マクロビオティックの人も要注意!「菜食はなぜ老けるか」
Facebookで吉冨信長氏がとても参考になる記事を書かれています。
理系畑の人らしく、説得力のある内容になっています。
「菜食はなぜ老けるか」というタイトルなのですが、かねがね私もそのことを感じていて、むそう塾でマクロビオティックをお伝えする時には、決して偏らない食べ方をするように指導しています。
吉冨氏の文章の中で、マクロビオティックの視点からみてとても大事なポイントがあります。それが下記の部分です。
>奇跡の回復を遂げた患者は、心からこの治療食に感謝し、それを盲信するようになる。本来ならここで、今までの生活習慣を見直し、通常の食生活に戻ればよいのだが、菜食のおかげで健康になれたのだから、今後も菜食することで健康を保てるという錯覚を起こしてしまう。
病気からマクロビオティックに入った人は、圧倒的多数がこの流れになっています。
そして、いつしか偏りの弊害に悩まされることになります。
大事なことは、病気が快復した時点から少しの間にその偏った食事から理想的な食事に切り替えていける柔軟性を持つことです。
決して病気になる前の食事に戻るのではなく、陰陽バランスの取れた食事内容に移行することを指します。
なぜなら、体はいつも変化しているので、その変化にお食事もついていかなければ片手落ちだからです。
これが出来ていない人がほとんどですね。
今はファッション的にマクロビオティックを始める人も多いので、そういう人も似たような状態になりますが、この人達の多くは甘いものの摂り過ぎと塩分不足がネックになって体調不良を引き起こしています。
場合によっては油分不足のケースもあります。
そんな人の腸はもうメタメタで、軟便や下痢、あるいはお肌のトラブルも抱えています。反対に便秘の人もいます。
とにかく体力がありません。情けないほどです。
玄米ご飯の炊き方が悪いためにそれらの症状が出ている人もかなりいるのが現状です。
私がここで「マクロビオティックの盲点」として発信するようになった理由も、吉冨氏と同じような視点で現状をとらえていたからです。
偏ったマクロビオティックにならないために、ぜひバランスの取れた食生活をしてほしいと強く思います。
<吉冨信長氏の記事より>
<引用はじめ>
この写真はFBのタイムラインで流れてきたものであるが、左の人は健康志向の厳格な菜食主義者、右の人は肉やバターそしてデザートを普通に食べる人のようで、どちらも同年齢ということである。もちろん、このようなネタは菜食への冷やかしや肉食至上主義的なアピールが根幹にあり、一例を大げさにとりあげて、注目をあびようとしているものであることは誰の目から見てもわかるだろう。
だからといって、この主張を完全否定できない。確かに菜食主義者で不健康な人が多いのも事実として見てきたからである。菜食主義者で多いのが、老化、しわ、色黒、やせ型または肥満型などの特徴である。しかし、彼らはほとんど自覚がない。むしろ健康的だと思っている。
菜食がなぜ老けるかを考える前に、なぜ彼らは菜食をはじめたのかを考える必要がある。
私は、巷でよく流行している〇〇〇食と〇〇〇ダイエットというものについて、その内容を参考にしても、基本的には信用していない。なぜなら、それらの提唱者の多くが「元病人」であるか、現在も疾患中の人だったりするからである。糖質制限などよい例である。
私は今まで病気をしたこともなく、アレルギーもアトピーもない。(虫歯の経験はある。)なぜそんな私がわざわざ大病を患った元病人が推奨する食事方法の話を聞いて実践する必要があるだろうか。むしろ逆である。現代社会において普通の食生活をしてきたにもかかわらず病気をほとんどしてこなかった健康な私にこそ、彼らは話を聞いてくるべきであり、参考にするべきである。
ジャンル・カルマンという122歳まで生きたフランス人女性はタバコ好きのヘビースモーカーであり、さらに甘いもの好きであった。しかし、そんなジャンルはほとんど病気もなく、フェンシングを85歳から始め、100歳まで自転車に乗っていたという。最後は老衰のために死去したが、大往生であったようだ。決してストイックにあらず、この近代社会を楽しんで生きていたジャンルの極意こそ、私は知りたいと思ったりもする。(長生きが目的や答えではないが。)
話しを戻すが、菜食者のほとんどがもちろん、もともと菜食をしていたのではなく、あることをきっかけにして菜食に入ったのである。それは宗教であったり、動物愛護であったり、さまざまである。特に多いきっかけは、比較的若い時に病気を患ったことに関係している。病気を患い、医者にも見放されてしまうと、当然人は絶望に陥る。それでも、生きる希望を持って、あきらめずに回復の探求に走った場合、ある食事療法に最終的にいきつくのであろう。
人は古来より植物を利用して病気に対抗してきた。薬草という言葉があるように、草、樹皮や果皮などを煎じて処方してきた。現代の病気は食生活や生活習慣が大きく起因しているとされ、ファーストフードや甘いお菓子などが原因にかかわっているとされる。特に欧米食への移行が病気をもたらしたとする風潮が根強い。そこで、食事指導者は不摂生な食事をやめさせ、ここで菜食をすすめるのだ。なぜなら、菜食であらゆる病気(がんなど)から回復したという実績をもっているからである。
植物は自分の成長や自分の防御のためにあらゆる植物栄養素や自然毒を保有している。これらの植物栄養素は人間にとって毒なものもあれば、偶然にして人間に良い薬理作用を施すものもある。薬理作用とはクスリの働きのことである。現代ではこの栄養素をフィトケミカルといっている。フィトケミカルは人間にとって必須栄養素でもなく、人間が生きていく上で必要な生理作用を施すものでもない。しかし、人間が不健康な時に薬理的に作用することがあるのだ。
