気遣い

ある人にメールのお返事を書いていました。
ふっと他のある人のことが思い浮かびました。
その人はいわゆる気働きのできる人なのですが、場合によってはその気働きがお節介になってしまうことを知りません。
まだお若い人なので、これから徐々にその加減を会得していかれるのだと思います。
気がついたことをして褒められたから、そのままずっと来たのだと思いますが、人間には色んな人がいるので、「今自分のすることが相手にとってどのような意味をもつか」を見越したうえでないと、せっかく良かれと思ってとった行動も徒(あだ)になってしまいます。
自分が思ったことと違って受け留められることは、とても悲しいし、残念だし、時には人間不信になってしまいたくなります。
でも、よ?く考えると、それは相手の望んでいることとは微妙に温度差のあることをしている場合に起きやすい問題です。
「そんなつもりじゃなかったのに・・・」と言いながら心身を疲れさせるのは、非生産的な時間の使い方であり、時には人間関係を壊すことにもなりかねません。
それを未然に防ぐにはどうしたらいいのか?
それは自分のことをきっちりこなし、そのうえで相手が望んでいることがはっきりと判るなら進んで気をかければよいのです。
そういう時の気のかけ方はまず失敗がありません。
 
いつも肝に銘じるべきは、周りの人も自分と同じように考えていると思ったら大間違いで、100人いたら100人の考え方があると意識しておくことです。
人間には自分でやり遂げた時の達成感が必要です。
これは子育てをしているととても良く判ります。
小さい時から達成感を味わいながら成長していくと、自立心のある大人になること間違いなしですね。
あとはその人の度胸や根性が影響してきますが。
今は人づきあいが苦手という人が多いですね。
そんな人は割り切ってはいかがでしょうか。
誰とも仲良しになろうとするのではなく、誰とも仲良しにならない生き方もありだと。
でも、それが出来る人は強くなければいけません。
弱い人は誰かと群れていなければ怖いのです。
そんなときには居直りも必要です。
「自分に本当に必要な人には必ず出会える」という信念を貫いて、我が道を行くのが清々しくていいと思います。
今自分のまわりにいる人たちは、自分に必要な人に出会うためのステップ段階なのだと思いましょう。
悩んでグズグズになっている人より、信念をもって爽やかに生きている人の方が素敵です。
爽やかな人には自然に人が寄って来ます。
そのレベルになったら、上手な気遣いが出来る人になっています。
そう、自然に。
もうお分かりですね。
上手な気遣いが出来るのは、一流の人間の証なのです。
話は全然違いますが、作家の向田邦子さんの作品には気遣いの場面が多く描かれています。
向田さん自身が相当気遣い上手な人であったことは、彼女を語る文章にいくつも見つけることができます。
本当の大人だったんですね。
 
 
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コメント

  1. てんこ より:

    美風さん、こんばんは。

    おっしゃる事、よーく分かります。
    私は周囲の人からするとちょっと扱いにくいところがあるらしく、貴方のためを思ってやったのに喜ばない、と言われることがありました。
    でも、頼んで無いのに望んで無いのに、困ったな~というのが正直な気持ちでした。

    気遣いというと、自分がされてうれしいこと、と考えがちです。でも自分の思いを別にして相手の立場に本当に立てなければ、なにもしない方がまだいいこともある、と思っています。

    冷たい、と受け取られてしまうこともありますが、相手を尊重しようという気持ちがあれば必ず伝わる気がしています。

  2. つじ☆ より:

    美風さん、こんばんは。

    今まで何人かに「気遣いできるね~」と言われてきました。
    私の周りは幸い優しい方が多く「ありがとう」の言葉を頂いてきました。「おせっかい」と言われたことはなかったのですが、今日の記事を拝読し、もしかしてあの時のあれは社交辞令だったかもと思いはじめました。(すまない、あの時のあの人)

    過去の単発講座でも、私の近くにポットがあった故に他の方にお茶を入れようとした時に「必要な水分の量は個人によって違うからお茶はセルフで」と美風さんから注意を頂き、おせっかいだったなぁと今再び反省しています。

