一緒に信じてみましょう

先日の記事「信じる」についていただいたコメントのお返事が長くなってしまいました。
多くの皆様とも共有したい考え方なので、記事にさせていただきます。
<こるぷんさんのコメントから>

心新たに (こるぷん)


記事ありがとうございます。

相手を信じ、その人の幸せを心から願う。

って、本当に力がいりますよね。


自分は、ある時から、好きな相手に

何かを求めないように生きたい

相手の幸せだけを願って生きたいと

思うようになりましたが・・・


先日、私の発言を聞いていると、

それは人に求めているし

それが、プレッシャーやねんと指摘され

反省しておりました。


そういうつもりはなかったのですが

人から見てそう写っているならば、

全くの反省だし、意図するところが違うし

またいつの間にかそういう面があったのだと

かなりガクっと来てました。


その方は、また私が本当に今苦しそうだからと、

人との距離を適度においた方が生き易いよという、

ありがたいアドバイスもして下りました。


またある方は、そういう距離が置けないのが

悪い意味でも、いい意味でもあなたである。

適当に適度にする、相手にクールに接し

うまく立ち回るというのが

いわゆる大人の世界であり、その方が楽で

面倒でないし、その方が身体に負担もないけれど、

あなたにとって、それで過ごすのは、

また、うまく過ごすことが出来たとしても


それは「苦」なんでしょ?と言われました。

だから、あなたに私は、最後まで付き合うよ。

やりたいだけ、しなさいと言われました。


違う角度から、真摯に私の話を聞いて下さり

真っ直ぐに私のためにアドバイスしてくれる

二人のこの友人に感謝です。


そんな中の、この記事でした。

心新たに、シンプルに信じるということを

したいと思います。
<マクロ美風より>

こるぷんさん、こんにちは。

あなたのコメントを拝見して思いました。

ずいぶん苦悩の連続に生きておられるようですが、それでは毎日が楽しくないでしょうね。

いつも心に陰を持ってしまいますから。

つまり快晴ではなく曇天のような感じね。

楽しい気持ちからは赦しの境地が生まれます。

私はこのことがとても大事だと思うのです。

この世の中は価値観の違う人ばかりで成り立っています。

ですから自分が気持ちよく生きて行くためには、他人を赦せるようになることが必要不可欠です。

そのうえで愛をもって接することができたら最高ですよね。

この場合の愛はもちろんラブではなく許す意味です。

許すとは、相手のすべてを受け容れることから始まります。

ここが出来るかどうかで人生は大いに変わると私は思います。

私が今まで生きてみて、相手のすべてを受け容れようと思ったら、まず信じることだと思いました。

信じている感覚というのは相手に無言で伝わります。

(鈍い人の場合はなかなか感じてもらえないこともありますが・・)

その結果相手が自分を信じてくれるかどうかは別問題なのです。

たとえ相手が自分を信じてくれなくても、自分は相手を信じるのです。

そして待つのです。

いつまでも。

そんな私の待ち方を疑問視する人もいます。

でも私は待ちます。

待てるから。

それが私の個性なんだと思います。

ですからこるぷんさんはこるぷんさんの個性として、ご自分が納得できる立ち位置で今は行動されるのが良いのではないかしら?

時間と共に、年月と共に人の心は変化しますから、将来何かしらこるぷんさんの立ち位置も変わることがあるでしょう。

そうしたらその時にまた変化すれば良いだけです。

万物はすべて変化するのです。

マクロビオティックを知った者同士、その変化を味わいながら生きてみませんか?

