マクロビオティックの真髄~「明治の男ここにあり-序文(1)-」

– – マクロビオティックの真髄~「明治の男ここにあり-序文-」のご紹介 – -より続く
はじめに

 

「みっつめの目」・(生命の原点にたちかえるマクロビオティック)を一九九九年に初めて自費出版致しました。
当時は今ほどマクロビオティック関連の本が一般書店では見られず冊数も少なかったので友人、知人に配った程度でした。
「なぜ本を?」の答えはある一人の明治時代の日本男児に惚れ込んだからです。
明治生まれの日本男児の伝記などを読むにつけ、何て素晴らしい人物が多いのかと度々感動していたのですが、今回ほど本に書かれた思想や実践法が直接我が生活に生かされて命を助けてもらった上に、人生観まで変わるほどの凄い影響を受けたのは初めての経験だったからです。
おしゃべりな私は黙っていられず、文字にして伝えるべきだと体の底から得たいの知れないパワーが湧き出て出版へと事を運んだ次第です。
一番初めにこの惚れた男の思想や生き方を知ってほしい、理解してほしいと思ったのは最も身近にいる主人でした。
やっと本が完成して我が家に届いた時は私は少々興奮気味で、嬉しさや恥ずかしさや感謝の気持ちなどが入り混じる中、何かの言葉を期待しながら主人に一冊差し出しました。
「何が嬉しいて本なんか出すんや」と大金を快く出してくれたにも拘わらず、私の期待を大きく裏切った照れ隠しの第一声(素直デナイ!)でした。本が宅配される(五百冊)知らせを受けた時も「部屋中本だらけになったらどないするんや?」となど、これまた常識はずれなことを言っていたので私は本棚にそっと入れておきました。

 

主人が大学を卒業した頃は職場は真空管から半導体へ一変した新しき時代の幕開けで、江崎玲於奈氏のノーベル平和賞受賞で電機業界を初め商社などは革命期で企業戦士無しには日本の発展はあり得ない頃でした。
科学、科学の時代で遊びさえもICチップを応用したゲーム機の始まりでしたから、その利用、応用範囲は天井知らずで、当時の食生活もゆったりした自然食や玄米食などは軽蔑され、私自身も欧米風の食事が時代の先端を行って恰好良く思えて、無知なる者の標本版で過ごしていました。

 

私が四十三歳の時、明治二十六年生まれの桜沢如一(さくらざわゆきかず)の著書「魔法のメガネ」を読んで大きな衝撃を受けたのです。
三十代は子育てと接待で明け暮れていましたから、気休めはフレンチポップスのミッシェル・ポルナレフの歌が唯一の癒しでした。

 
突然、私が大変な衝撃を受けた世界は東洋哲学の世界で、人が生きて行く基本理念であり、私の幼稚な世界とは全く次元が異なり今までに誰も教えてくれなかった、けれども誰もが知っている当たり前のことを知らされたのです。
興奮して喋る私に主人は自分は一応化学者だからデーターのないものや専門業界で認められて無いものは認めたくないなど排他的発想で「好きなもん食って飲んで仕事するのが一番や」と全くの無視で横綱級の午前様の連続でした。
人は知れば知るほど自分が無知であることを知らされるものだとつくづく知って、今更どうしょうもない恥ずかしさに陥り子供達にも申し訳なく、と言っても素直に謝る勇気も可愛げもなく、反面このような素晴らしい本に巡り会えたことを唯々、心から感謝して人間の生命力と食物の持つ偉大な神秘性に感動していました。
それ以後は彼の著書を読み始めてどれも納得、感動、実践となったのです。
そのような「みっつめの目」(初版・新風社)でしたが、あるご縁からこの本が大分県のなずなグループの赤峰勝人氏(完全無農薬農業実践者)の手にわたり、絶版にするのは惜しいと言われて再版をして下さることになったのです。そして現代に至りこれはなずなグループより販売されています。
私を虜にして人生観をすっかり変えた桜沢如一の思想と実践は主人の仕事の都合もあって途中下車は何度もありましたが、結局、私達家族(主人さえも)は度々命の危機を救われたのです。
その後、幾年も歳月が流れる中、様々な事を体験しつつ桜沢思想の共鳴者、賛同者の仲間を得て毎日が楽しく学ばされる日々を過ごしながら現在に至っています。

 

私がここに伝えようとしているテーマはマクロビオティックの真髄です。
最近はマスコミの情報も増えていますが言葉だけが先走りして、本当の意味を把握している人は非常に少ないのではと感じています。
如一は世界中を歩き廻りあらゆる人々に会い、多くの不幸な人々から話を聞きあらゆることを実践しました。
そして得たことは

学校や教育が多くなるほど世の中は戦争、いさかい、犯罪、悲劇が多くなって人間の不幸とつながる、人間が幸福で楽しい一生を送るには必ずしも学校とか教育(マクロビオティックから外れたもの)が必要でないこと。
(しかし、あっても少しも邪魔にならない)

人間が幸福な一生を送るためには直観力、正確な判断力、行動力が必要であること。

人は誰でも生まれながらに記憶力、判断力を持っていること。
(マクロビオティクで言う本能とは精神のことであり、一般で言う食欲、性欲などは欲望と見なす)

過剰な欲望は時間、場所、環境、生理的などの条件によって歪められたものの姿であること。

私達は道徳、教育、宗教を知らなくても生まれながらに持っている真実の健全な本能(精神)に磨きをかければ良いこと。
「人間は本来の自由、平和、健康、愛を失わない限り、文明も科学も教育も楽しく面白いものである」と述べています。
マクロビオティックの真髄~「明治の男ここにあり-序文(2)-」へ続く

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