物の汚れは心の汚れ 良い氣を意識しよう

人は最初に親の影響を受け、それから学校の影響を受け、友人や社会の影響を受けながら精神面が変化していきますね。
でも、その過程で強い圧力をかけられたり、怖い体験をすると、精神面の変化に歪みが生じることがあります。
トラウマがその代表例ですが、本人が意識していなくても第三者からははっきりとそれが分かります。

人それぞれですから、無理して平均化しなくてもいいのですが、明らかに不都合が感じられる場合は、改善してみるのもありだと思います。
なぜなら、その方が満足度の高い人生につながるからです。

 
 

では、勉強だけしていれば人生は充実するのかといえば、そうとも言えません。
教育によって優遇されるポジションが手に入れられたり、収入につながったり、メリットは多くあるでしょうが、人生はそれだけではありません。
もっと、人と人の関わりの中から生まれる温かさというものがほしいと思います。

さらに欲をいえば、自分のまわりが良い氣で満たされていたら理想的です。
氣というのはお互いに交歓しますから、人だけでなくモノでも起きます。
空間、モノ、人、あらゆるものと交歓しながら人は生きています。

 
 

ですから私は、自分の暮らすところ、働くところ、関わる人や環境すべてに良い氣を求めましょうとお伝えしているのです。
高いものが良いとは限りませんが、良いものには高い値段がつくことは日常的です。
しかし、仮に良いものを手にしても、乱暴(悪い氣)に扱えば、良い氣は半減してしまいます。

良い氣を放つものを、そのままの氣をキープしようとすると、やはりそこにはお手入れや、丁寧な扱いが必要になります。
京都には庭が多いですが、きちんと手入れされた庭は、何百年経っていても良い氣を放っています。

 
 

ものを丁寧に扱うということは、結局自分を丁寧に手入れしてあげるのと同じです。
家は勿論ですが、車・衣類・道具・人に対しても共通しています。
私は「マクロ美風の家事アドバイス講座」で、「物の汚れは心の汚れ」とお伝えしています。

これまでの人生でトラウマを抱えてしまった人や、苦手なことが多すぎる人は、あなたが気づかないところにその解決方法があるかもしれません。
その解決方法の一環として、ぜひ身の回りのものに対する接し方を変えてみましょう。
行動するのは今からでも遅くありません。
人は死ぬ寸前まで変われるのですから。

 
 

(400年続く京都 瓢亭さんの入口 奥には琵琶湖疏水から水を引いた池がある)

 
 
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コメント

  1. おはる より:

    美風さん、こんばんは。
    これまでの生き方を思い返すと思い当たることが沢山です。
    それに気づくことができた今、「死ぬ寸前まで変わることができる。」ことに
    希望を持てます。
    むそう塾の教室ではいつも良い氣に満たされ包まれます。
    家にいるときもそのまま良い氣に包まれるよう、ひとつづつ丁寧に向き合っていきます。

    • マクロ美風 より:

      おはるちゃん、こんばんは。

      そうなんです。人は「死ぬ寸前まで変わることができる」のです。
      ですから、決して諦めないで、思い当たるアレコレを一つずつ変えていきましょう。
      私も可能な限り応援させていただきます。

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