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塾生の声

Ko(7-7)さん (長野県)

1期幸せコース修了

「むそう塾に出会ってよかったと思うこと」

第一期幸せコースに通っていました。最初の授業で、包丁を砥ぐことを教わり、初めて砥石を買い、自分で包丁を砥いでみました。包丁を砥ぐ時、自分のすべてを込めないと、刃がまっすぐきれいにならないことは、何度もやってみて何度も失敗するまでわかりませんでした。その繰り返しでした。

 

京都で、初めて拝見する一流の料理人の仕事に感動し、その感動と記憶を自分の巣に持ち帰り、やってみて、できなくて実感して、初めてお教室でやっていたことの意味がわかる。お教室から帰っても、毎日がむそう塾でした。お台所に立つと、無心になれました。日々の普通の暮らしの中で何かを学べることは、生きていく上で何よりの贅沢だと思います。

 

私は魚屋の家に生まれました。幼い頃、何もできないのに何かがしたくてまな板にむかう父の傍でウロウロしていたのを覚えています。そんな私の口に父は時々、お刺身の切れっ端を、放り込んでくれました。

 

店が閉まったあとに調理室で父が包丁を砥いでいる背中と音を今でもかすかに覚えています。その時だけは、近寄ると「あぶねえからあっちいってろ」と怒られました。なので、背中と音しか覚えていないのです。私はそのことを通じ、「包丁はとても危ないものだ」ということを学びました。

 

そして、むそう塾に通いながら、自分で包丁を砥ぐ日々の中で、「1ミリでも包丁から気を逸らしたら、自分も包丁も周りの人も危ないんだ」とある時、実感しました。そして、同時に、父に言われた「あぶねえからあっちいってろ」の意味が、何十年もの時を経て、ようやく、腹に落ちた気がしました。

 
お客さんが帰り、水で床が磨き上げられ、シャッターを下ろしたあとの静寂の中で、包丁を砥ぐ音だけが響いていたあの空間。怒られないように少し離れてそっと父の背中を見ていた幼い私はいろんなものに守られていたのだと、むそう塾が包丁砥ぎを教えて下さったおかげで改めてわかりました。

 

包丁砥ぎから始まり、季節の変化と共に、京都通いは一年間続きました。いつの間にか、お台所に立っていない時も、お教室での光の具合やメールのお返事の一言、中川さんの手の動きや美風さんの眼差しが、ふとした日常生活の1コマ1コマに重なりあうようになりました。幸せコースを卒業した今でも、それは続いています。

 

マクロビオティックは「する」ものではなく「ある」ものなんだとそんな日々の中で、少しずつ感じています。むそう塾を通していただいた、大事な実感です。幸せコースを修了しても、私はまだたくさんのたくさんのことを知らないし、できないし、迷いも悩みもあります。

 

ただ、どんなときも、「ある」ものなんだという実感は、私にとって、お守りのようなものです。今でも、私はたくさんのものに守られて生きています。

中川善博より

あなたは私の料理する姿を見て新鮮でありながらどこか懐かしさを感じておられるようでした。後々に伺った話によってお父様のご職業を知り、納得したのを覚えています。あなたはむそう塾で学べば学ぶほど「こどもがえり」するかのようにご実家への距離が縮まりました。それはあなたの親御さんがほんまもんだという証なのです。心を全開にして親御さんのほんまもんを学んで下さい。

マクロ美風より

私は今でも初めてKoさんにお会いした日のことが忘れられません。
かげろうのように儚いあなたは、どうみてもマクロビオティックの被害者でした。
なんとしてもあなたを救わなければ。
中川さんと真剣にアドバイスした日々が懐かしいです。
感想文でもお父様のお話が胸を打ちます。
そして、マクロビオティックを「する」ものではなく「ある」ものとしてとらえられたところが素晴らしいです。
真剣にマクロビオティックに向きあったKoさんらしい感覚ですね。
ストイックな時期を越えて、こうして達観できたことが嬉しいです。
見事なお料理のファイルはまだむそう塾にありますよ。

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