人間の体から金属を排出させるキレート作用、酸化した部分を還元して細胞を蘇らせる抗酸化作用、腸における毒素を排泄させる水溶性食物繊維、イソチオシアネートのような有機硫黄化合物を利用した解毒作用など、フィトケミカルは人間が不調の時に体を正常に戻す働きがある。
菜食をすることで動物性のエネルギー摂取を控え、解毒や抗酸化に集中させる。そして、これらのフィトケミカルが汚れた体にうまく作用するのだ。また、植物性食品にはビタミンCが多く含まれているため、抗ガン作用なども働くことだろう。こうした薬理作用により患者は奇跡の回復をとげるのである。
奇跡の回復を遂げた患者は、心からこの治療食に感謝し、それを盲信するようになる。本来ならここで、今までの生活習慣を見直し、通常の食生活に戻ればよいのだが、菜食のおかげで健康になれたのだから、今後も菜食することで健康を保てるという錯覚を起こしてしまう。
そうするとどうなるか。健康体にとってフィトケミカルはかえって毒素のように働いてしまう。抗酸化作用があるとしてほとんどの人が盲信しているポリフェノールは、実はミネラル分の吸収を阻害する。フィチン酸は体の余計な金属をキレートする一方、常食すれば体に必要な金属までキレートしていく。植物ステロールは人間の体内にあるコレステロールをとってしまい、細胞の形成に大きな影響を及ぼしてしまう。同時にホルモン代謝にも影響を与え、ホルモンバランスが崩れる。界面活性作用のある豆類によく含まれるサポニン、常在菌を殺してしまうアリシンなどあげればキリがない。その他、いまだ同定できない微量成分が人間の体に悪さをしていることもよくある。
エネルギー源は糖質主体になり、低たんぱく・低脂質で、エネルギー効率が悪くなり、疲れやすく、老け込んでいく。エネルギー不足に陥り、体は糖質を必要以上に求め、次第に甘いものを求めるようになる。
食事でのタンパク源は大豆中心になり、脂質は植物油を求める。大豆にはフィチン酸をはじめとしたフィトケミカル、植物油は酸化による過酸化脂質の問題や微量成分の問題、そしてリノール酸摂取過剰になる。これらにより身体は慢性炎症および栄養不足になり、体調を崩していく。
また、消化不良の問題も出始める。過剰な不溶性食物繊維によって栄養吸収や代謝が悪くなり、便秘に陥ることもあるだろう。
以上、極端な事を書いてあるように思えるかもしれないが、現実ありえると思うし、何人かそういう人も見てきた。それはやり方が悪いからだと指摘する人もいるかもしれない。しかし、人間は宗教的政治的な介入があるまで、肉食で進化を遂げ、雑食で生きてきた歴史がある。
極端な菜食は人間の食性を考えればやはり不自然である。しかし、健康的で肌に色ツヤあって楽しく生きている菜食者もいるのも事実だ(虫歯のことまではわからないが)。それでもやはり不健康そうな菜食者も多いことも私は実感している。
フィトケミカルという薬理作用を下手に使うと、かえってあなたの体を害してしまうことになる。
<引用終わり>
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一番最初に読んだGOの著書の「マクロビオティックは何でも食べられるようになるためのもの」「マクロビオティックは好きな事をやるためのもの」という言葉を胸にずっとマクロビオティックを実践してきました。
幸い、わが家は2人ともシワシワにはなっていないようです笑
すたんさん、こんばんは。
そうそう。私もずっとその言葉を胸にマクロビオティックと恋愛中です♡
そして、その手応えを感じています。
なんというか、マクロビオティックの考え方はエネルギー源になっている感じがします。
お互いにシワシワは脳ミソの方に譲りたいですね。
美風さん、こんばんは。
かつて菜食を貫いてた時期がありました。
あの頃にこの記事を読んでも、おそらく受け入れられなかったです。
今では新鮮な海の幸山の幸を有難くいただいてます。
まだまだ改善の余地ありの腸です。
心身ともにイキイキ躍動感ある毎日を目指します^ ^
おはるちゃん、こんばんは。
補足説明をメールでお寄せくださってありがとうございます。
内容充実のために掲載しておきますね。
>「受け入れなかったです」というのは、記事の内容如何ではなく、私が受け入れる柔軟性を持ってなかったということです。
>周りを見ずに留まる所なくつき進んでましたので、今の自分も陰陽なんだと感じます。
>あの頃は腸も思考も硬かったです。パンもクッキーも食べてました。。
おはるちゃんに初めて出会った時には、カチンカチンの頭でしたものね。
「食べたもののようになる」を地で行っている人だなあと思いました。
あれから何年もおはるちゃんと接していて、それは性格の影響もあるんだなと感じています。
その性格を決定づけたのはお母さんのお腹の中にいる時の影響もあるので、一概に食べ物だけで解決できるものではないのですが、自分の特徴をよく知って良い方向に持って行こうとする努力をすれば、人間ってかなり変われるものです。
意識の持ち方がとても大事なので、それを陰陽で考えると効果的になります。
ま、おはるちゃんの場合は考えすぎることが難点なのですが・・・。
そこが今後の最大の課題です。
腸は思考とつながっているので、弾力のある腸を目指して頑張ってください。
美風さん、コメントのお返事をありがとうございます。補足メールも読んでいただいてありがとうございます。
意識の持ち方、考えすぎ、!