    これから「気の遣い方」気をつけていきます。勢いよくしてしまう時があるので、ブレーキかけて考えます。

  3. マクロ美風 より:

    てんこさん、おはようございます。

    私もてんこさんのお気持ちがよ~く分かります(笑)

    >頼んで無いのに望んで無いのに、困ったな~というのが正直な気持ちでした。

    こういうことって本当に困ってしまうことがありますよね。
    相手に悪気がないのでよけいにね。

    >自分の思いを別にして相手の立場に本当に立てなければ、なにもしない方がまだいいこともある、と思っています。

    私も相手を思う気持ちだけは失わず、結果的には何も手を出さないこともあります。
    手を出さない方が長い目でみると相手のためになることが多々あるので。
    その時には冷たいと思われたとしても、その場凌ぎの行動はとりたくないなと思うからです。

  4. マクロ美風 より:

    つじ☆さん、おはようございます。

    >(すまない、あの時のあの人)

    (笑)いいんじゃないですか?
    つじさんは細かいところに気のまわる人だから、その人が本当に喜んでくれる時にはそれで良いと思います。

    >「必要な水分の量は個人によって違うからお茶はセルフで」と美風さんから注意を頂き、おせっかいだったなぁと今再び反省しています。

    あの時のつじさんの行為はお節介ではありませんよ。
    社会ではごく当たり前の行為です。
    自分だけお茶を飲むのではなく、他の人にも一声かけるのは気配りとして大事だと思います。
    私は家族にもそうしています。

    ただむそう塾はマクロビオティックの教室なので、入り口のドアを開けた時から指導は始まっています。
    その意味で水分の摂り方については、皆さんに日頃から無意識に癖になるくらい徹底指導したいので、あのように申し上げたのです。

    教室に到着する前に喫茶店に寄って来た人もいるでしょうし、遠くから喉をカラカラにして来られた方もいるでしょう。
    また、私に言われて水分の摂り方を調節している人もいるでしょう。
    そのように個々人の状態を把握できない場所なのでセルフでとお願いしました。

    ですからつじさんの行為はお節介ではありませんよ。
    マナーとして当然ですが、マクロビオティックにおける水分の摂り方の重要さに気づいていなかっただけです。

  5. より:

    美風さんこんばんは。
    少し、近いことを最近考えていました。

    お友達の「ために、こうしてあげたい」と思っていたことがあったのですが、それはけしてお友達に望まれていない、と思ったことがあったのです。

    してあげたい、と思ったことは、実現すれば確かにそのお友達のためになるかもしれないのですが、頼まれたわけでもないので…不自然かと思いやめました。
    人のために、といいながら押し付けになっていることはおかしいし
    それよりも、自分がしたいこと、楽しいこと、幸せに感じられることを追求していくことが先だと思いました。
    その中で、人のためにしてあげられることが、あればその流れにすっと乗るように、手をしてあげればいいのかな?
    と、そういうスタンスで考えるようになりました。

    上手な気遣いができる、一流の人間にはまだまだ遠い自分には、自分のお世話の方が先、だと思っています。
    もちろん、いつかは上手な気遣いができるようになりたいですね。

  6. マクロ美風 より:

    直さん、こんばんは。

    >それよりも、自分がしたいこと、楽しいこと、幸せに感じられることを追求していくことが先だと思いました。
    >その中で、人のためにしてあげられることが、あればその流れにすっと乗るように、手をしてあげればいいのかな?
    >と、そういうスタンスで考えるようになりました。

    それでいいと思いますよ。
    そもそも誰かに何かをしてあげたいというのは、自分の満足のためという側面をもつものです。
    多くは何かをしてあげることによって、ちょっと気分が良くなる自分がいるんですよね。
    それが人間の本能の一部だとも思えます。

    してもらったことが相手に負担にならないように、邪魔にならないように。
    そこまで相手のことを理解出来る関係を築けると素敵ですね。
    直さんの繊細さ、私好きです。

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