海側の札幌では雪まつりが行われますが、太平洋側の帯広では氷まつりが行われるのは、十勝地方がそれほど寒い証拠でもあります。
関東に出てきて私は糠漬けの魅力に取りつかれ、独身時代から糠漬けを漬けていたのですが、中川さんの糠漬けを知った今は、ああ知識が浅かったなぁと思い知りました。
その差は「発酵」と「旨味」でした。
私がかつて漬けていた糠漬けは塩の力で漬けていたのでした。
ですから食べる時間を逆算して漬け込まないと、調度良い美味しさになりません。
そのために糠漬けを樽から出さなくちゃと大急ぎで帰宅することもしばしばでした。
漬けすぎてしまった場合はしょっぱくなるので、塩ぬきして下の写真のようにして食べていましたが、やはり旨味が中川さんの糠漬けとは違いました。

中川さんの糠床は強力な発酵をキープさせるところが大きな特長です。
その発酵が塩を熟れ(なれ)させ、食材の旨味を引き出し、糠床の旨味を増し、さらに糠床の旨味が食材に移るのです。
ですから、食材が中川式の糠床に抱かれてしまうと、浅漬から古漬けまでその時その時の美味しさになるので、漬けすぎということがありません。
安心して漬けておけます。
こうして京都まで毎週通っている私が、4〜6日間漬け込んだままでも平気でいられるのは中川式のおかげです。

このくらい漬かると大人の味とでもいいましょうか。
味の奥深さを感じます。
と同時に旨味の存在を強く感じるようになります。
これは塩がなれている証拠ですね。
母が塩漬けしていた胡瓜の樽にも産膜酵母が張っていることがありました。
その時の胡瓜の味も好きで、モクモク食べていたものでした。
粕漬けに漬け変える時の胡瓜も似たような味でした。

こうなったらもう、梅干しと同じで見ただけで唾液腺が刺激されます。
とくにこの茄子を口に入れると、ジュワワ?っと広がる酸味と旨味に身悶えしてしまいます。
身悶えする美味しさって理解していただけますかねぇ? 
糠床に抱かれてしまった茄子や胡瓜は、少女から熟女までのそれぞれの味を楽しませてくれます。
え? エロいですか?
あ、そうかもです(ノ´∀`*)
朝から身悶えを想像してください(笑)

カテゴリー: 中川式糠漬け, マクロビオティックが楽しい♪ パーマリンク

コメント

  1. […] わらなかった世界だからです。 お料理は理屈ではないことを思い知るでしょう。 先の記事にある糠漬けも理屈ではなく現象ですね。 目の前にある現象にいかに自分が寄り添えるか。 そ […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です