大きなポイントでした。
そして祖母、母の受け継がれる頑固さが気になるのも、自分も似た者同士だからでした。(祖母、母については、頑固さ故に自己を保ってきた面もありますが、。)
ツボを押さえるのは痛いものですが
折角示していただき気づけたのですから
可能性を信じて取り組みます。
おはるちゃん、こんばんは。
お返事が遅くなっているうちに、きょう良い変化がありましたね。
精神的な冬の時期を脱したのではないでしょうか?
前向きに躍動感のある日々を送られることを期待しています。
菜食中心の生活を始めてから2年が過ぎようとしています。私はインターネットで動物実験やら屠殺というものを見、これまでの肉食中心を改めました。今では肉、魚、乳製品など買いません。まず、20年以上酷かった花粉症が完治しました。そして短気な性格が変わりました。
“動物と共に生きている”という意識が芽生え、正しい行いをしているような意識から前向きに生きれています。現在、49歳ですが男性には自分でいうのもなんですがとてももてます。
同世代よ方より若く見られます。
菜食中心主義は、日頃の意識をどう持つかということがとても重要だと感じています。
ルーナさん、初めまして。
菜食生活を始めて2年になるんですね。
そのくらいが一番調子の良くなる時期です。
菜食で花粉症を治すのは簡単なので、早い段階で効果の出る人が多いですね。
さらに精神面にも変化が現れて、今は絶頂期だと思います。
問題は3年、5年、7年、10年と進む段階で現れることが多いのです。
でも、これは個人差があるので何とも言えません。
今は絶頂期なのでこの記事は納得できないでしょうが(私にもそういう時がありました。)、もし将来、あれ?と思うことがあったら、ちょっとこの記事を思い出してくださったらありがたいです。
美と健康への意識が高いことはすごいことだと思います。
ただ、狂信的な方は本当に怖いです。人によりますが、たまに美味しいでしょうを押しつけてくるのですが、私はもう少しアゴの出汁が効いたもののが好きだな、と言えないつらさ。私はごくたまーにお肉やお魚の分量を減らして体調コントロールする程度で十分イキイキいきてます。
しかし、ルーナさんの自分でもてると主張してしまうあたりにこわさを感じます。
本当にモテる方はそれが普通だから気づかないので、相当モテを意識されているんでしょうね。
そんなルーナさんに対する管理人さんの大人なコメントには脱帽です。
もう少し見習いたいと思います。
ちかさん、初めまして。
コメントをありがとうございます。
人の体は本当に個人差がありますし、考え方もまた個人差があります。
これは至極当たり前のことなのですが、自分にとって良いことでも、他の人にとってはそれほどでもなかったりします。
ですから、食べることも考え方も押し付けは一切してはいけませんね。
でも、マクロビオティックを知るようになると、どうも押し付けをしたくなってしまうようです。
ここが一番問題だと思います。
かくいう私にもそんなふうに考えたくなる時期がありました。
でも、それを食い止めたのは、当たり前の常識でした。
もしかしたら、マクロビオティックには非常識になってしまう危険性をはらんでいるのかもしれません。
でも、陰陽をよくよく理解していくと、全然そんなことはないので、よけい厄介になります。
お互いに「悪しき隣人」にならぬよう、自分の体に素直に向き合って行きましょう。
答えはすべて自然界にあるのですから、それぞれの人が「必要な時に」そのこと(考え方の偏り)に気づけば良いだけです。