冤罪(えんざい)について(足利事件に思う)

我が家は法律を生業としています。
私は独身時代に法律の勉強をしていて、夫と知り合い結婚しました。
ですから、法律に関しては今でも関心があります。
今夜、京都から帰ったところ、NHKの「クローズアップ現代」で「足利事件」のことを取り上げていました。
いわゆる「冤罪」(えんざい)ですね。
その放送の中でビックリしたことがありました。
キャスターの女性が、ゲストの大学教授に「短い時間にそんなふうになってしまうものですか?」と言った意味あいの質問をしていました。
この認識にビックリしたのです。
狭い取り調べ室で、朝から夜まで拷問のような取り調べを受けて、そんなことが何日も続くと、精神状態がもうろうとして来ます。
何を言っても、どんなことを訴えても退けられて、恐怖と絶望の中におかれた時、ふと目の前の苦痛から逃れるために、犯人であるかのような言葉を口にしてしまうんですね。
後で本当のことを言ったら、裁判官は自分が無実であることを分かってくれる。
そう思って。
キャスターの女性は、取り調べ中のその時間を「長い時間」と思っていなかったのですね。
そして、意識がもうろうとするほどの取り調べの厳しさも。
だから「短い時間で」という表現になったのだと思います。
                *    *    *    *
これからは、いつ自分が「裁判員」に任命されるか分からない時代です。
その時に、捜査や取り調べが、すべて正当に行われていると信じ切るのではなく、強要されていることもあるのではないかと疑うことも必要です。
もちろん、冤罪防止のために「自白の強要」は行わないことになっていますが、それでもなお疑ってみるくらいの目は持っていた方がいいと思います。
権威や権力を信じるのではなく、いつも「自分の目」・「自分の勘」を信じられるように、日々「自分磨き」をしたいものです。
マクロビオティックの視点、マクロビオティックなものの考え方は、そのために絶大な力を発揮すると思います。
本物を見抜く目。
大切にしたいものです。

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コメント

  1. Ni より:

    美風さん、こんばんは。

    法律は人の作ったものであり、
    とりあえず法律という共通のルールを決めて
    奥深く複雑に絡みあう事実を
    なんとかしてワクにあてはめるものだと
    感じていました。

    その「事実」とは何か、の判断。
    そして、
    このワクにあてはめる過程は
    この複雑な現代では
    一筋縄ではいきません。
    「常識」が正しいとも限りません。
    人によっても違います。

    真実・本物。
    何物にも影響されず、
    物事の本質のみを見極めて生きていくこと。

    この混沌とした時にはますます大切ですね。
    心します。

  2. komoKon より:

    自分の主観から判断し、それが良いこと、悪いこと、良い人、悪い人、など判断してジャッジしていることの背後には、癖や思い込み、そう考えてしまう何らかの執着などがありえるという事に気づくことがありました。例えば権威、権力が信じるべきものという思考に繋がってしまっていれば、疑いもなしに、信じてしまうことになるわけですよね。美風さんのおっしゃるように、「自分の目」・「自分の勘」、この自分の心の声をちゃんと聞ける状態であることの大切さを感じていました。自分次第ですね。

  3. マクロ美風 より:

    Niさん、おはようございます。
    Niさんのご専攻ですから、お得意分野ですね。
    法律は桜沢先生が最も嫌っていたものです。
    Niさんも書かれているように、「人の作ったもの」ですからね。
    どんな時代にあっても、真が通用する世の中であってほしいです。

  4. マクロ美風 より:

    komokonさん、おはようございます。
    komokonさんのおっしゃるように、主観というのは誠に怪しげなものでもあります。
    しかし、磨きあげれば、かなり客観的にもなるものだと実感しています。
    その土台になるのは、バランス感覚でしょうか。
    だからこそ、マクロビオティック的な考え方は説得力があるのだと思います。

  5. Fiona より:

    こんにちは。

    マクロ美風さんは法律がご専門だったのですね。

    今回の冤罪事件の仮釈放(でしたか)のタイミングは、裁判員制度の裏側が国民によくわかるように天が采配したのではないかと私は考えたぐらいです。
    人を裁くことがどれだけ恐ろしいことかとぞっとしました。

    しかしながら、自分の眼を養うしかない。本当にその通りだと思います。
    しっかりしなくてはいけないと思いました。

    桜沢先生は人間のつくるものは嫌いだったんですね。
    先日のむすび5月号で「ジャックとミチ」に関心を持ったので読んでみようと思っています。そういうことも載っているかな。

  6. マクロ美風 より:

    Fionaさん、おはようございます。

    >桜沢先生は人間のつくるものは嫌いだったんですね。

    法律は愚かな人間が作ったものだから、その法律で人を裁くことを良しとされなかったのです。

  7. Fiona より:

    マクロ美風さん

    人間のつくるものは愚かなもの。
    そうか~と思いました。人間がどれだけ優れたものを
    つくったりがんばったりしても、神様にしてみれば
    そんなものは塵のようなものですね。でも創造も必要なんですよね。

    そういうなかで命を与えられて生きている私たちは
    生きる矛盾を抱えながら、せいいっぱい生きなければならない、ということかなと思いました。

    教えてくださってありがとうございます。

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