情報と若者の人間関係をマクロビオティックの陰陽で考えてみる

今の若者は大変だなと思う。
洪水のように溢れる情報の中で、どれが正しくてどれが怪しいのか見分けなければならない。

ある程度判断力がついている大人なら見抜ける情報でも、まだ社会経験のない子どもたちなら、知らないうちに危ない世界に近寄ってしまうことがある。
身近にいる大人は、そういうことに注意して見守らなければいけないと思う。
自分に子どもがいなくても、子育ての時期が終わっていても、社会全体で子どもたちを守ってあげる必要がある。

昔、テレビがない頃の情報源は、ラジオや新聞・本・雑誌などだった。
この頃はまだ平和だった。
しかし、テレビが登場すると一変した。
受け身になってしまう情報の流され方で、好奇心は刺激され続けた。
このあたりから「誰かと比べる」ということが多くなった。

そしてインターネットがトドメを刺した。
インターネットは便利な面がいっぱいあるが、能動的に情報を取りにいけるぶん、際限なく「誰かと比べる」。
これでもか、これでもかと優秀な人やリッチな人が登場する。
世界中の富豪や優秀な人の情報に毎日接していたら、それは自分に自信が持てなくなってしまうのも当然だ。

しかし、人間はもっと最小単位で生きてもいいのだ。
その方が幸せ感をつかめる。
満足感も高まる。
世界に飛躍する生き方もいいだろう。
しかし、まずは自分の幸せを実感できることも大事だ。

インターネットは有害な情報に接する確率も上がる。
そこでそれを見抜く目が必要になる。
生まれたときからインターネットがあって、その中で生きてきた若者は、上手に利用しながら生きていくだろうが、ちょっと疲れたら陰陽で考えてみることをおすすめする。

 
 

***

生の人間に会って、その人の人となりや考え方から尊敬の念が生まれたり、食事や会話を経ながら学んでいくのが昔の人間関係だった。
こういうのをマクロビオティックの陰陽では陽性な関係ととらえる。
反対に、一度も会っていない人とネットを通じて交流しても、その関係は陰性ととらえる。

今、世の中はどんどん陰性化しているので、チャットで質問に答えたり、Zoomで会議をしたり、勉強をしたり、生の人間に会わないで済んでしまうことが多い。
それとともに、メールだけでは説明しにくいので、写真や動画がどんどん多用されるようになってきた。

それらが一見効率的に見える時間の使い方であっても、人間の気持ちはその方法では物足りないことが多い。
安心感が薄いのだ。
生の顔を見て会話をする陽性さが人々の心を安心させる。

だから人は自然に心の動きに従って、握手したり、ハグをしたり、キスをしたり、セックスもする。
深く交わるほど陽性な関係であり、そこから安心感や信頼感が生まれていく。

子どもは親の体温を感じながら安心して成長する。
それが本能だ。
だからどんなに大人になっても、人間は体温が恋しいのだ。
いざとなったら、見知らぬ人の体温でも癒やされる。
(そこまで孤独になることは少ないだろうが…)

子どもがやがて成長して、親から離れる年齢になると、自然に親以外の人間の体温を求めるようになる。
なかには、人間の体温ではなく、犬や猫の体温で満足している人がいるかもしれない。
高齢者にもそういう人がいる。

きょうもどこかで起きているであろう問題行動の多くは、こんな陰陽の見方で解決の糸口が見つかるかもしれない。
社会環境は著しく変化しても、人間の本能はそんなに短期間に変われないのだから、まずは体温のある生き方を意識してみたらいかがだろう。

 
 

(京都市左京区にて)

近所のマンションの生け垣に咲いていた。
あま〜い香りがして、近寄ってしまったよ(笑)
「コミノネズミモチ」というらしい。
PictureThisより。

 
 
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