思い」カテゴリーアーカイブ

赤皮甘栗南瓜


切り口のみずみずしさが夏むけ。

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老兵は


赤い頃は俺もまんざらでは無かったんだ。

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何処に行くのか 何処まで行くのか 出発駅だけは何時も忘れないようにしなければ




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チョコとライカ


この歳になるとバレンタインも何もあったものでは無いが、ゴディバを貰うとは。 娘が東京に行ったときに内緒で買ってきてもらったのだそうだ。 やるな!ばーさん。(笑)

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天使の取り分 ウヰスキー

棚を整理していたら出てきた昭和の燃えかす。 サントリーオールドウイスキー大阪万博記念ボトルである。 未開封のまま我が家の変遷を乗り越え、ここに居る。 700mlのはずだが今ではおそらく600mlも無いであろう。 ワインなら「天使の取り分」というのだが、天使はウイスキーもイケるのだな。 1970年に千里丘陵の竹林を切り開いて半年間のお祭りが行われた。 私は11?12歳の一番多感な時にリアルタイムでこの第二の文明開化に参加できた。 産まれて初めて子供だけで国鉄に乗って吹田まで行き、朝から晩まで見たことの無い国の文化の尻尾に触れまくったのだ。アポロ11号が持って帰った「軽石」とか、壁全体が映画とか、太陽の塔に登ったおっさんが目の処に座ってあんパン食べて捕まったり、そうそう、産まれて初めて金髪のでっかいおねえさんにキスされたのはカナダ館であった。 そんなたくさんのパビリオンの中の一つにサントリー館があった。 どんな建物だったかはすでに覚えていなかったのだが、このボトルのプリントを見て思い出した。 
万博の時、日本で初めてのファミリーレストランが開店した。たしか大阪ガスが営業したロイヤルホストいわゆるロイホの初代だったと思う。 1970年のファミレスは記念すべき日やお父さんの給料日に家族でヨソイキ(一丁裏)の服に着替えて自慢げに行く「ハレ」のお店であった。 システマチックに運営されているとは言えちゃんと料理長を含む数人のコックさんが居て、フロア係が居てウエイトレスさんが居たスクラッチ度の高いレストランであった。現在のファミレスと呼ばれる業態にはコックさんはもう居ない。 CKと呼ばれる工場で調理して即冷凍やレトルトされた料理は店までトラックで運ばれてP/Aの手で電子レンジやスチコンに掛けられてP/Aの手でお客様のテーブルに運ばれる。 そのお客の方も決してヨソイキは着ておらず、「腹減ったしファミレスでも行こうか」という、「でも」がつく「ケ」の店に成り下がってしまった。 そこには料理人のプライドはもう無い。 お客の方にもプライドは無い。なにしろ飲み物は自分で汲みに行かなければならないのだから。 料理する人間の愛情や思いが無くなる代わりに人工添加物や保存料が増えていった。 

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