キーワードは一つ。

「いつも楽しむ」ことです♪♪


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コメント

  1. こるぷん より:

    わざわざ別記事で建てていただき
    コメントいただきましたのに、すっかり
    お返事が遅くなり申し訳ございませんでした。

    所用により数日ブログを拝見しておりませんでしたので、まさかこのような形で
    私のコメントが取り上げられているとは思わず、最初拝見した時はびっくりしました。
    そして、すぐにコメントを書かなければと
    思いましたが、すみません、正直今回の書いていただきました記事の意味をなかなか理解できず、その後は、何度も何度も読み返し
    書いていただきました記事の意味に
    ついて、数日考えておりました。

    今回、この記事で美風さんの指し示していただいた意味を理解できているか、どうか分かりませんが自分なりに解釈した意味を
    書かせていただきまして
    取り間違えがございましたら、引き続き
    お忙しい中、申し訳ないのですが
    美風さんにご教授願えればと思っております。

    私の中では、人の有り様は、千差万別であるのが当然であり、個々人の価値観について、同じ立場にある一個人の視点から赦すとか赦さない
    と判断するのが、正直どうも分からなかったのです。

    何が分からないのかも、どこに違和感があるのかも分からず、どう表現したらいいのか
    というのが、最初にありました。

    それで、昨晩、ふと浮かんだ着想点に
    なった言葉は「赦す」という言葉でした。
    この言葉は、前提として相手が過ちをおかしているが・・・が前提に立った言葉であるのではと

    しかし、辞書を引くとこの赦す・許す・聴す
    という言葉には
    たくさんの意味がありますよね
    これは、いろいろと思い至った後
    今、辞書を慌てて
    ひっぱり出して、見たのですが

    それで私が浮かんだ言葉は、以前、別の件で
    ある方に教えていただいた「認める」
    という言葉でした。
    これは、美術品など鑑賞する時にその見方を
    教えていただいた時の言葉で
    どうして、このような言葉が浮かんだのかも
    思ったのですが、そういう言葉が浮かびました

    さぁ~と簡単に見てしまい
    その場をその時間を通り過ぎるのではなく、
    じっくりと興味を持ってその対象物を見る
    見続けると今まで見えなかった事や
    分からなかったことが
    ある日ふと浮かんでくるよというものでした。

    それで人と物を同じ扱いにするなんて、
    ちょっと、勿論違うのですが
    人好き、物好きの私としましては
    その人の全ての有り様を好ましく
    興味を持って見る・見続けることが大切だと
    思った次第です

    物の見方について、教えていただいたこの事が
    ある一面が、今回のこれに当てはまるのでは?と少し思いました。

    その上で、美風さんのこの記事を考えると
    美風さんのこのコメントは、きっと
    すべてを経験した母の立場から
    母親の境地からのコメントなんだろうなぁ~
    と思った次第です。

    全ての生徒を、またブログやメールで
    相談して来られた方々を
    きっとある意味、我が子としての観点から
    愛を持って見ておられ、見続けらる覚悟からの言葉ではと思った次第です。

    残念ながら私は、まだ母親になったことが
    ございませんし
    最初にこの「赦す」という言葉に含まれる内容にあらゆる個性を認めるということが
    含まれているのだと、なかなか分からなかったのですがそういう意味なのかな?
    と思った次第です。

  2. マクロ美風 より:

    こるぷんさん、こんにちは。

    文章でお伝えするのは難しいですね。
    抽象的な内容になると特に。
    私は母親としての立場で書いたわけではありませんが、親御さんから離れている人に対してはそんな気持ちも心の中に持っているのは事実です。

    と同時に、お料理を通じてであっても、1年間のご縁をいただいた幸せコースの塾生さんに対しては、精神的な面でも育て見守る形で接することが私の立場かなと思っています。
    もちろん、すでに自立されていらっしゃる方に対しては、そんなお節介なことはしませんが。

    >私の中では、人の有り様は、千差万別であるのが当然であり、個々人の価値観について、同じ立場にある一個人の視点から赦すとか赦さない
    >と判断するのが、正直どうも分からなかったのです。

    これはおっしゃるとおりです。
    このことも含めて、今度の幸せコースの日に口頭でご説明させて頂きますね。
    少しお時間をくださいませ。

  3. はいじ より:

    一連の記事、興味深く拝見しました。
    「信じる」  「赦す」  「認める」
    このキーワードから先日記事にしていただいた「マクロビオティックにおける動物性食品の取り入れ方」の中の一節が頭に浮かびました。(余談ですが「摂り入れ方」でないところがいいなぁと思っています)

