今日は山鉾巡行。
祇園祭りの盛りが、最高潮に達しようとしています。
祇園祭は別名「鱧祭り」と言われているだけあって、店先には鱧がたくさん並でいます。
なので、今月になって、中川さんのあの美しい『鱧の棒寿司』が、ふわっと何度も浮かんできます。
昨年7月、第一期秘伝コース。
サイトで緑の織部に乗せられた鱧の棒寿司を見た瞬間、そのあまりの美しさに、涙が流れました。
美しい絵や音楽・景色を観た時に、自然と出てくる感涙の涙です。
美しい流線を暫く見入っていると、鱧のほのかな香りが満ちてきて、遠い日のことが鮮やかに蘇がえりました。
私が小さい頃は、お客さんがきゃはったら、家庭料理ではなく、仕出し屋さんから旬のお料理を取っておもてなしする、というのが習いとなっていました。
近所に腕のいい仕出し屋さんがあって、そこからお料理が届くのが、とても嬉しかったことを思い出します。
特に、鱧寿司の美味しさは格別で、「うひょひょひょ~~♡」となって、ほっぺたが落ちそうでした。
なので、中川さんの鱧の棒寿司を拝見した時は、美味しい鱧のお味やら香りやら、色々な記憶が呼び起こされ、湧き上がる感動がありました。
でも、まさか、素人が鱧の棒寿司を作れるようになるなんてことは、夢にも思いませんでした。
なぜなら、プロの職人さんでも上手に骨切り出来る人は少なく、心底美味しい鱧料理というのはなかなか食べられないし、とても高価なものであるという現状を知っていたからです。
けれど、麗可ちゃんを筆頭に、一期秘伝コースの先輩方が何人も、美しい流線の鱧料理を作られていました。
それは驚き以外の何ものでもありませんでした。
と同時に「そんなん作れるわけないやん。プロが作るもんやし。」と、『限界』を作っているのは自分なんだと、ガツンとハンマーで殴られたような気がしました。
「私はお料理が苦手。センスもないし。」と思っている。
これも自分の思い込み・・・かも?
「今は下手でも、やれば出来る!」と、意図的に意識を修正しました。
丁度その頃は、上級幸せコースに通っていた幸運もあり、中川さんのご指導のお蔭で、人様に差し上げられるものが段々増えていきました。
美味しいものを食べるのは嬉しいことでしたが、自分が作ったものを、人が喜んで食べてくれるのを見るほうが、その何千倍も何万倍も嬉しいことを、この時知ったのです。
それまでは、美味しいものを作れなかったから、この感動を味わう機会がなかったのです。
そして、だんだんわかってきたのが、「本当はできるのに、出来ないと思っているだけ」のことって、結構多いということです。
「できるか、できないか」ではなく、「やりたいか、やりたくないか」で決めた方が楽しいし、「やりたい!」と決めたのであれば、出来るまで練習あるのみ。
こんなふうに考えるようになってから、ヘンな自己卑下や言い訳が減りました。
そして、マクロビォティックのお料理や物の見方をむそう塾で教えていただくうちに、日本の行事や文化、東洋の思想を誇りに思う気持ちが大きくなりました。
元々それは私の中にあったのですが、余りに身近にありすぎて、その価値を見過ごし、西洋の文化の方がカッコいいと思ってしまったのです。
日本の文化や東洋の思想は、陰陽の物差しで見ると、とても調和していることもわかりました。
そう気づいてから、不足を埋めるような生き方から、本来持っているものに感謝して、それを味わえるようになっていきました。
それだけのことですが、豊かさを感じ、穏やかな日々が増えました。
これからも、誇りを持って、良きものを受け継いでいきたいと思います。
(京料理人 中川善博作の鱧の棒寿司)
【2016.7.17 ふみよ丸記】
<マクロ美風より>
生粋の京都人でいらっしゃるふみよ丸さんは、誰よりも中川さんの鱧料理に感動し、秘伝コースの人たちが鱧の骨切りに挑戦されていることにビックリされたことでしょう。
でも、これは紛れもない事実であり、グングン上達して行くのも同じむそう塾生なのです。
このことは私も実は驚いているのです。
何事も自分から限界を設けてはいけないなとつくづく思いました。
マクロビオティックの創始者である桜沢如一氏は京都のご出身であり、先生の書物を読んでいてもそこかしこに京都を感じることがあります。
ですからあなたはなお一層マクロビオティックと相性が良かったのだと思います。
あなたが「不足を埋めるような生き方から、本来持っているものに感謝して、それを味わえるようになって、豊かさを感じ、穏やかな日々が増えた」ことが素晴らしいですね。
この調子で来年の秘伝コースにいらしてください。