先輩。
この有難き存在。
私にとってのマクロビオティックは、この大先輩を抜きには語れない。
そのマクロビオティックの大先輩が、桜沢先生の一文を50年以上反芻されたという文章を私に教えてくださった。
この奥深い内容。
ぜひとも多くの方と共有したくて、公表のお許しを得た。
* * * *
<気になる一文> (この題は大先輩がつけられた)
多くの人は「先ず金をためて、ハタラキ、ソレからユメの実現にかかろう」と言う。
「金がないから冒険はできない。
私には妻子がある」とも言う。
しかし、カレらは入用な金をためるのに大テイ一生かかっても間に合わないのが多いし、タマニ大きな金額をたくわえても、モー生物学的に、生理学的にモーロクして若い日のユメなんか忘れていたり、モー貪欲の化身、守銭奴になっていたり、ドロボーに殺されたり、子供や孫から親の莫大な財産のオカゲで病弱者になっていたり、次々に若い者が死んでいくのを見送るので身も心も疲れ果て、はじめて人生の意義を考え出したり、お寺参りを始めたりする。
モーおそ幕である。
人生はその日その日がユメの実現であり、自己の表現であり、イトナミであり、楽しみでなくてはならない。
山登りと同じで、はじめから目標がきまっていて、道を一歩一歩進んで一分一分、目的に近づくのでなければならない。
山登りの用意のために一生かけたのではタマラナイ。
つまり、日々のイトナミと一生の目的が一つでなくてはならない。
(桜沢如一主宰雑誌「コンパ」105?106号19?20頁より)
* * * *
大先輩とは桜が満開の日に初めてお目にかかった。
桜沢先生が桜を愛でる季節に引き合わせてくださったのだろうか。
粋なことをなさる。
そういえば、京都の桜沢先生のお墓参りをさせていただいた時にも、桜吹雪が舞っていた。
桜沢如一、大森英桜両先生にも桜の文字が。
私は桜に見守られているような気がする。
ありがたい。
◆こちらにも大先輩の記事があります。
・もったいない一日?その1?
・もったいない一日?その2?
・もったいない一日?その3?
ワタシぐらいの歳でも最近、
『この歳になってわかるようになって来た』と思うことが多くなりましたが、
今回の櫻澤先生の一文、身に沁みてくるようになっています。
ワタシも以前は「先ず金をためて、」という考え方を持っていましたが、
身近にそういう考え方で何一つ実現出来なかった事例を見て、
自然と考え方が変わっていく道中にあるような気がします。
最後の4行は本当に重く響く一文になりますね
ワタシは今でも『ああ、大森先生はこのことを指して仰っていたのか?』と思うことが多いのですが、
よく考えてみると、桜澤先生の今回の一文は『本当はごく当たり前なことを記されているだけなのに』と思えるのですが、
今はこの『ごく当たり前』が出来ない人がナント多いことかと思う次第であります。
ワタシも最近、ようやく体に力が漲ると言いますか
やる気が湧いてきた状態だと思うので、
今回のこの一文を励みに歩んで行こうと思っております。
そこに真実があると思いましたので
ここ何日か、目標のためにお金を貯めるのも大事だけどそのために他のことを我慢するのはもったいないな、お金を貯めることと人生を楽しむことを並行してできたらいいな、と考えていました。
桜沢先生の文章の中で山登りの例えの部分を読んだ時、すっと心に落ちました。山を登るつもりが山登りの準備段階で止まっていたんだなあと。それではほんとにもったいないと思いました。
一歩一歩山を登る方法を自分なりに考えて実践していきます!なんだかスッキリしました!
美風さんありがとうございます。
奥が深いですね。
何よりも今を大切にすること。
核心や目標を大切にしていけば、
その勢いも手伝って、おのずと条件や環境、周りの理解など、
自然とついてくることって、結構あります。
ふらふらっ、とした時こそ、大切にしたい文章です。
手段が人生の目的と取り違えていることがいかに多いかということですね。
>つまり、日々のイトナミと一生の目的が一つでなくてはならない。
ここは身に染みます。がんばろうっと。
大切な文章を分けてくださってありがとうございます。
桜沢先生ってスゴイですね!
思わず、桜沢先生の本を2冊注文しました。
マクロビオティックの事を。。
もっと知りたい!
