玄米を「炊く」ことのむずかしさ

むそう塾の愛クラスに来られて玄米投稿をされる方がよくおっしゃる言葉があります。
「玄米を炊くのがこんなに難しいとは思わなかった。」
そうなんです。
玄米ご飯を炊くのは難しいのです。
それなのに「玄米ご飯を炊くのは簡単です、どんなお鍋でもこんなふうに簡単に炊けます!」と良いことだけ並べている記事のなんと多いことか。
いえ、はっきり言って玄米ご飯を炊くのは簡単ではありません。
「炊く」というのは、身体に良いレベルで一生食べ続けられる炊き上がりを言うのです。 
白米が一生食べ続けても消化吸収してくれるのと同じようにね。

それが出来ない場合は「炊いた」とは言えません。
必ずどこかで体調不良の時期が来ます。
その典型例が「圧力のかかった玄米ご飯が食べられなくなった」というもの。
次は「痩せてしまって太れません」「最近胃腸の調子がおかしいんです」というもの。
その前に最も多いのは、「玄米はボソボソしてまずい」という意見ですが、そのような人に圧力のかかった玄米ご飯を食べてもらうと「美味しい! お赤飯みたい♪」と言ってビックリされます。 

でも、それが問題なのです。
最初はそのもっちりが美味しく感じるのですが、そのうちそのもっちりが苦手になってくるのです。
夏の暑い時期はその玄米ご飯が食べられなかったり、男性や子供が喜ばなかったり、妊娠中の人が食べられなかったりします。 
それではおかしいですね。
白米のように一生食べ続けられなければ「炊いた」とは言えないのです。

2枚の写真を見比べてください。
どちらが美味しく感じますか?
お米の品質はむしろ下の方が良いかも知れません。
でも下の写真は体調に良い影響を与えない炊き上がりです。
もしかすると多くの方がこの程度の炊き上がりを当たり前と思っていらっしゃるかもしれません。
そしてそれでOKと言っているマクロビオティックの料理教室も多いかも知れません。
でもね、この段階だと玄米ご飯より白米に軍配が上がってしまいます。
だから玄米は体に良さそうだと思ってもまずいから広がらないのです。
まずいものは受け入れられないのが世の鉄則です。

*   *   *

では、なぜ玄米ごはんは炊き方が難しいのか?
それは玄米が生きているからです。
へ?と思われるかも知れませんが、生き物を相手にしているという認識がない限り、上の写真のようなふっくらした炊き上がりにはなりません。
お米はご存知のように田んぼで栽培されて、水とともに周りの環境をいっぱい取り込んで実りの時期を迎えます。
もちろん耕作者の人格をも抱き込んで稲穂を垂れます。
その後の収穫方法や乾燥方法、そして保管方法もすべて反映されます。
それは収穫された後もお米は生きているので、周りの影響を受け続けていて、そのことも考慮して炊飯しなければなりません。
もちろんお米屋さんの保管方法や購入してから自宅での保管方法も影響します。

そして炊くお鍋の種類と同じくらい影響するのが、炊く人の精神面です。
玄米を生き物だと認識していたら、相手の嫌がることはしないはず。
玄米を物言えない幼子だと思ったら、玄米がどうされたいかが分かるはず。
力で相手をねじ伏せようとしたり、泣いてばかりだったり、怒ってばかりだったら、きっと精神的に安定はしていないはずですね。
そんな玄米を炊く前の日々の自分の暮らし方や心のあり方が、すべて玄米を炊くときには現れてしまうことを知ってほしいです。

白米はもう死んでいますから、そこまでたくさんのことは感じません。
でも、玄米は多くの情報を抱えたまま炊かれて行くのです。
炊く人が最後に出来ること。
それは自分の穏やかな氣を込めることと、感謝の気持ちを込めることでしょうか。
決して玄米を「物」だと思わず、心の通う生き物として向き合ってみてください。
すると同じお鍋でも驚くほど炊き上がりに変化が出ます。
ここのところがなかなか理解されにくいでしょうが、多くの玄米投稿者をみていて間違いのない事実です。

玄米の生命をいただいて自分の生命をつなげるという自覚があるかないかが、ひいては自分のパワーバランスに影響するという認識を持ち得た者のみが真の玄米効果を得られるのかも知れません。 
玄米にはエネルギーがありますが、それを引き出せるには個人差がある現実を知ってほしいです。
すべての原因は自分にあるんですよね。
ですから玄米ご飯が美味しく炊けない時には、もう一度謙虚に自分を見つめるところから始めるのが一番の近道です。

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