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塾生の声

Ta(34-9)さん (東京都)

4期幸せコース受講中

1. 出逢い
2009年の11月末。全てのはじまりは偶然だった。何気なくネット上を彷徨っていた時、香ばしそうなお焦げのついたごはんの写真が目に飛び込んできたのだ。よく読むと、圧力鍋を使った玄米の炊き方を指導する料理教室のブログなのだとわかった。何枚も連なる連日の玄米投稿の写真。それ以外にも美味しそうなお料理の写真。何かに夢中になる心地を久しぶりに思い出したかのように、中川さんのブログ記事を遡る日々が始まった。

 

当時わたしは一人暮らしで、全く自炊ができなくなっていた。炊飯器でごはんを炊くことはおろか、包丁もガスもほとんど使うことができず、空腹を菓子で紛らわし、獏とした不安にいつも震えていた。夢を叶えるために始めたはずのアルバイトで身体的にも精神的にも追いつめられていた。このままではいけないと強く感じるにも関わらず、夜遅く家に帰ると涙が止まらず、朝はまるで深い水の中に沈んだように身体が重く、起きている間中、理由のわからない哀しみに胸がざわめいていた。あらゆることが根本的に間違っている心地がし、それでいて何から手をつけてよいのかわからないでいた。

 

長く続けていた日記も書けなくなっていた時期だったから、正確なことは思い出せない。けれど、あのお焦げがついたごはんの写真に、「これだ」と思ったことは覚えている。というのも、その写真のごはんはただ美味しそうなだけでなく、実家の母が釜で炊いていたお焦げつきのごはんをわたしに思い出させたからだ。小さい頃から、そういえばお焦げばかりを食べていた。お焦げが食べたい故に、ごはんをよそう仕事をいつもしていたくらいだった。

 
上京以来、自炊がずっとできないのは、もしかすると炊飯器でお焦げができないからかもしれない。うっすらと、けれど確かに感じるものがあり、わたしは圧力鍋で玄米を炊くことに次第に興味を持っていった。

 

2. 京都への道
年が明けてすぐ、念願かなって圧力鍋を使い始めることができた。けれど喜んだのも束の間、やっと申し込めた愛クラスの受講が迫る頃、職場で思いがけないトラブルが起こり、辛うじて保っていた気持ちが全て砕けてしまった。上司への恐怖心で涙が止まらず、眠る事もできないまま暗い部屋で動けなくなった。近しい人が異変に気づき、自分でも限界だと思い、精神科を受診し、鬱病と診断を受け、処方された薬を飲み始め、わたしは愛クラスをキャンセルした。鬱病の方にこそ中川式玄米を召し上がって頂きたい、と美風さんがお返事をくださったが、その時はもうただ起きているだけで精一杯の状況になっていた。

 

幸か不幸か、医者にもらった診断書でわたしは呆気ない程簡単に職場を辞めることができた。そして昔住んでいた町に引っ越すことができた。二人暮らしのはじまりだった。日当りのよい部屋ではじまった新しい生活と共に、わたしの精神状態は着実に回復していった。

 

明白すぎたストレッサーが消え、やがて通院も終わった。時々不安な気持ちは生まれるものの、思い詰めた感覚は去り、一からやり直すつもりで前向きな気持ちになっていた。シラルガンで試し炊きを続けるうちに、何となくお焦げがついたやわらかめの玄米を炊けるようになっていたから、それだけで十分満足している自分もいた。炊飯器ですらご飯を炊けなかった自分が、自己流とはいえシラルガンで2ヶ月以上ご飯を炊き続けていることだけで奇跡に思えていた。

 

けれど、毎日読み続けていた中川さんのブログの中には、ずっとずっと美味しそうなごはんがたくさん載っていた。それは、「パス品質」と呼ばれるご飯だった。やっぱり京都に行った方がよいのではないか、と心の奥で思いながら過ごしていたある日、次回愛クラスのキャンセルが出たことを知った。部屋に鍵を忘れて閉め出され、手持ち無沙汰で携帯を使っていた時だった。気がついた時には申し込んでいた。そうして、わたしは愛クラスをやっと受講する機会に恵まれた。

 

3. 「今ここ」の大切さ
結論から言えば、本当にあの時、愛クラスを受講する決断をしてよかった。実際に中川さんに教わった炊き方は、ブログの記事からは決して読み尽くせない技でいっぱいだった。どうしてそうするのか、きっちり理屈が通っていて、驚きと納得の連続だった。忘れないように、と帰り道もずっと頭の中でイメトレを続け、炊き続けて2週間経つ頃にパスを頂けた。やわらかいのに、水っぽくなくて、お焦げが香ばしくて、甘くって、おかわりしたくなるごはんだった。

 