もっと勉強したい!
もっと触れたい!
と思わせる「言葉」です。
美風さん!ありがとうございます!!
こんにちは。すばらしい言葉のシェアをありがとうございます。
ちょうど目の前にあることから外れた事ばかり考えていました。
先人達の有り難い言葉を噛み締めたいと思います。
美風さん、
本当に深い文章をシェアして頂き
ありがとうございます。
>人生はその日その日がユメの実現であり、
自己の表現であり、イトナミであり、
楽しみでなくてはならない。
みんなが心の底できっとそう思っていますよね。
でも、と。”でも・・”って言葉が先走るというか。
お金貯めてから・・・とか。覚悟ができなかったり。
何時そんな十分なお金たまるの?って自答自答しながら
桜沢先生が、”大丈夫だから早く一歩踏み出しなさい”っておっしゃっている気がします。
どんどん玄米炊いて食べて、一歩踏み出せる人に早くなりたいなりたいと思いました♪♪
>ワタシは今でも『ああ、大森先生はこのことを指して仰っていたのか?』と思うことが多いのですが、
そうそう。
そんなことがいっぱいありますよね。
大森先生は桜沢先生のことを客観的な目で見て教えてくださいました。
そのことは、とても大切な視点で、今となっては私の財産になっています。
女性の桜沢評と男性の桜沢評は、微妙に違いますので面白いです。
特にマクロビオティックをしている人には、目的と手段を取り違えてしまっている人が多いですね。
特にマクロビオティック料理だけに目が行ってしまっている人に、この傾向が多いです。
でも、マクロビオティックをもっとマクロ(大きな)視点から見れば、すぐ解ることなんですがね。
なお、目標のためにお金を貯めることは、人生の基本の姿だと私は思います。
安易に近視眼的になりすぎず、堅実に生きることはとても大切なことです。
しかし、時と場合によっては、順序を変えてみる大胆さや勇気もあった方が、人生が何倍にも楽しめそうだと思いませんか?
本当にNiさんのおっしゃるとおりです。
>何よりも今を大切にすること。
今を大切にしないで、将来のことばかりに気が行ってしまう人がいますね。
でも、将来は「今」の延長線上に過ぎないんですよね。
だからこそ「今」を大切にして、充実させることに大いなる価値があるのです。
マクロビオティックでいうなら、あれダメこれダメの食生活を続けて健康になる(と思っている)ことが目的ではなくて、先に「何がしたいか」があるんですね。
そのためには、健康でなくては実現し難い現実があるのです。
だから、目的を達成するためにも、まず健康になりましょう、というのがマクロビオティックのスタンスなんですよね。
これを忘れてしまっている人が本当に多いです。
あるいは、知らない人も多いです。
残念なことです。
みぢっさん、桜沢病に罹らないようにね(笑)
男女をとおして、どれだけ多くの方が桜沢先生に人生を捧げたことか。。。。
そのくらい桜沢先生には人を惹きつける魅力があったということですね。
本もいいですが、桜沢先生の肉声はもっと魅力的ですよ。
迫力やテンポが血を揺さぶります。
私は直接お目にかかったわけではありません(年齢的にも)が、テープを通じてもその雰囲気は伝わって来ますよ。
>ちょうど目の前にあることから外れた事ばかり考えていました。
あらまあ、そうだったの?
そんな時には何事もそうですが、基本に返ることですよね。
そうすると不思議なくらい、スルスルと答えが見つかったりします。
あやちゃんは、頭で考えすぎるからなおのことね^^
女は子宮でものを考えるくらいで丁度よいと、最近つくづく思います。
これは決して女性蔑視の意味ではありませんので念のため。
一度いろんなものを手放したり、意識の外に追いやったりすると、ガクッとするくらい心の贅肉がとれて楽になりますよ。
自分でそれができない時には、荒っぽい男性にそれをされてしまうのが一番効果的ね。
人生、それもアリだと密かに思ってオリマス^^:
お花さんの解釈もアリ。
しかし、桜沢先生の文章は行間を読んだり、眼光紙背に徹するところがあって、それはそれは味わい深いものです。
その証拠に、記事の中に登場した大先輩は、50年あまりもこの言葉を反芻されて来たわけです。
この重い事実を、私は同じ重さで受け止めさせていただきたいと思いました。
お花さんも、これから結婚したり、子供の親になったり、人生や経済とより深刻に向き合う時に、この言葉を思い出してくださったらとても嬉しいです。
大きな勇気と羅針盤になること間違いなしですよ。
基本がしっかり身に付いてこそ、時には大胆な変化が楽しめるんですね。そういえば今までの自分は基本がしっかりしてないのに変化を求めて苦しくなることが多かったと気づきました!
