Twitterに次のような文章があった。
>在宅介護の仕事をしてた事があります。父親が亡くなる時に病院に「助からないなら延命しないで下さい」と言った事を後悔していましたが、その介護の仕事で出会った方が「子供が良くしてくれるから言いづらいが、もう辛い、死にたい」と漏らした事で私が父に対して取った選択は間違いでは無かったと。
ふと想い出す。
私の父が直腸癌で入院したとき、お医者さんから手術をすすめられ、当事者は父なのに子供が4人集まって父の手術の話し合いをしたことを。
父は病気に対して何も意思表示をしていなかったからこうなったけれど、母は手術は一切望まず、「いつお迎えがきてもいい。」といって、毎日仏壇の前で般若心経をあげるのを日課としていた。
両親はともに95歳で亡くなり、大往生だったので延命は考えなかった。
手術後に父の介護をしていたとき、自分の人生なんだから自分で好きなように最後の終わり方を決めたらいいなと思った。
充分子供たちのために頑張って生きてくれたから、長生きしてねということは重荷のような気がした。
父も母も癌特有の苦しみはなく、眠るように召されて行った。
兄は父の死に特別な寂しさがあったようだ。
母が兄を妊娠中に父が招集され、兄が5歳になったときやっとシベリア抑留から父が帰って来たから、兄は「お父さんだよ」と言われても、父のことはよそのおじさんと同じ感じだったらしい。
でも、その後の父の働きぶりや生き様を見ていて、心から尊敬し、大切に思い、長生きしてほしいと思ったらしい。
尊敬する男として、ただただ生きていてほしかったらしい。
人生の終わりには、子供の気持ち、親の気持ち、どちらもあるけれど、私は「長い間ごくろうさま、子どもたちを愛してくれてありがとう。」という気持ちが湧いてきて、充分に感謝した。
昭和という時代に生き、戦争に人生をかき回され、それでも逞しく生ききった父と母。
陽性な時代に陽性に生きていた。
* * *
今日はこれから無双原理の学び合いに行く途中。
マクロビオティックが私にもたらしてくれたもの。
それは限りなく大きく、限りなく深く、人生の愉しみを何倍にもしてくれた。
父よ、母よ、私もあなた達から陽性なものを受け継いだような気がするよ。
北の大地を忘れずに頑張るね!
4人の子供がいて、父とお酒を酌み交わせるのは私だけだった。
もっといっぱい話しておきたかったなぁ。