    >マクロビオティックの教えの中核には非排他性、即ち他人を受け入れるという考えがある。他人の意志決定に寛容になれることが大切であり、・・・

    というくだりです。
    ややもすれば人間は自分の意思決定と相違する(あるいは相反する)他人の意思決定に「疑問」や「怒り」や「不愉快」を感じることがあります。
    けれどマクロビオティックの実践のひとつに「非排他性」があるということなら、それはすなわち「赦す」につながるのだと思います。その「赦す」という言葉は高いところから低いところを指しての行為ではなく「受け入れる」という、極めて平等な意識から生まれる行為だと思います。
    また先の記事の中には、
    >マクロビオティックの世界には指摘しておくべき神話がある。マクロビオティックの実践者の中には、動物性食品を摂らない自分たちの方が高い精神性を持ち、判断力も高く、その他の点でも優れていると考えている者がいる。
    (中略)動物性食品を食べる・食べないにせよ、その選択の裏にある考えも同様に重要なのである。

    という一節がありました。
    これを食べ物ではなく人間同士のつながりにスライドさせてみると、他者の選択の裏にある考えに、重要な(その人自身の)判断基準があるのだ、ということになります。

    人を信じるということは、他者の判断基準に心を傾けることでもあると思います。
    それには前向きで枯れることのない力がなければなしえないこと。
    マクロビオティックの陰陽に照らし合わせて記事にしていただいた「信じる」ということと、先の記事を整合して感じたのは「マクロビオティックって親(先祖)からの教えのように濁りのないものなんだな」ということです。

    単純な言葉で表現すると、私は今まで「好きな人を嫌いになることは簡単にできるけれど、嫌いな人を好きになるにはエネルギーが必要だ」と思っていました。
    けれど、好き・嫌いという感情ではなく「受け入れる」「信じる」という行為なら肩の力をぬいて人との付き合い方ができるような気がしました。
    それは自分が能動的に「受け入れ」さえすればなしえるからです。
    そのための陽性な安定したエネルギーは必要ですが。

    「心新たに信じてみよう」と思われたこるぷんさんは、彼女らしい率直さでシンプルに「信じる」ことをされようとしているのだな、と思いました。
    情の深い彼女に何度も私は救われました。
    いつも相手を信じ、その人の幸せを心から願うことを実践されている彼女だからこそ、人一倍の心遣いがあるのだと思います。

    そして私も美風さんのようにもこるぷんさんのようにも「信じる」強さを身につけたいと思いました。

    「マクロビの心=平和」とタイトルされているように、それをよく知り、実践すると自ずと幸せになるのに、それを難しくしているのは、私の心の持ち方だったのだな、と感じいった記事でした。
    まずはそんな自分の心を赦すことからはじめようと思います。

    人を信じて完全燃焼するって、なんてスカっとしているのでしょう。

  4. マクロ美風 より:

    はいじさん、おはようございます。

    詳しく解説されたコメントをいただきありがとうございます。
    先日私がご紹介した記事をよくご理解いただき、とても嬉しく思います。
    マクロビオティックで最も大切な部分は、まさに何を摂るかではなく取り入れ方であることを私はこのブログを始める時からお伝えしたいと思っておりました。
    それでそれをブログのタイトルにもしたのです。

    私のように歳を重ねておりますと、嫌なこともたくさん経験しますが、そんな時にはいつも信じることを実行して来ました。
    そうすると不思議に心が穏やかでいられるからです。
    信じるためには相手の嫌な面に目をやるのではなく、「その人にも良い面があるのだからその良い面がもっと大きくなるのを待とう」という気持ちに切り替えるんですね。

    よくプラス思考と引き寄せの法則が話題になりますが、あれと同じで信じれば信じたようになるような気が私はします。
    もちろんすべてがそのようになるなんて思っていませんが、まずは自分が相手を信じることから始めるのが順序だと思ってそうしています。
    そうするとそこには対立がなくなるから、自ずと平和な空気が流れ出します。
    その空気が人の心を動かしてくれると私は信じています。

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