その後、お米やお鍋を変え、白米を炊く機会も出てきたけれど、あれから2年半、わたしはずっとごはんを炊き続けている。こんなに続くと思っていなかったし、何より自分で炊いたごはんの美味しさと安心感にこれほどの力があったとも思ってもいなかった。手間も時間もかかるかもしれないけれど、炊くこと自体が楽しく、美味しく炊けると嬉しくて自然と続くのだと思う。そして、時間の使い方を意識するようになったことで、炊飯に取り組むようになってからの方が自由時間が増えているような気さえする。

 

思い返すと、わたしにとって、むそう塾に出逢ったこと自体が、言い尽くせない程に大きな意味を持っていたのだと思う。元々、浮き沈みが激しい性格ながらも何とかやってこられたのは、母が食をはじめとする生活基盤をしっかり支えてくれていたからなのだと痛感した。その有り難さを感じないままに、一人で好き勝手やっていたのだから、身体も心も拠り所がなくなって、芯のない不安定さが増して行ったのは当然だったのだろう。そのことに気付いてから、わたしはやっとこれまでずっと否定し続けてきた実家にいた頃の自分を肯定できるようになった。というより、計り知れないほど有り難い環境で生きていたのだと、家族への感謝の気持ち、そして親の凄さを強く感じるようになった。

 

いつも自分を痛めつけるように、「今ここ」から逃れたい気持ちいっぱいで行動していたけれど、「今ここ」を慈しむことがいちばん無理なく、確かに何かを積み重ねる基礎なのだと身体で感じるようになった。そうして、一度は無理だと思った自分の夢も、実現に向かって少しずつ確実に前に進み出した。ここから逃れるための夢ではなく、現実的な夢に変わっていったからだと思う。

 
4. 生き生きできる感覚を信じて
今、とても楽しくて夢中になっていることが幾つもある。その一つが、お料理だ。これまでは包丁が怖くて果物ナイフしか使えなかったが、中川さんのおかげで切ることの奥深さを知り、そして実際包丁が使えるようになってきた。切り方だけでこんなに味わいが違うのかと驚きだった。野菜を一つ切るだけでも楽しんでいる自分がいる。教わるお料理もどれも本当に美味しくて、俄然お料理が楽しくなった。生活に張りが出てきたように思う。

 

リフレッシュされるのだ。そうして、一緒に食べてくれる人が喜んでくれる。食事はもちろんだけれど、わたし自身の変化にも。いつか中川さんが「あなたはもっと変わります」とおっしゃってくださったときは半信半疑だったけれど、わたしは本当にいい意味で変わったと周りの人が言ってくれる。きっとこれからも変わり続けてゆくのだと思う。

 
少し人と違う進路を選んだからときどき大変だけれど、自分が生き生きできる感覚を信じて、真っすぐ進んでいきたい。どんなことがあっても、大切なことは変わらない。だから、大丈夫だと思える。そう思えるようにさせてくれた美風さんと中川さんに感謝したい。

中川善博より

どこか突き抜けた部分と乳児のような無垢な部分が無秩序に混ざり合ったまま生きている人だなぁ。というのがあなたに会った時の印象です。その印象は愛クラスに始まり、炊こう会と続き、今通って頂いている幸せコースまで続いています。私は短期間のうちに乳児を預かった保育士のような気分と軸の華奢な茶花の栽培を任された農人の気分を味わっております。「やれない」のでは無く、「やって来なかった」だけだったあなたは高野豆腐を温湯で戻す時のように教えた技術を吸収して行かれます。先の桂剥きの投稿時もおそらく最下位からスタートしての「桂剥き美人」獲得でした。日々の上達は胸のすく思いでした。料理を学ぶうちに無秩序だったあなたのエネルギーに宇宙の秩序が取り入れられて来たのでしょう。これからもあなたの第二の発育を見守り続けて行きたいと思っています。

マクロ美風より

愛クラスでのパスポート取得もお見事でしたが、私があなたの凄さを実感したのは、東京での新年会でお部屋の家具の配置をアドバイスした後です。
口頭で説明したにもかかわらず、正しくそれを受け取り、人手も手配して、ササッと配置変更後の写真を送ってくださいました。
その行動力はとても気持ちの良いものであり、効率的な動きでした。
お若いけれどデキルお嬢さんだなぁと確信したのを覚えています。
その後単発講座や幸せコースで中川さんからお料理を習い、あなたの料理の腕はドンドン向上されました。
特筆すべきはあなたの飲み込みの良さです。
一を聞いて十を知る能力があなたにはあります。
今あなたはお母様があなたに伝えてくれた生きる土台を、見事に受け継いで大きく成長させようとしています。
どうぞ存分に楽しみながらダイナミックな人生を送ってください。

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