何事も基本が大事ではないでしょうか。
人間ならご挨拶ができること。
「ありがとう」と言えること。
目を見ることができること。
感情を表現できること。
与えられた環境の中で生きられること。
などなど。
>そういえば今までの自分は基本がしっかりしてないのに変化を求めて苦しくなることが多かったと気づきました!
果たして変化を求めたのでしょうか?
もしかしたら「逃避」として違うものを求めたのではないでしょうか?
この違いは大きいです。
こんな時には、月並みな言い方ですが「原点に返る」ことですね。
そこからもう一度スタートすればいいのです。
人間も人生も、何回でもやり直しができます。
死ぬまでやり直せます。
頑張りましょう!
マクロ美風さん
>マクロビオティックでいうなら、あれダメこれダメの食生活を続けて健康になる(と思っている)ことが目的ではなくて、先に「何がしたいか」があるんですね。
そのためには、健康でなくては実現し難い現実があるのです。
だから、目的を達成するためにも、まず健康になりましょう、というのがマクロビオティックのスタンスなんですよね。
そうか!
マクロビオティックの哲学が頭で考えるものではなく、私たちの生活に根ざした実践哲学であるという意味はここにあるんですね!
私はまだまだマクロビオティックを知らない、ということがよくわかりました。
とても大切なことを教えていただいてありがたく思います。ありがとうございます!
自分を振り返ると、美風さんがおっしゃるとおり「逃避」することが多いです。
逃避して、「今この瞬間」を全然大事にしてこなかったんだなと思います。
美風さんから教えていただいた「基本」に戻って地に足のついた人になりたいです。
マクロビオティック理論が机上の空論であってはいけないとつくづく思います。
私達の身の回りにマクロビオティックはゴロゴロ転がっています。
ですから、それをマクロビオティックの理論で洗い直してみると、今まで解らなかったことがスッキリ解明できることがいっぱいあります。
心の問題も、お金の問題も、争いごとにも、恋愛の悩みにも、すべてにマクロビオティック理論は当てはまります。
ぜひ、日々の生活に役立てて、充実した人生にしましょうね。
Itさんだけでなく、多くの人が逃避するものです。
若い時の私にもそんな時がありました。
嫌なことがあってお酒を飲むなんていうのも一種の逃避ですね。
でも、飲んでも飲んでも嫌なことと向き合わない限り、問題は解決されません。
酔っている間は問題の本質から遠ざかって麻痺した状態になるだけです。
酔いが醒めると、また嫌な現実が目の前に現れます。
ですから、しらふの時にきちんと問題の核心に向き合うことが必要です。
なんて偉そうなことを書いていますが、私はいっぱい逃避したからこそ、変化と逃避の違いが分かるのです。
何事も経験です。
私なんかの言葉に惑わされないで、大いに逃避も良いでしょう。
一時的に逃避が必要な時もあります。
驟雨の時に雨宿りをするように。
しかし、逃避を逃避と認識できる自分であると、人生の展開が異なってきます。
その辺の意識を明確にしておくことは大切ですね。
ま、難しく考えないで、迷ったら原点に、失敗したら原点に、くらいに考えていてもOKです。
玄米ご飯を炊く時にも中川さんから教わりましたよね。
変えようとする時には必ず一つだけ。
二つ同時に変えないように。
そして、必ずいつも元に戻ることができるように、と。
玄米ご飯の炊き方は、お釜の中で人生をリハーサルするのと同じなんですね。
ぜひ、一瞬一瞬を大切にしましょう。
こうしている時は、もう二度と来ないのですから。
この時代にこんな立派な英語を喋っていたことに最近になり感動した。
それと桜沢ではなく櫻澤と記述してくれると良い。
http://www.nvvm.org/ohsawa.htm
コメントをいただきまして、ありがとうございます。
ご趣旨は賜りました。